公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

時間とは 運動とは 精神時間とは 『人は宇宙をどのように考えてきたか―神話から加速膨張宇宙にいたる宇宙論の物語』

2019-11-23 22:47:00 | 今読んでる本

運動を時間の函数、慣性系あるいは回転系として記述することに慣れているが、宇宙全体を物理的に概念として扱う時には、時間というものを定義することは困難になる。そういう困難を避けるためかライプニッツは時間を物質の属性と考えていた。そういう場合、私は情報量当たりの変化量を運動(IKC速度)から時間(IKC時間)と定義すべきと考える。物体がある一点に関して凝集した情報と見れば、通常のガリレオ以来の運動と変わらない質点である。ガリレオにおいてもニュートンにおいても時間は運動によって定義される自己撞着的な任意のパラメータだから宇宙の真体を表していない。時間は運動とは相互作用しないパラメーター概念である。このことから時間は実体として実在しないと言える。これを疑問に思わない物理学は学問として中途半端である。
その値がプランク長と真空中の光速によって一意に定まるプランク時間もまた、今のところ意味不明なパラメータである。なぜこの宇宙がその値になっているか説明する一般化理論がない。時間はマクタガードの言を俟つまでもなく、実在(相互作用)ではない。私たちに世界を映すためのパラメータである。
あるいはバーバーの言うように時間は終わりを迎える可能性がある。素粒子には寿命がある。その先の宇宙は運動さえ定義できない。


観測可能な宇宙の推定の大きさ(共動距離:直径 930億光年 = 8.798×10の26 乗m)は、5.444×10の61 乗プランク長(プランク長1.616229(38)×10−35 m)である。宇宙の素粒子粒子数は銀河の数から推定すると10の80乗であり、未発見の銀河があったとしても10の90乗前後だろう。単純に原子一個の情報が1と考えると情報あたりの宇宙情報密度はざっとプランク長の10の30乗分の一ということになる。四つの力による相互作用が届かない(重力は微弱すぎる)プランク長の中に億の兆倍の兆倍の微細な情報構造があったとは精神世界の大発見であろう。つまり我々がどうあがいても届かない情報世界が物質の間に存在している。ある意味これは物質のように消滅しない世界であるから浄土とも言える。

量子間のモツレを考慮すると情報はグラフ数であり、単一粒子数よりはより情報量は増え、微細な構造(遅い"速度")の運動からなるのが情報運動宇宙 info kinetic cosmos あることは間違いない。さらに言えば、単なる情報運動ではない自発的計算機として数学的に宇宙が機能を自己加速している可能性がある。宇宙の微細構造の中には非常に遅いIKC時間がある。それは現世と呼ばれる宇宙と全く矛盾せずに共存できる。これこそが神の時間である。

宇宙には人間の意識(クラスター入力による学習の強化:樹状突起上での非線形的な加算を促すため、個々のニューロンが持つ演算能力を高める。この演算能力獲得が可塑性によって生じることから、クラスター入力は記憶・学習能に関わる基本的な生理メカニズムであると考えられている。2012年時点の知見)に相似した(最初はランダムな入力、偶然に重なりあう入力の強化、重なりのない入力の劣化)三段階演算強化構造の巨大な多層解釈の量子関数が先にあり、その一部が今、私たちの肉体、物質に連結している。生命はこの宇宙意識の後からできた。これが私の結論だ。

* Helge Kragh (1999-02-22). Cosmology and Controversy: The Historical Development of Two Theories of the Universe. Princeton University Press. pp. 212

『人は宇宙をどのように考えてきたか―神話から加速膨張宇宙にいたる宇宙論の物語』―2015年12月― Helge S. Kragh 著・竹内 努・市來 淨與・松原 隆彦共訳 共立出版

ここで情報当りの距離変位は物理的に何を示すかというと、伝統的慣性系で考えれば情報は質点に凝集しているので、慣性系では何も意味しない。物理学とはそういう出発点からの伝統学問であるからこれで良い。

しかし情報当りの距離変位は精神的な心理時間の速度に相当する。川上哲治が絶頂期にはボールが止まって見えてその縫い目まで見えたというのはこういう心理時間の速度を意味する。精神世界を info kinetic cosmos 情報運動宇宙に含めると、物質世界より遥かに大きな情報が物質粒子間の最短距離の中に稠密に詰まっている。精神的世界が物理的世界の中に詰まっている。つまり宇宙の物質の間には非常に遅いIKC速度の精神時間が詰まっている。

人間が生きている間の物質世界は泡の膜に棲んでいて、泡自身を認識できな二次元カエルような存在である。この精神世界を含む物理学で精神時間を採用すると観測者を置かないやり方で量子物理学を扱うことができる。重力理論と量子力学の統合を目指す超弦理論の方程式を解くと、10の500乗個ともいわれる大量の宇宙が存在する解が出てくると言われるが、それはむしろ当たり前である。可能な世界の中の人間フィルターが時間軸を認識するのであって、別の次元を認識するフィルターがあって、稀にそこが見える異星人が居ても不思議な事ではない。何故なら彼等は同時に別の平面ガエルとして生きているのだから。

圧倒的な差と物質世界は無限計算される精神=情報と数学の世界に比べればスカスカであるということがわかれば、今はそこまでの理解まででよろしい。

もう少し進めるならば、無限計算の一部である第三の直感の行為性(有限性)を自覚しつつ、時間が止まっているかのように静寂で、自在無限の世界(明鏡止水)に漕ぎ出すということに本当の物理学と精神世界の統一がある。

死後の世界がありかつ客観的に認識できる状態で存在するのであれば、その世界の中で時間という、生きているときはとても便利だったパラメーターが逆に無意味になる。私達の4次元の世界の中に隠れた次元があるのと同じように、隠れてしまった時間という次元(パラメーター)は人間が情報だけの状態になった、肉体を失った直後から無意味になる。
おそらく私は情報の軽い物質はほとんど流星のように過ぎ去る中に立ち、そこに広がるのは情報の重い世界が中心にあるinfo kinetic cosmosであろう。なぜなら宇宙が己自身を知るという永遠の活動目的=情報ビックバンメカニズムの一部として魂は存在し、我々はこの世に生まれ、死後宇宙の一部に還り情報を持ち帰る役目なのだから。なぜ生き物は死を迎える運命なのか、当たり前すぎて人々が疑問を持たなかった物質世界の設定であったが、これでなぜ死すべき運命の魂がこの世にやってくるのかプラトン以来の疑問が解けるであろう。



野際陽子 追悼



岸惠子
メメント・モリ: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。

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