オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

彼らの罪をお赦しください

2015-10-11 00:00:00 | 礼拝説教
2015年10月11日 主日礼拝(出エジプト記32:30~35)岡田邦夫


 「今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください」。出エジプト記32:32

 今日はアイドルの話です。少し古い話ですが、シリーズ映画「男はつらいよ」は27年間で全48作品におよんだ、ギネスブックにのる世界でも稀な長寿作品でした。正月とお盆には200万を超える人々が映画館に足を運んだのです。俳優の渥美清が演じる「寅」はいわば国民的アイドルともいえる存在でした。あまりにも寅のイメージが定着して、渥美清は他の役が出来ず、寅一本になっていました。撮影所を入ってくる時にはもう、寅になって入ってくるというほどでした。格好いいとか、美しいとかではないけれど、寅は俳優と観客が作り上げた虚像、アイドルです。そういうものが人間には必要なのかも知れません。※ひとこと加えておきます。渥美氏の奥さんが熱心なクリスチャンで、彼は亡くなる直前に病床で洗礼を受けたとのことです。

◇悪しきアイドル
 しかし聖書はこう告げます。人は「神さま」を造ってはならない。モーセがシナイ山で神から、十戒とそれに伴う定めとが授けられ、民に告げると「主の仰せられたことは、みな行います」と答えます(20-24章)。再び山に登り、40日にわたって、神から「幕屋」の作成の指示を受け、十戒の刻まれた二枚の石の板も授けられました。降りて来るのに手間取っている間に、麓では事件がおきていました。
 民がアロンに願い出ます。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから」。そこで、金の牛を造り、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」と見せます。民は祭壇を築き、異教の祭りのように行い、飲み食いし、戯れたのです。第三戒は偶像禁止命令ですが、日本語では偶像ですが、英語ではアイドルidolと訳されています。初めに話しましたアイドルとは意味が違います。
 下山し、これを見たモーセは怒り、いただいた板を砕いてしまい、主の命令に従い、裁きを下します。レビ族を集め、この罪を犯したと、三千人を倒すという厳しい処罰を下しました。偶像に走った彼らを堕落してしまった、うなじのこわい(かたくなな)民だ、と怒られる神のみ思いを実行したのです(32:7、10)。皆さんが旧約聖書をお読みになれば気付かれるように、イスラエルの歴史は偶像及び偶像礼拝との戦いでした。偶像礼拝の究極は人身御供であったり、神殿男娼であったり、金儲けであったりと、十戒の殺すなかれ、姦淫するなかれ、むさぼるなかれを破るものです。恐ろしいことが事実、起こっていき、預言者らは悔い改めを迫りました。
 今日の聖書から問われているのは「神を造りたい」という動機です。他の聖書の言葉で言うならこうです。「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです」(ピリピ3:19)。口語訳だと、「彼らの神はその腹」。偶像はおのが腹からでたもの、おのが欲望の化身なのです。また、「従わないことは偶像礼拝の罪だ」、と言っています(1サムエル15:23)。口語訳は強情は偶像礼拝の罪に等しい、共同訳は高慢は偶像崇拝に等しい。こうした内面が偶像なる神を造っていくのです。
 私たちの周囲には目に見えた偶像があふれています。同胞が真の神のところに来て、イエス・キリストを信じ救われて欲しいと願うばかりです。と同時に、自らが、偶像礼拝に陥っていないか、聖餐で言われているように、自分を吟味する必要があります。そこで、真の神に帰り、ぶどう液に示されたイエス・キリストの血できよめられていくのです。愛をといたヨハネは手紙の最後で、「子供たちよ。偶像を警戒しなさい。」と締めくくっています(1ヨハネ5:21)。そうして、私たちは偶像から聖別されて、さらに、霊とまことの礼拝者となってまいりましょう。

◇良きモデル
 この章には胸をうつ話が出てきます。モーセのとりなしです。読んで見ましょう。感動します。モーセは、彼の神、主に嘆願してこう申しあげたのです。「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。また、どうしてエジプト人が『神は彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ。』と言うようにされるのですか。どうか、あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください。あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを覚えてください。あなたはご自身にかけて彼らに誓い、そうして、彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のようにふやし、わたしが約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれを相続地とするようになる。』と仰せられたのです」(32:11-13)。すると、主はその民に下すと言われた災いを思い直されたのです。
 一つの処理をして、なお、罪の贖いのために、モーセはとりなしたのです。。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください」(32:31-32)。自己犠牲となる覚悟のとりなしです。さばきの日に神が彼らの罪をさばくけれど、「しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。」と神は答えられたのです。
 モーセにまさるイエス・キリストが十字架上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ととりなしをされたことに思いをはせます。情けないほど、私たちはすぐおのが腹で偶像を造り、偶像に傾いていく、うなじのこわいものですが、事実、自らをとことん犠牲にして、取りなしてくださったお方がおられるので、とことん救われます。私たちはよきアイドル文化と悪しきアイドル信仰を見極めていきましょう。そして、聖霊に導かれて、偶像の中に生きている同胞のために、私たちも小モーセとして取りなしていきましょう。

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