オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

歴史には目的がある

2016-09-18 14:59:53 | 礼拝説教
2016年9月25日(日)主日礼拝(列王記下19:14~19、32~37)於宝塚泉教会・岡田邦夫

「わたしは自分のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守って、これを救うであろう」。列王記下19:34

 人生には三つの坂があります。上り坂、下り坂、そして、まさか(坂)です。そのまさかという事態に襲われた時、どう対応したらいいのでしょうか。そんな言い回しの祝辞を耳にしたりします。そのまさかが、ユダの国に起こったのです。強大なアッシリヤ帝国によって次々と国々が征服され、遂にエルサレムも包囲され、ユダ王国は陥落するのをただ待つばかりという国家存亡の危機でした。その時、敬虔な王ヒゼキヤがこの難局にどう向き合い、どう信仰によって乗り越えたのか、その軌跡、その秘訣を今日はお話ししたいと思います。私たちもまさかの大ピンチに見舞われることがあります。また、小さなピンチの場合もあります。いずれにしても、この聖書から学ぶものは大であります。なぜなら、これが重要ゆえに列王記、歴代誌、イザヤ書の三書に詳細に記されているからです。

◇最善をつくす信仰者
 すでに、同胞の北イスラエルの町々はアッスリヤの王シャルマネセルによって、攻め取られ、最後の砦、首都サマリヤも包囲されて、3年で攻め取られていました。南ユダ王国のヒゼキヤ王在位6年の時でした。この北イスラエル滅亡の原因を聖書はこう告げています。「これは彼らがその神、主の言葉にしたがわず、その契約を破り、主のしもべモーセの命じたすべての事に耳を傾けず、また行わなかったからである」(18:12)。

○人事をつくし
 その8年後、ヒゼキヤ39歳、BC701年に「アッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取った」のです(18:13)。ユダは小国、蛇ににらまれた蛙のよう、なすすべがない。そこで、ヒゼキヤは最善をつくします。銀三百タラントと金三十タラント、主の宮と王の家の倉とにある銀のすべて、神殿の戸および柱から自分が着せた金をはぎ取ってまで、アッスリヤの王に渡し、流血を避け、アッスリヤの属国になります。
 しかし、反撃の機を伺っていました。アッスリアにちょっとスキが出来た時に、反アッスリヤ同盟に加わり、エジプトの援軍を頼む一方、独立ののろしをあげたのです。

○忍耐をつくし
 すると、アッスリヤの王は大軍をエルサレムに送り、ヒゼキヤ王と住民を二回にわたって脅すのですが、要約するとこうです。
 …ヒゼキヤよ、お前が頼みとする者は何か。口先だけで戦争ができることなどと考えるのか。アッスリヤの王のわたしにそむいて、エジプトに援軍を頼んだというが、助けてはくれはしない。「われわれは、われわれの神、主を頼む」と言うのか。ヒゼキヤが宗教改革だとかいって、頼むべき高き所と祭壇とを除いてしまって、何に頼むのか(誤解)。なんだったら、馬二千頭を与えようか。でも、乗りこなす兵がいないか(皮肉)。お前の言う主なる神がわたしにこの地に攻め上ってこれを滅ぼせと言われたのだ(うそ)…。
 …ユダの民よ、アッスリヤ大王のお言葉を聞け。お前たちはヒゼキヤに欺かれるな。彼はお前たちを大王の手から救いだすことはできない。ヒゼキヤが「主は必ずわれわれを救い出される。この町はアッスリヤ王の手に陥ることはない」と言っても、お前たちは主を頼みとしてはならない。その言葉を聞いてもならない。和解して、降服せよ。そうすれば、穀物とぶどう酒のある地、パンとぶどう畑のある地、オリブの木と蜜のある地に連れていく。
 ヒゼキヤが「主はわれわれを救われる」と言って、お前たちを惑わしても彼に聞いてはならない。これまで、諸国民の神々のうち、アッスリヤ大王の手から救った神々はいないではないか。同胞のサマリヤを大王の手から救い出したか。「主」とかいう神がどうしてエルサレムを大王の手から救い出すことができようか。…
 聖書はこう記しています。「しかし民は黙して、ひと言も彼に答えなかった。王が命じて『彼に答えてはならない』と言っておいたからである」(18:36)。そのような圧倒される脅しにも屈せず、忍耐をつくし、沈黙していたのです。妥協をせず、切れることなく対応していたのです。「静まって(新改訳・やめよ)、わたしこそ神であることを知れ」の詩篇の言葉を思います(46:10)。

○祈りをつくし
 ヒゼキヤ王は「きょうは悩みと、懲らしめと、はずかしめの日です。胎児がまさに生れようとして、これを産み出す力がないのです。…この残っている者のために祈をささげてください」と預言者イザヤに求めます(19:3-4)。イザヤの答えはこうです。「そしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。見よ、わたしは一つの霊を彼らのうちに送って、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう」(19:6-7)。
 なお、脅しの手紙を主の前に広げ、ヒゼキヤ自身が祈ります。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください。セナケリブが生ける神をそしるために書き送った言葉をお聞きください。…主よ、どうぞ、今われわれを彼の手から救い出してください。そうすれば地の国々は皆、主であるあなただけが神でいらせられることを知るようになるでしょう」(19:15-19)。祈りをつくしたのです。
 イザヤは神の答えを告げます。一言でいえば、祈りは聞かれた。高慢なアッスリヤを引きかえらせ、ユダの家を守ると(19:20-34)。すると、み言葉通り、驚くべきことが起こりました。「その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた。アッスリヤの王セナケリブは立ち去り、帰って行ってニネベにいたが…」(19:35-36)。何という奇跡でしょうか。
 ヒゼキヤが人事をつくし、忍耐をつくし、祈りをつくした結果です。信仰者がピンチを乗り切る秘訣がここにあるようようです。

◇真実をつくす主なる神
 しかし、聖書は最後に神のみ旨はこうだと告げます。「わたしは自分のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守って、これを救うであろう」(19:34)。歴史には目的があるのです。神がご自身のために神の子らを救うのです。神のしもべダビデ、新約では神のしもべイエス・キリストのために私たちを救ってくださるのです。ですから、絶対に目的は果たされるのです。救いの歴史は確実なのです。教会の歴史も、個人の歴史も救いの目的達成に向かっているのです。
 ヒゼキヤが人事をつくし、忍耐をつくし、祈りをつくして、最善を尽くしたと話しましたが、律法の精神に「つくす」というのがありますね。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(申命記6:5=マタイ22:37)。ヒゼキヤはそれを実行したのだと私は思います。形にしたのですし、体験したのです。なぜ、心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよなのでしょうか。愛の神がそうだからです。エレミヤ書にこう告げられているではありませんか。「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた」(31:3)。
 とてつもない罪深い私たちを救うために、御子を犠牲にするほど、神は愛をつくされ、私たちがたとえ不真実であっても、限りなき愛をもって真実をつくしておられるのです。この圧倒的な恵みに自らすすんで答えていきたいものです。私たちは限りなき愛をもって愛されていると信じ、心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる神を愛する精神で、ヒゼキヤ・モデルに従い、どんなことがあっても、人事をつくし、忍耐をつくし、祈りをつくして、み前に歩んでまいりましょう。

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