公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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かつて読んだ 『されど我らが日々』 柴田翔

2020-03-02 09:39:00 | 今読んでる本
30年数年ぶりに柴田翔の「されど我らが日々」を読んだ。柴田翔は存命であり、大学で教えている立場か、引退したかだが、私がこの小説を読んだのは大学の寮生の時だった。ずっと前のことである。買ったわけではなく、文庫化されたばかりだったので、通過儀礼で同室の同級生のものを借りて読んだというだけだった。だから全くといっていいほど内容を忘れていたが、ただこの小説の違和感というものが、印象に残っていた。この違和感が柴田翔らの東大卒業者の病に由来することが理解できる年令になった。
センスの良い写真をお借りします)
冒頭に主人公が古本屋でなにげなく出会い買ってしまうH全集とはヘーゲル全集のことだろう。その他のイニシャルもわざとわかるようなS電鉄やI商事になっていいる。それはなぜか、50歳を超えた自分は明確に作者のエリート風情を感じ取った、将来を約束された者達の幸福に関する自らのレベルを示しているからだ。



六全協*とか、山村工作隊、地下に潜った佐野の挫折、金持ちの悩みなど、友人の自殺女性関係も含めて、所詮はどうでもいい挿話なのだ。主人公の最初のH全集との出会いと、それを手にして、つかみとった後の喪失感がすべてを語っている。こちらが核でその他は周辺事象なのです。
その構図はデビュー作とも言える前作「ロクタル管」と同じで、幸福感のすぐ後から忍び込んでくる背中の悪寒とおなじモチーフだ。特殊な喪失感こそがこの小説の全てだ。男女の問題でも政治の問題でもない。永続すると信じていたエリートとしての幸福に関する興ざめがテーマである。
*日本共産党 第6回全国協議会は、1955年7月27~29日に行われた、日本共産党がそれまでの中国革命に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の武装闘争方針の放棄を決議した会議である。「六全協」(ろくぜんきょう)と略して呼ばれることも多い。

H全集がヘーゲル全集であると決め付ける自分にも幾分かはそのような意識の流れがあるだろう。ヘーゲル哲学を知らなければならないとその1977年頃の私も考えていたし、小論理学は読破していた。しかしながら私が学生の時に『されど我らが日々』をななめ読みして感じた違和感は正しいものだと今思っている。

今にして思えば、違和感は主人公たち"エリート"の考える幸福度の定め方だ。暴力革命組織**であれ一流企業であれ、柴田翔の描く主人公は既存社会にハマるだけで幸福な地位になれるはずだったと描いている、学者、革命家、エリート会社員などなど登場するのは皆同じ既得幸福感の信者たちだ。5当6落という受験競争を経た彼ら(少なくとも当時の若者)には、自ら創造する人生というものがない。今にして思えば、能力は高くても全く違う人種だということが理解できる。柴田翔より10歳年下の全共闘世代はもっと違う混沌とした時代を生きた。同じようでいて違う左翼世代の体験を比べてみると、1968~69年はもっと党派が入り乱れ、いまでいえばフェス風のノリ演説とゲバルトの融合、フェスの終わりのようにさっと消えた騒動という虚しさがより深くても無責任がそれを覆い隠している。

**ゲバルトが出始めた時には、その意味が十分判っていなかったという気がする。僕がそのとき考えたことは、ゲバルトは国家の暴力装置に対抗するための対抗暴力として出てきたと理解した。僕はたとえ対抗暴力であってもゲバルトには反対だったけど、現象としてはそう理解していた。ところが大学の教師である自分の目の前で学生たちがゲバ棒を振りまわしているのを見ているうちに、そういう側面もあるけれどもそれはいってみればタテマエと判ってきた。そうではなくて、連中はゲバ棒を持ちたいから持っているんだ、ゲバ棒を振り廻すこと自体によろこびを感じているんだという気がした。これは良い悪いの問題以前に、まさに現実としてそうだということが見えてきた。ところが戦後日本近代、戦後民主主義が前提にしていた人間観の中には、それが含まれていなかった。人間は本来理性的動物であって、暴力衝動などは、その人間観の外へ追いやられていた。 — 「全共闘―それは何だったのか」現代の理論社:1984年刊:148頁)


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