観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

11年目のシカ出産調査を前に

2012-06-25 05:06:54 | 12.4
11年目のシカ出産調査を前に

コラボレーター 樋口尚子

 初夏の匂いが濃くなってきた。もうじきシカの出産が始まる。今年はどんな仔が生まれ、どんな風に育っていくのだろう。新しい命の誕生にワクワクしながら、調査準備を始める。
 私の調査地は三陸沖に浮かぶ小さな島の一画で、そこに住むシカのほぼ全てが継続的に個体識別されている。この識別集団の雌の出産確認と新生仔の捕獲は、私がシカの研究を始めて以来毎年行ってきたことの一つだ。18年前に先輩が立ち上げ、いつしか私が引き継いだその調査には、未だにマニュアルがない。その時々の場所や状況、母個体の性格や経験、仔の状態など様々なことを考慮し、そのつど最良と思われる方法で求めるデータを手に入れる。経験に加えて高い観察力・判断力・瞬発力が要求されるので、元来が大ざっぱで神経の鈍い私などは相当の緊張を強いられることになる。はっきり言って、疲れる調査だ。でも不思議と苦は感じない。多分、新しいことがわかる喜びや、調査活動に伴う楽しみの方が勝っているのだと思う。この「楽しみ」には、むしろ「娯楽」と表現すべきことも多く含まれる。行動観察は3Dテレビでドラマを観るようなものだし、特定の個体を捜し出すのは宝探しに似たワクワク感を伴う。仔ジカの隠れ場所の特定に至っては完全に “かくれんぼ”の鬼の気分だ。居場所をピンポイントで当てては己の勘の良さに酔いしれる。さらに捕獲が成功すれば、作戦参謀としての達成感に浸る。逆にシカに騙されて失敗しても、それはそれで「あいつ、やるなあ!」と喜ばしく思うのは、スポーツで好敵を得た時の嬉しさに似ているかもしれない。…そんな数々の娯楽?的要素が研究上の必要性と合わさって、私を現場へと運んでいるのだと思う。
 とはいえ、新生仔捕獲はいつもドキドキだ。10年の経験を積んでも、未だに緊張で足が震える時がある。採れれば貴重なデータだし、ヘタをすれば仔ジカを殺してしまうかもしれないし、逆にこちらが母ジカに蹴り殺されるかもしれないし、何より自分の五感と脳みそを信じる勇気など私は持ち合わせていないからだ。ただ、「シカをナメたらアカン」ことを知っている点では少しばかり強いものがあるかもしれない。守るべきものを持つシカは、相手がヒトであっても、その目の動きや眼光の強さまでしっかり見ている。そして、驚くほど高度な技で目的を果たそうとする。それは、多くの個体との相互作用の中で知り得たことの一つだ。私が黒目を動かせば相手のシカは同じ方向を見るし、目にグッと力を込めて「こちらへ来るな」と念を送れば怯む。自分をおとりにして私を仔ジカから引き離そうとし、必要とあらば絶妙のタイミングで向かってくる。そんなシカの行動をたまたまだと言う人もいるが、おそらく違う。数年前のある朝の出来事は、それを確信に近いものに変えた経験の一つだ。
 いつものように朝イチで調査地を訪れた私は、一頭の若い出産雌を発見した。私の出現に気づいた彼女は緊張の面持ちでじっとこちらを見つめている。もともと神経質な個体だが、それにしてもえらく気にされていると思い、周囲を見回してみると…なんと、私から1mも離れていない岩の陰に生まれたばかりの仔ジカが踞っていた。これには焦った。目の端で仔ジカを捉えたものの、私が気づいたことを母ジカに悟られては捕獲ができない。仔ジカを緊張させても同じだ。至近距離で見つけてしまったがためのピンチ。しかも単独調査ゆえ「おとり部隊を出動させて母ジカを遠ざける」などという贅沢な戦術は使えない。追いつめられた私が咄嗟に思いついたのは「母ジカにナメられ、その隙を突く」という稚拙かつダサダサな作戦だった。ダメでもともと。急遽、周囲のシカをエキストラとして起用し、樋口のクサい芝居が始まる。極力穏やかな表情で遠くを見つめ、双眼鏡を鳥に向けてみたり、寝そべってみたり、徐にお菓子を取り出して食べてみたり、他のシカと戯れてみたりと、思いつく限りの手で「和やかな雰囲気」を演出。そして「私は気づいていませんよ」と全力アピール。シカを相手に小芝居を披露するなどアホらしいと言うなかれ。前述の通り、それなりの根拠はあるのだ。だが正直、騙せる自信はなかった。ところが意外にも私の演技力はなかなかのものだったらしく、母ジカは「なーんだ」と言わんばかりにくるりと背を向け、余裕の表情で草を食みだした。仔ジカに背を向けて、だ。…やはり見ている!今回は私の方がウワテだったが、彼女がベテランになれば逆転するかもしれない。シカ同士の行動的インタラクションを観察してきた中で、それは十分に有り得ることだと思える。
 今年も、私はひとりシカ・ゲームを楽しんだ末に、“各雌の出産の有無”や“仔の出生時体重”などの量的データといくつかのおもしろエピソードを持ち帰るだろう。我々にとって重要なのは前者で、後者はさしあたって茶飲み話にあげるくらいしか用途がない。でもそれは後のデータ採集に生かされ、自然を知ることに繋がっていくだろう。11年目の春、そんなことをぼんやり思いながら引っ張りだしたバックパックがシカ臭い。

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