コツコツ歩き隊!

庚申(2)

≪前回からの続き

庚申とは

「干支(かんし、えと)」、すなわち「十干(じっかん)」・「十二支(じゅうにし)」の
組み合わせの一つである。

十干とは、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・
己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)である。

十二支とは、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・
未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)であり、
干支は合計60通りの組み合わせで表される。

陰陽五行説において、庚申の年・月・日があり、
庚申の年と日は人の心が冷酷になりやすいとされた。

ちなみに庚申(こうしん)の日は60日ごとにめぐってくる。

庚申信仰の始まり

庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰があり、
おそらく8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行事が始まっていたと思われる。

守庚申とは

庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごすという行いである。

なぜ眠らないの?

中国の道教によれば、人間の頭と腹と足には、
三尸(さんし)の虫(彭侯子・彭常子・命児子)がいて、
いつもその人の悪事を監視しているという。
三尸の虫は、庚申の日の夜、人間が寝ている間に、
天に登って天帝(「閻魔大王」とも言う)に、日頃の行いを報告し、
罪状によっては寿命が縮められたり、その人の死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に
堕とされると言われていた。
そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、
この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、
その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。

三尸の虫を知りたい方はこちら。(ウィキペディアで姿を確認できます。)

守庚申から庚申待へ

やがて守庚申は、庚申待(こうしんまち)と名を変え、一般に広まっていく。
そして庚申信仰は仏教や神道と結びつき、「庚申講」が組織されるようになった。

「庚申講」とは

庚申待を行う集まりのこと。
村単位で行われた。
庚申会(こうしんえ)、お日待ちなどともいう。

なお、庚申待を3年18回続けた記念に建立されたのが庚申塔(または庚申塚)である。

庚申塔に彫られるものは?

仏教では庚申の本尊を、青面金剛(しょうめんこんごう)および帝釈天としているが、
主に青面金剛が彫られている。

青面金剛の画像はこちら。(Googleの画像でご覧ください。)

神道では祭神が猿田彦神(さるたひこのかみ)なので、猿田彦神が彫られることがある。
(庚申の「申」が猿田彦の猿と結び付けられたものと考えられる。)

猿田彦神の画像はこちら。(Googleの画像でご覧ください。)

また、申は干支で猿に例えられるから、
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることもある。

その他として、道標や村の名前、庚申講員の氏名を記したものもある。
また、「庚申塔」あるいは「庚申尊天」と文字のみ彫り付ける形式もある。

庚申塔の所在

庚申塔は全国的な分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られる。
特に旧相模国を中心とした地域では数多くの庚申塔が建立された。
なお、相模国には日本で初めて三猿が彫られた庚申塔(茅ヶ崎市輪光寺、市重要文化財)や、
青面金剛が彫られた日本最古の庚申塔などが残っている。

明治以降になると、庚申塔の数は減る。
理由は、まず第1に、明治政府は庚申信仰を迷信と位置付けて、
街道筋に置かれたものを中心にその撤去を行ったため、
第2に、高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって
残存した庚申塔も撤去や移転されることになったためである。

よって現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、
もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである。

相模国とは。
現在の神奈川県の北東部を除く大部分にあたる。

庚申信仰は今でも行われているの?

庚申信仰は今では廃れたが、親睦会などに名前を変えて、
今でも庚申待を行っている地方もある。

柴又帝釈天の「庚申の日」とは

柴又帝釈天(東京都葛飾区)の縁日は「庚申の日」とされている。
18世紀後半に題経寺(柴又帝釈天の正式名称)の本堂を修復している際に、
紛失していた帝釈天の板本尊が発見され、その日が庚申だったことにちなむ。
庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めている。

後記

私は今回のレポートで、何とか庚申塔の縁起が分かったように思います。
みなさんはいかがでしたでしょうか?
分かりにくかったら、すみません。

今後もし、庚申堂や庚申塔を見かけることがあったら、
どんなものが彫られているか、よく見てみようと思います。
もしかしたら、神社の狛犬のように、
それぞれになにか特色があるかもしれません。
また、当時の人々の思いに触れる良い機会になると思います。

今回は文章だらけの記事でした。
読むのが大変だったと思います。
読んで下さってありがとうございました。

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どなたが投票して下さっているのか分かりませんが、本当にありがとうございます。これからも頑張ります!

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