『黒マリア流転―天正使節千々石ミゲル異聞』

太東岬近くの飯縄寺に秘蔵の黒マリア像を知った作者は、なぜこの辺境に日本に唯一のマリア像があるかと考え小説の着想を得た。

羅馬の大歓迎

2017-04-02 | 小説
☆五夜 羅馬へ
 その年の弥生中ごろに我らは、目指すパーパ(教皇)のお出でになられる羅馬にとうとう到着しました。何と長崎の港を発ってからすでに思い出せないような長ぁい月日が経っており、よくもここまで来たものだと我らの神デウス様に感謝を申し上げました。
先ず、イエズス会の本部で二百人余りの同志に拍手で暖かく迎えられました。
翌日は、いよいよパーパのグレゴリオ十三世にお会いできるので床につけてもなかなか眠れませんでしたが、早朝から身なりを整えて出発に備えました。食事が終わる前から通りは、人で埋まり大さわぎでした。我らをサン・ピエトロ大聖堂に案内する行列の人たちは、何と五百人余りもおりましたからパーパのお力の偉大さに驚きました。
パーパの騎兵隊と瑞西国の雇い兵百人あまりが先頭を切って進みました。大きなラッパのような楽器を持った兵士が、えろう大きな音を出して町中の人々に我らの来たることを知らせているのでしょう。道の両側には見物人が黒山のように押し寄せていましたから我らは日本国の若者として胸を張り前を見つめて堂々と進みました。
次には、従者を従えた枢機卿が、百人あまりも驢馬に乗って続きましたが、その衣装の見事なことには目をみはりました。驢馬の鞍掛けは金銀を散りばめた紫色の布が掛けられ、枢機卿たちは儀式で身に着ける衣装を着ておりました。その後には、深紅の衣装の枢機卿の家族たちや諸国の大使が続いていました。さらにしんがりにはパーパに仕える騎士と職員たちがおりました。太鼓を打つ楽団の先導で護衛兵が両脇を固めて、我らは見事な駿馬に乗って進みましたぞ。
 行列がテヴェレ川の橋を渡ろうとすると、祝砲が鳴り響き、サン・ピエトロ大聖堂の護衛兵が一斉に銃を撃ちましたから馬たちは驚いて行列を乱したほどです。
 後で聞くと、この羅馬でも未だかつてない大行列だったそうです。どうもキリスト誕生の時、お祝いにベツレヘムへやって来た東方の三人の王に我らをなぞらえたのではないかと思います。ジュリアンは高熱で行列は無理でしたからパーパに一人で先にお会いして帰って丁度我らは三人だったのです。

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