
昨日紹介したノーベル化学賞・鈴木章北海道大名誉教授の記事に、
「何もやらない人は(偶然に物事を発見する能力である)セレンディピティに接する機会はない。一生懸命やって、真剣に新しいものを見つけようとやっている人には顔を出す」
とありました。「セレンディピティ」という言葉をどこかで「見た」ことがあると思い、本を探しました。
以前も紹介したことのある
「思考の整理学」(外山滋比古/著)
にありました。この本を使って今日はその言葉を紹介します。
皆さんが何かを発想する際に役立つかもしれません。
やはりこの本は高校生や大学生、社会人にもおすすめの名著だと改めて感じました。
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セレンディピティ
遠くにいる潜水艦の機関音をキャッチしようという研究から、イルカの交信音をとらえた。
科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。ことにアメリカでは、日常会話にもしばしば出るほどになっている。自然科学の世界はともかく、わが国の知識人の間でさえ、セレンディピティということばをきくことがすくないのは、一般に創造的思考への関心が充分でないことを物語っているのかもしれない。
(中略)
ところで、このセレンディピティということばの由来が、ちょっと変わっている。
18世紀のイギリスに、「セイロンの三王子」という童話が流布していた。この三王子は、よくものをなくして、さがしものをするのだが、ねらうものはいっこうにさがし出さないのに、まったくよきしていないものを掘り出す名人だった、というのである。
この童話をもとにして、セレンディピティ(serendipity)という語を新しく造った。人造語である。
そのころ、セイロン(いまのスリランカ)はセレンディップと言われていた。セレンディピティというのは、セイロン性といったほどの意味になる。以後、目的としていなかった副次的に得られる研究成果がひろくこの語で呼ばれることになった。
(中略)
考えごとをしていて、テーマができても、いちずに考えつめるのは賢明でない。しばらく寝かせ、あたためる必要がある、とのべた。これも、対象を正視しつづけることが思考の自由な働きをさまたげることを心得た人たちの思い付いた知恵であったに違いない。
(中略)
寝かせるのは、中心部においてはまずいことを、しばらくほとぼりをさまさせるために、周辺部へ移してやる意味をもっている。そうすることによって、目的の課題を、セレンディピティをおこしやすいコンテクストで包むようになる。人間は意志の力だけですべてをなしとげるのは難しい。無意識の作用に負う部分がときにはきわめて重要である。セレンディピティは、われわれにそれを教えてくれる。
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<以前紹介した「思考の整理学」のページ>
「東大・京大で1番読まれた本」
「自分が独創的でなくてもいい」











