『黒マリア流転―天正使節千々石ミゲル異聞』

太東岬近くの飯縄寺に秘蔵の黒マリア像を知った作者は、なぜこの辺境に日本に唯一のマリア像があるかと考え小説の着想を得た。

マルコポーロの話

2017-04-04 | 小説
六夜 日本へ 
 七十日間が、あっという間に過ぎて、いよいよひと時も忘れたことのない遥か彼方の日本へ帰る日が参りました。   
 パーパ様からはまだ行かぬ所があるからそこにも寄ってから帰国せよと言うお話があり、ヴェネチアなどに寄りました。この町は西洋と東洋の貿易で賑わい栄えた所で、海を埋め立てて島が出来ていました。何と四百余りもの橋が架かっていて、どこに行くのもゴンドラと言う小舟でした。古い教会の前には広場があり、満潮になると膝まで海水につかるほどですが、教会では我らの歓迎のために特別に少年合唱団の歌声を聞かせてくれました。ヴェネチア共和国の95歳の高齢の国王に謁見し、ビロード、絹、錦の布、高価なガラスの箱や大鏡などを戴きましたから我らも大刀や着物をお返しに贈りました。この王宮には、何と裸の女性の見事な絵が数枚掲げており、国王は得意げに我らにお見せになりました。
 この町で、マルコポーロと言う人の名を初めて知りました。この方は、若いときに砂漠を越えて元の国へ行き、皇帝に仕え、東洋の大陸を広く調べ、二十年あまりたってから帰国したそうです。東洋の外れの「ジパング」と言う島は黄金がいくらでも採れて、人々は豊かに暮らしていると報告しているのです。
 我らをその豊かなジパングからの使者ではないかと大騒ぎになったのです。
 どこでも大歓迎を受けましたが、特にパドヴァからマンドヴァと言う国に行きましたら、ここでは我らのための宿舎をわざわざ新しく建ててくれてあったほどです。    
 文月の末に西班牙領ミラノと言う美しい街に入りました。大聖堂は建築中でしたが、その天空を突く高さには驚きました。ジェノヴァからバルセロナに向かう前に豪勢な贈り物が届けられました。それは、雌牛二頭、鶏三百羽、七面鳥三十羽、それに沢山の肉と乳製品と果物などです。
 ゆっくりと休養を取り、霜月にリスボンへ向かいました。師走の末に学園の街コインブラに立ち寄り、学生たちの温かい歓迎を受けました。大学が休みになるほどの大歓迎でした。この町には我らよりも先に日本人ベルナルドと言う青年がフランシスコ・ザビエル様に連れられて留学し病死していること知りました。
 天正十四年睦月(1586年)、リスボンに戻り、船の出港を待って三カ月、夘月にサン・フェリペ号で日本へ向かって出港しました。我らは十三歳で日本を発ち、すでに十七歳になっていました。
 ゴアでヴァリヤーノ様とお会いし、この七年余りのうちに日本ではいろいろなことが起こっていることを知り、驚きました。信長公が光秀の謀反で倒されたことは知っていましたが、後を継いだ猿面冠者秀吉が、デウス様の信仰を嫌って、禁止令を出したので宣教師や信者は困っていることや、三十人近くいた切支丹大名も数人に減ってしもうたことなどです。これから帰国する我らはどうなることやら心配になりました。
 ゴアからマカオに来ましたが、なかなか秀吉の帰国許可が出ないので、ラテン語やエスパニア語で切支丹の教えを学んでいました。また同行しているドラードたちは、活版印刷の技を学んでいました。これは帰国したらデウス様の教えや西洋の様子を印刷するためでした。
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