公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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生成論2

2013-03-07 22:01:31 | 日本人
経験とはするものではなく、発見するものだ。と言うと頭が変になったと思うかもしれない。これは、経験の空白を体験したものでなければそれは語れないかもしれない。

現在とは経験を発見する場、すなわち過去の連続の上の断絶を生成することの時間的表現にすぎない。だから現在は本来的に自明ではない。ここが哲学の重要な分岐点になる。

経験は時間の経過のままではただの過去にすぎない。時というものに現在があると考えるのではなく、経験を発見する(ポイエーシス的)自己において、断絶し連続する矛盾的自己同一(Aは非A
、であるがゆえにAが成立する)を世界で初めて提示したのは西田幾多郎
だが、惜しいことに一つ徹底していなかったのは、(ポイエーシス的な)経験を発見するという作用が人間独自の脳の働きだということを見抜いていなかったことだ。すなわち経験自身が悟りでありかつ幻想でありうるという視点にかけていた。

存在論を作用として捉える日本人独自の生成論が西田哲学には貫かれている。しかしどうしても観念論の系譜であり、時代がかった存在論に引きずられている。そこに西田哲学の限界がある。もっと日本人の独自の思考にフォーカスしていたならば、ポイエーシス的という表現者の行為に限定すること無く広く日本人の心に共通する作用原理を結晶化できていたかもしれない。

話は飛んで、山本七平の本「日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヶ条」を読んでいる。小松真一氏の「虜人日記」に取材した21項目は以下のとおりである。簡単に紹介する
1、精兵主義の軍隊に精兵がいない。
2、物量 物資 資源 総てに米国に比べ問題にならない。
3、日本の不合理性 対する米国の合理性
4、将兵の素質
5、精神的に弱い
6,学問が実用化しない
7,基礎科学がない
8,電波研究の貧弱
9,克己心の欠如
10、反省なきこと
11、個人として修養していないこと
12,陸海空の不協力
13、ひとりよがりで同情心のない占領政策
14、兵器の劣悪を自覚し、負け癖厭戦気分に
15,バアーシー海峡の損害 戦意喪失の大量溺死
16、思想的に徹底したものがないこと
17,厭戦 国民が戦争に厭きていた
18、日本文化の確立の無さ
19,日本軍は人命を粗末にし、米軍は大切にした
20、日本文化に普遍性がないこと
21、指導者に生物学的な知識がないこと


これらに流れる日本人への絶望は比島に置き去りにされた小松真一氏の本音であろうし、山本七平の言うとおり、戦後の戦前批判に煽られたものではなく俘虜としてWPにあったときに書いたものであるだけに現場に迫真しているし、書物としてリアリティがある。特にバアシー海峡について指摘できるのはそこにいた人だけだろう。

日本文化に普遍性がないとする18,20は現代でもなお考えさせられる。比島を占領して、タガログ語もスペイン語も話せない状況下に5倍以上のゲリラ兵に囲まれて支配の虚構を信じていた日本軍は欺瞞の上に欺瞞を重ねた無思想の暴走でしかなかった。

本来なら、反乱軍が生じてもおかしくないほど劣悪な補給で比島の稜線を逃げまわるだけの「戦闘」が人倫の極限が崩壊する最後まで続けられた理由は何処にあったのだろうか?そこに革命という形で社会システムからはみ出すことのできない日本人の蹉跌を読み取る必要がある。絶望的であればあるほど日本人は合理的ではなくとも、せめてもの名目の美醜で収まりをつけるということだろうか。そいうえば福島第一の原発事故現場にいち早く行ったテントによる破壊された外観隠しはそれに近いかもしれない。

5の精神が弱いというのも気になる。日本人ばかりでなく長期の戦争を闘いぬくには曖昧にしてはならないことがある。それはアイデンティティ、還るところというもの。歴史的にはそれまでの勝ち戦が短期のものであったことと、徐々に日清戦争、日露戦争の国難救国から、急遽第一次大戦参戦という火事場泥棒的独領諸島利得の戦いに変化したことと精神性は無縁ではない。職業的な軍人でさえ数ヶ月の戦闘でけり(勝ちとは限らない)をつけようと考えていた。

生成論から随分と離れてしまったようだが、日本人は国土や風土が残れば精神が再生できるという特殊な感覚を持っている。逆に外地、非常時にあってはその風土感覚を失うからアイデンティティを日々生成できないという欠点を持っている。そこが精神の弱さといえば、まあそうだろう。しかしそれは焼け野原から蘇る強さでもある。外へ出て戦うには普遍性のある精神基軸が絶対に必要なのだ。

25万人を無策防御でバシー海峡に米軍潜水艦の標的にして、無駄に死なせた軍の作戦は、無意識に欺瞞を自分のアイデンティティに組み込み既定路線の定常性にのみこまれ、その維持に流された精神の弱さ(特異性)を物語っている。

続く

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