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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「蹴りたい背中」を読んだ。

2017-01-12 | _よむ__

「蹴りたい背中」を読んだ。
文庫版で読んだ。

とコンパクトダイアリーにも書き込んだのだが
「蹴」という字が心許なく、表紙を見返してしまった。
蹴ってないのか、日々?
文庫版には目次があって 作品名と解説文題名が並んで印刷されている。
解説文の著者名が分かるのにはそう動じなかったけれど解説文の題名まで記してあってその題に わ、現代国語設問みたいに突きつけられちゃったなあと初っ端からたじろぎつつ 読み始めた。

単行本は2003年に刊行、127万部。芥川賞発表号の『文藝春秋』も118万部。
とちゃんと解説に書いてある。便利だ。でも今は、2017年正月だ。
わー、蹴りたい背中 面白かったよ。と振り向きざまに誰かに話しかけても
あー、先週読んだよ。テレビで見たよ。買った買った。なーんて風に周りで打てば響くみたいに反応してくれるものでもない。
そんな時 解説 ってすごい。
今読み終わって感じているこの変な(!)ときめきを そうだろうそうだろう、そう来ただろう。ね?誰かと話し合いたいんだよね。私はこう感じましたオシマイで終わりたくないんだろう。え、何それ?こっちはてーんで違う感想だよ って突っかかって来てもらいたいんだろう。
っま、上記表現ちょっと暴走していますが 解説 は、そんな風に私にからんで来てくれた。

文庫版の発行は2007年。
解説ラスト3行部分の存在を2017年の今にも探してみたいような、そうでもないような
ココ、 そうでもないような 部分がけっこう大きいことにしみじみと驚く、読後感。
それが悪いと思ったわけではないけれど 歳をとったんだな、歳をとったんだな。。。

 

 

コメント
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