そうか!割り箸が名刺で切れる、誰でも切れる。子どもは特に切れる。
僕は、やったことがないからわかりませんが、たぶん切れるだろうなぁ。でも、怖いからやりません(^^;;
たぶん、どう書いても誤解されるんだろうなあ、と思いますが敢えて。
ひょっとしたら、それって僕の役割かもと思えるからなんですけど、そこも誤解されるんだろうなあ(^^;;
で、このことって、特に行政関係者にとって絶壁なんだろうなあ。割り箸、絶対切れないだろうなあ。
“権威”と言われるものの中心軸、社会というコマの芯ですからね。というか、ひとまずそうなっている。
解は自分の中の筈、だけど
今日は、二人の方と話す、これが全てのプログラム。
最初の方との話の核心の一つは、行き詰っていると思える社会と自分の関係性をどう考え、その社会に対して自分は何をなしうるかってことなんですが、普通は、相手が大きすぎて、無理だと思っちゃう。
ところが、橋本治は「負けない力」の最後に、普通の日本人は解を外に求めるから、自分と社会という対比で考えるが、社会は一人、また一人。自分とその一人という対比で考えると違ったものが見え、自分ができることが見える。かなり、表現が違うんですけどね。解は自分の中にあるんですよね。
そうはさせない仕掛けが縦横にめぐらされている。
特に、教育って個性重視とか言いながらそうじゃないシステムがガチガチに施されている。
それは、子どもの都合なんかまったく考えてなくて、国や文科省の都合、教育委員会の都合、学校の都合、管理職の都合、先生の都合でできてるんだろうなあ、と思わずにいられない。
その上に、親の都合や議員の都合何て入ってきたりして(^^;; 子どもが壊れないのが不思議。
全ての物に神が宿り、全ての物に意識がある
この本を閉じた後に手に取ったのが、東大医学部大学院の教授だった矢作直樹先生と裁判官判事や大学教授を歴任した稲葉耶季さんの対談「こっちの世界、あっちの世界」。
ここで、予定調和じゃないけど、チラシに名を連ねることになり運営スタッフになった1/28開催の「山元加津子講演会」と彼女監督の「銀河の雫」上映会、この映画の主題はこの本とシンクロ。
動物や植物だけではなくてすべてのものに意識がある。ネパールが舞台の映画では、全てのものに神が宿るですが、お二人の対談本にも、石にもコップにもパソコンにも意識があると。
そう考えると、医療は相当違ったものになる。矢作先生は、医療現場からそれを実感して発信している方ですが、この本では、それを学生に伝える必要があるが、学生の意識の壁が邪魔をするというんですね。
そりゃそうですよ。知識の蓄積こそすべてに勝る価値、というのが今の学校教育のベースでしょうから。
しかし、量子論ではその意識の壁に邪魔されるものが説明できるというんです。保江先生の仰る素領域理論と置き換えれるんじゃないかと思えるのですが、頭悪いからわかりません。
だからスプーン曲げもハガキの割りばし切りも当然。ただ、エビデンスを持ち出すと切れないんだろうなあ。
常識の壁、意識の壁、自我の壁
これって、橋本治とクロスするんですよね。
論じる視点は違うし、次元も違うように映るけど、考え方って一緒だよなあと思えるのです。
常識の壁、意識の壁、言葉を変えたら自我かなあ、これを超えたところに人類の新たなる地平が拓けるんだろうなあ。自然体、あるがままに生きれたら最高だよなあ。
あっ、蛇足ですが、完全米飯給食を推進する皆さんが、雲南市のお偉い皆さんにお願いに行ったところ、エビデンスを示しなさいと言われたのだとか。
幕内秀夫さんは、エビデンスを翻訳すると「やる気がない」ということだとバッサリ。
たった数%のわかったことを盾に、歩を進めない、特に日本独特の「長いものに巻かれろ」主義。創造力や感性を発現させるって、多くの彼らにとってはタブーなんだろうなあ。
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