公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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エックハルトとオッカムとヒッグス場

2013-02-09 10:23:00 | 日記
「神は被造物において自分自身を存在として認識する」エックハルトにとって神は唯一であっても、無に対して相対的なものにすぎない。なぜ天国が心貧しき者たちのもので、心貧しき者達が幸いなのか?エックハルトはここに最大の疑問をおいた。こころ"うつろ"であることが幸いであることは、神に愛されているということにほかならない。とエックハルト彼は考える。

ここにエックハルトによる真実の倒置がある。真実は倒置されても依然として真実であるという確信がエックハルトにある。

神の愛の恵みを敬愛することを超えて神に愛されるということに最高の価値を置く、神のうちで「神、ともに悩み給う」のを喜ぶという発想は当時としてはすごい離れ業の論理である。しかし惜しいことに彼はキリスト教の価値体系の中では異端で終わる。 1329年エックハルトの命題は異端の宣告を受ている。マルチン・ルター登場のずっと前のことである。

wikipedia
マイスター・エックハルト(Meister Eckhart, 1260年頃 - 1328年頃)は、中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者。
エックハルトは、ドイツのテューリンゲンにて生まれる。タンバハという村で生まれたと推測されている。 パリ大学にてマイスターの称号を受ける。トマス・アクィナス同様、同大学で二度正教授として講義を行った。 ドミニコ会のザクセン地方管区長やボヘミア地方副司教等を歴任した。 1326年ケルンで神学者として活動していたエックハルトはその教説のゆえに異端の告発を受け、これに対し「弁明書」を提出。 当時教皇庁があったアヴィニョンで同じく異端告発を受けたウィリアム・オッカムとともに審問を待つ間(もしくはケルンに戻った後)に、エックハルトは没した。 その死後 1329年、エックハルトの命題は異端の宣告を受け、著作の刊行・配布が禁止された。 これによって彼に関する記録はほとんどが失われたため、その生涯は上記の「弁明書」等から再構成されるのみであり、不明な部分が多く残されている。
wikipedia 引用終

この世を肯定するか否定するかで宗教とその信仰は大いに異なったものになる。初期のキリスト教とその後の教会教区キリスト教は全く違った信仰に基づく宗教である。

しかし信仰もまた、リアリティの再構成を行う一つの脳の仕組みであって、その意味において信仰は私たちの日常の五感と変わりがない。エックハルトが倒置したように、この世に神がなければ、あの世や来世にも神はない。リアリティのなかに神がなければ、人間がいないのと変わりがない。神が五感の一つというのは日本人にはわかりにくいかもしれない。仮に”恥”が五感と並ぶ感覚と言えば、我々にも容易に理解できるのではないだろうか。

皮肉なことだが、エックハルトと同時に異端とされたウィリアム・オッカムもまたリアリティについて<科学のみが神を唯一の存在論的必然物とみなすことができる>として異端追放された。14世紀の初頭に少なくとも一部の人類が考える哲学上のリアリティと神の問題は現代と同じ水準に達していたことが理解できる。

日本人は歴史的に隔離されていたが、マルチン・ルターらに始まる宗教改革期に、信仰をリアリティから独立させた純化傾向はむしろ哲学的退廃、信仰によるリアリティあるいは実存の破壊というべき事件だろう。新教はあまりに信仰を純化しすぎたために、20世紀には裏返しの実存主義まで必要になった。

エックハルトもオッカムも聖書という2次情報に依らず、直に神とともにあることを望んだ最後のキリスト者と思う。聖書によらず、加速器で神とともに並ぼう(ヒッグス粒子の分離)とする現代の物理学者は、その自覚はなくとも、時代を超越したオッカムの剃刀の正当な跡継ぎたちである。

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