『黒マリア流転―天正使節千々石ミゲル異聞』

太東岬近くの飯縄寺に秘蔵の黒マリア像を知った作者は、なぜこの辺境に日本に唯一のマリア像があるかと考え小説の着想を得た。

連載『黒マリア流転』ー安土城の信長公

2017-03-24 | 小説
☆一夜=安土城の信長公
 巡察師ヴァリヤーノ様のお話では、信長公は、眼光鋭いお方で、大勢の家臣の並ぶ広間の隅には、我が国に初めて連れて来られた黒人の捕虜の大男が控えていたそうです。
 ヴァリヤーノ様が安土の城にお伺いしたのは、我らを西洋に連れて行くことをお願いでした。私が十二歳の秋でした。伊藤マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノの4人で同じ年でした。我らは、長崎のセミナリヨに入学した24名から選ばれたのは理由があるのです。
 マンショは日向国大友様、ジュリアンは肥前国中浦様、マルティノは波佐見城原様、我は北九州随一の有馬様一族でしたから、それぞれが切支丹大名の名代としてイスパニア王や羅馬教皇にお会いすることをヴァリヤーノ様が考えられたのです。この日本もエスパニアやローマのようなデウス様を信仰する弱い者や、貧しい人々のいない慈愛に満ちた天国にしたかったのでした。あの頃は、信長公のお世話で北九州に二十万人、その他に十万人の切支丹たちがいたのですが、まだまだ日本国全土ではわずかでした。しかも仏の教えを信仰する人たちが多く、戦さでキリシタンたちは、教会を焼かれたり、殺されたりしました。
 信長公は、キリシタンの教えと、神父の行いをお尋ねになりました。
「バテレンは、わざわざ遠いこの島国へいかなるわけで訪ね来るのか。金もうけか、それとも領土がほしいのか、奴隷の女子供を買うためか」
宣教師を束ねるヴァリヤーノ様は、次のようにお答えしたそうです。
「いいえ、わたしどもはこの世から領地を奪い合い、人々を殺しあう戦をなくしたいのです。悩みと病いや貧しさ、怒りと憎しみ、争いなどのあらゆる不幸をなくしたいのです。この世の領土争いをなくして、すべての領土と家来たちをデウス様お一人にゆだねたいのです」
「ふうむ、なるほど。戦をなくすには、王はデウス一人だけでよいのじゃな。この世の生きる苦しみをすべてデウスに代わってもらえばよいのじゃな。何しろ比叡山や石山寺の坊主どもにして
も民百姓をたぶらかし、金をまきあげ、余の命令に背いて徒党を組んで暴れまわる。
 出来れば余も羅馬教皇のような強き力を持ち、日の本だけではなく朝鮮半島や唐天竺までも
抑えたいと願っておる。若い者たちが遠い国々をようく見聞きし、我が国にデウスの教えを広めることは、えれぇ善いことじゃ。達者で、体に気をつけるべし。巡察師よ、日本へ帰国したらただちに安土に参れ。若い者たちを余の臣下に取り立ててやろうぞ。おお、そうじゃ、ローマ法王に安土の絵を土産にせよ。この安土は、どこにもひけを取らぬ世界一の見事な城と街並みじゃぞ」
 信長公は、脇に置いてある愛用の地球儀をなでながら言われたそうです。このお言葉を励みにして我らはヴァリニャーノ様の指図で渡航準備に入りました。