『黒マリア流転―天正使節千々石ミゲル異聞』

太東岬近くの飯縄寺に秘蔵の黒マリア像を知った作者は、なぜこの辺境に日本に唯一のマリア像があるかと考え小説の着想を得た。

銅版画家深沢幸雄師を悼む

2017-01-25 | エッセー
深沢幸雄先生を悼む
 高校生時代からお世話になっていた銅版画家深沢先生がご逝去なされたことを知り、深い悲しみにひたっています。
わが家のリビングには、先生の書状が掲げてありますが、これは先生とのコラボレーションの句集『鋼の星』・俳句論集『火喰い鳥』(国書刊行会)についての毛筆による書状です。朝に晩に目にしては、2年ほどお会いしていないので、お元気だろうかと案じていたのです。1昨日、書家の鈴木森森斎さんが来宅され、1月2日に90歳で黄泉の国へ旅立たれた訃報を聞きました。
 戦後、奥様の疎開先鶴舞に転居され、市原市牛久にある県立市原一高に新進気鋭の美術教師として勤められていました。田舎者の私がピカソの作品を知ったのは先生の美術の授業からでした。
高校卒業後、私は大学に進学し、文芸を志し、先生と交流を深めたのでした。
日本版画家協会会長を2期、多摩美術大の教授、メキシコへの銅版画指導で文化勲章アギラ・アステカ、さらに紫綬褒章授賞などの実績には目を見張るものがあり、私の誇りでもあります。先日も日経紙とNHK日曜美術館で晩年集中されたガラス絵が紹介されました。拙著を送ろうと思っていた矢先の訃報でしたので残念至極であります!
先年、拙宅のすぐ前に建つ「月の沙漠記念館」で展覧会があり、娘さんの暁子さんとお出でになりましたから久しぶりにお会いしたのですが、これが最後でした。
お迎えの天空よりの馬車に乗る巨匠幸雄師よ
咲子夫人とガラス絵などを語りおらんか    三佐夫
謹みて、ご冥福をお祈りいたします。合掌 嗚呼!(2017年1月25日 若輩81歳の誕生日に)

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