OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

神の必要証明

2017-04-20 08:55:08 | Weblog
大昔から、頭脳明晰な人たちが、神の存在証明なんて難しいことに挑戦していますが・・・とてもとても、わたしなんぞが関われる課題ではないので、今回お話したいのは、全く・・・ああ~、全くではないかもしれないけど・・・別のことであります。

そもそも、人間みたいにモノを考えたり感じたりする人格神ってものの存在を感じていませんから、神の存在証明に取り組む資格がないですしね(^^;。

ただ・・・にもかかわらず・・・神の存在の必要を強く感じるようになっています・・・それはもう、日に日に強くっ!!

たとえば、ニュースなどで残虐な行為が報じられているのを見たとき、歴史などで信じられないような悪逆非道なことが行われていたことを知った時・・・わたしのような自己中心的な人間でも「どうしてそんなことが出来るんだろう」と、人並みに心を痛めるのですが・・・

そのことについて、本腰を入れて考えてみると・・・なぜ、その残虐な行為がダメなことなのか、それをちゃんと説明できないんですよね・・・結局「ダメに決まってるでしょ!!ダメだからだめなのよ!!」って叫ぶしかないんですよね。

まあ、単純化すると「なぜ人を殺しゃいけないの」ってことに、ちゃんと答えられるかってことになると思うんですが・・・

ああ、もっと日常的にすれば、子どもに「なぜ。嫌いな子と仲良くしなくちゃいけないの」って聞かれた時、親としてどうこたえるかってことでも、本質的には同じだと思うんですけど・・・

なんていうか・・・要するに、わたしは、善悪については、案外、ちゃんと説明できないってことに気づいちゃったんですよね。損得でなら説明できると思うんですよ。でも、なぜそれは善いことで、なぜこれは悪いことなのか・・・それに関しては、どうしても説明が出来ない。

そういうこと、わたしはずっと自分の中だけで考えて来たので・・・選択ってことで、納得はしていたんですよね。神様に強制されなくても、自分が好むもの、望むもの、良しと感じるものを選択していけばいいと。というより、それしかないと。

けど・・・それだと、親になって、子どもを育てる時、困りますよね。子どもに、「すべては君自身の選択だ」って・・・それ、どう考えても、良くないですよね。

たぶん、わたしは思いった以上に、自分自身の中の良心、人間の中にある良心ってものを信じていたのでしょうね・・・だから、己自身の選択という時には『己の良心に従って選択せよ』ということだと、当たり前に思っていた。でも、その良心ってなんだろう・・・ねっ、そこですよね、問題は。

良心は、誰に教えられなくても、わたしたち人間の心の中にあると、それは今も固く信じています。だから、そういう意味では、神様に叱られなくても、世間に見張られなくても、法律に縛られなくても、自分の心にだけ従って善なる行為は出来ると思います。

けれど、良心同様、悪心も、わたしたちの心の中には生まれながらに備わっていて・・・自分の心だけに従えば、悪心の方が優勢に働くことだって大いにあり得るわけです。

だからこそ、我々の歴史の中で、色んな酷いことが平然と行われてきた・・・

いや、ほんと、一度考えてみてください・・・なぜ、人を殺しちゃいけませんか?、人のものを取っちゃいけませんか? 弱いものを苛めちゃいけませんか? 嫌いなもの邪魔なものを排除しちゃいけませんか? 

法律でダメと決められていて破ったとばれたら罰せられるからとか、情けは人の為ならずとか、そういう損得のことじゃなく説明、わたしは出来ないです。

ただ、唯一出来るとしたら、「わたしは、そういうの、すごく悲しいです」と、気持ちを伝えるしかないです。わたしの良心に発動してもらって、その感情でもって説得するしかないです。

でも、じゃあ、その良心って・・・もともと芽はあったにしても、どうして育てられたのかなって考えると・・・わたしの周りの人たちの良心によって育まれた気がします・・・で、その周りの人たちの良心の根源というか・・・集大成が、神様なんじゃないかと思うんですよね。

神様がいてくれたら、人は迷うことなく、良いことを良いこととして選択できる・・・他の人と、その価値観を共有できる・・・そして、時には行き過ぎがあるにせよ、他人に良いことを強制することもできる・・・ふむ

だから・・・より善き世界、愛に満ちた世界に向かっていきたいなら、われわれには神様の存在が不可欠だ・・・って思えてきたんですよね。

だから、もう、神様がいるかどうかなんか問うなと・・・問うたら拙いことになるから、そこはもう問うなと・・・みんなで神様は在るふりをしてでも、神様に助けてもらって、優しい世界を作っていこうよと・・・

きっと、何千年も前に、人類は、そういうことが分かっていて・・・分かっていなくても感じていて、神様に降臨願ったんじゃないかな・・・いや~、昔の人、スゴイですよね!!

それでも、そのシステムが悪用されて、優しい世界の為の神様が、戦いを強いるようなこともあったけど・・・いや、それは今も続いているけど・・・それでも、神様以上の、的を得た存在は、未だ生み出されていないですよね・・・ふむ。

ん~・・・それにしても、今、そしてこれから、どうするのがベストなのかな・・・昔に戻れっていわれても、それは無理だと思うし・・・かといって神様不在では、まだまだ混乱するし・・・以前、わたしは個の成熟ということを盛んに言っていたのだけど・・・それだけでは、全然足りないですものね・・・神様が担ってきてくださった役割を果たせる他の存在・・・そんなもの、これから我々は生み出せるものなんだろうか・・・まだまだ神様に頼るしかないのだろうか・・・

悩まし過ぎる課題でありますね・・・
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