見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

お百姓の仕事始め

2017-01-04 23:08:24 | 自然農業

 お百姓さんの仕事始めっていつなんでしょうね。
 自給的なお百姓さんなら、しておいた方がいい仕事があれば、元旦からでもされるんでしょうか、それとも、先送りしてせめて3が日は休まれるんでしょうか?
 そんなことを考えるでもなしに考えた末、一般世間に合わせて今日から仕事始め。ということにしました。

 とはいうものの、生業としての仕事を持たないサンデー毎日の僕ですから、深刻に考えることでもなく、昨日は、青くなったり赤くなったりしながら、昨年のいくつかのイベントの清算準備をしたんでありますが。
 これって、持ち出しの完全ボランティアですが、これも仕事と言えば仕事になるんでしょうか(^^;;

 というようなグダグダは置いておき、百姓としての僕の仕事始めは残していた大豆の脱穀。
 今日で作った大豆の脱穀と選別作業はすべて完了。仕事始めが仕事納めみたいな(*^^*)。
 白、青、黒の大豆、〆て45キロほど。これでも皆さんと作るお味噌づくりにはちょっと足りない。
 ただ、部屋仕事でまだ手付かずで残っているのが、先送りを繰り返すゴマの選別。考えるだけでも・・・

深い人間性が響きます
 そんな仕事始めの合間、湯川秀樹博士のエッセイを読んでいますが、博士の深い人間性が響いてきます。
 先ずは、面白いなあという話。ただ、自分で書いてみるとあまり面白くない(^^;; でも、、、

 マックス・プランクという大物理学者がベルリン大学で学んだ時、当時の世界を代表する物理学者ヘルツホルムとキルヒホッフから学んだが、どっちの先生も自分に有益ではなかったと自伝に書いているんだとか。
 ヘルツホルムは、授業の準備を十分しないので、時々詰まる。途中でノートを出してみたりで講義がスラスラ進まない。黒板で計算するとよく間違える。てなことで学生がどんどん減り、最後には自分を含めて3人になったと。一方のキルヒホッフは、水も漏らさぬ完璧な講義。まるで記憶された教科書。単調で面白くなかったと。
 湯川博士の直弟子と名乗る理論物理学者の保江先生は、湯川博士は論理的なことがあまり得意でなく、時々授業で間違いを学生に指摘され、数学者の岡潔先生に聞きに行かれたというエピソードを紹介されていますが、こんなことを書かれていることを知られたら、プランクの自伝の話、どう書かれたんでしょうね(*^^*)

創造力、感受性
 次に、博士が学んだ京都一中、世間一般の風潮や他の学校に比べ、生徒の「自由」を尊重していた。
 当時の校長の森外三郎先生は、極めて自由主義的な方で、始業式などに際して諸君はしっかり勉強すべしというようなことを一言二言いわれるだけ。無口ではあるが聡明さと温情の十分感得される校長に尊敬の念を抱かざるを得なかったと。
 校長は、故あって三高に転任され、博士が7年間自由の精神に培われたことは一生の大事だった。人が創造的な活動をなしうるのは、人に大いなる自由が与えられているからと考えられると。
 いかにはみ出さない子供にするか、みたいな今の教育のありようを考えさせられるお話じゃないかなあ。

 最後、「徒然草」を紹介され、兼好法師の美の世界は、えもいわれぬ「におい」がただよわないと完結しない。
 その時代から600年、「におい」の占める地位ははるかに軽くなり、その感受性もずいぶん衰えたようだと。
 取り組む人のほとんどない「におい」も科学の研究対象で、研究がもっと進めば生活に新しい喜びと豊かさを与えてくれるかもしれない。ただし、臭覚が衰えすぎないうちでないと手遅れになるかもしれないと。
 このエッセイから50年余、研究は進んで人工的な「におい」が溢れる時代になり、きんもくせいの横を歩いていた幼稚園の子どもがお母さんに、「あっ、トイレのにおい!」と教えた。はてさて(^^;;

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