ヌチドゥタカラ「命こそ宝」

ヌチドゥタカラとは、沖縄の言葉で「命こそ宝」の意味。脱原発と反戦。命こそ守らなければならないもの。一番大切なもの。

東海原発再稼動差止め裁判口頭弁論で原告の陳述をしました。

2016-10-15 07:03:35 | 日記
東海第2原発再稼動差し止め裁判の第15回口頭弁論が、10月13日2時半より水戸地裁301号法廷において行われました。
午前11:00より「原告団集会」も開催されて、今後の取り組みについて話し合いがなされましたので、神奈川や東京からも参加された皆さんとともに一日掛かりの行動になりました。

今回私は、原告として被害論の弁論陳述をさせていただくことになっていて、生まれて初めて裁判所の証言台に立って話をしました。多分もう二度とないことだと思いますが・・・。

当日資料として渡された陳述書は、長くなりましたが下のほうに載せさせていただきました。
写真はインターネット上にあった法務省のホームページにある法廷の模様です。


いちばん上段に裁判長と裁判官2人が座っておられて、右の方には被告団が10数名座っていて
左の方に原告団が17名ほど座りました。
前回傍聴席に空席があったということで、裁判所からきつい叱責を受けたそうですが、今回は増やしていただいた傍聴席に入り切れないほどたくさんの方が来てくださいました。

話し始めると、裁判長が「どうぞ座って話してください」と言ってくれたのだけど、椅子はありません。
「椅子がないのでだいじょぶです。立って話します」といって話し始めると、わざわざ椅子を運ばせてくださったので、途中から座って話しました。
証言台に立つと目の前に裁判長の顔があります。折からの体調不良もあり、かなり緊張していて肩がぎゅっと詰まってきて、どうなるものかと思いましたが、気を奮い立たせて最後までなんとか話しました。
終わったらほっとすると同時にどっと疲れを感じました。
本当は5分という持ち時間のはずでしたが、15分近く話したようです。
自分としては夢中だったので、ちょっと短すぎて言い足りなかったと思っていたぐらいです。

終わった時、裁判長から弁護団に向かって「ただいまの陳述では、準備書面にないことがずいぶん話されましたが、どうなっているんでしょうか?」と声をかけられました。

弁護団の当日のチーフとおぼしきM弁護士さんが、いろいろ言い訳をしてくださって、格別それ以上追及される事はありませんでしたし、裁判長はそんなに怒っている風でもありませんでしたが、私の担当の弁護士さんはカンカンになって怒っています。

なんと、準備書面に書いていないことは話してはいけないのだ!
ぜんぜん知らなかった!

もうすでに被告側にも原告側にも当日陳述される資料はプリントして渡されているので、
それを説明するだけだったら大した意味がないような気がして、書いていないこともずいぶん話してしまいました。

今度のことで、被告側がいつも一言も言葉を発しないのも初めて理解できました。
普通の裁判というのは、被告側・原告側のそれぞれ書面が出されて
言葉が発せられることもなく、それで終わってしまうものだそうです。

陳述書は5月から書き始めたのですが、あれも言いたいこれも言いたいという思いで、あとで削るにしてもともかく「これだけは」というものを書き出してみると、A4版4ページにびっしり、7600文字余りになっていました。
ともかく陳述書が出来上がるまで、自分としては相当のエネルギーを使いました。
弁護団とのすり合わせも必要だと言うことで、6月の口頭弁論には間に合わず、10月まで持ち越すことになったのですが、途中で「保養事業」に絞って書き直すように電話で言われました。

私が原告弁論をしたいと申し出たのは、被害論の中でも被ばくによる健康影響の部分を訴えたかったからです。
要するに放射能がどんなに生命を傷つけるか!どのような毒性があるか!という部分です。

どんなに放射性物質が撒き散らされようとも、被ばくによる被害が起きないのであれば、その他の災害と変わらない有限的な問題しかないといえます。
他にいくらでも安価で安全な発電の方法があるのに、事故が起きた時のための避難計画が必要な命がけの電気など、要らないし、生命を危険にさらしながらでなければ達成されない経済的発展を、私たちは望んでいないということを訴えたかったのです。

そういう意味で、「保養」に絞った弁論をせよということには、最初から物足りない思いを感じていました。

今年の7回目の福島応援プロジェクトの保養キャンプが終わって、お盆の繁忙期を過ぎた頃、改めて陳述書を書き直して、ようやっと、なんとかまとまったのは8月の末でした。

一言も言葉を発しせずに弁論が終わってしまう「口頭弁論」と言う場が
通常であるという裁判のあり方も、原告として参加して初めて知ったことです。

提出した書面を生の言葉で伝えるのは、まったく説明しないよりは
勿論意味があるでしょうが、書面の説明だけというのは物足りないです。

準備書面にない発言は、記録に残らないのだそうですが、裁判官や証言台にあるマイクは
記録用なのか拡声装置にはつながっていないため、裁判長の声や原告の弁論でも小さな声は
傍聴席の後までは届かない場合もあります。
もともと声は小さいほうでは無い私でも
後まで聞こえるようにと思って話をするのは、体調によっては結構しんどいです。

1回の口頭弁論を行うために相当の整理要員が配置されている裁判所。
それだけの人件費をかけているんだから、
拡声装置に繋げて傍聴者の聴く権利を確保したり、音声記録なども使って記録を
充実させてもいいではないですか。

裁判にはいろんな問題があるということが、
原告となって参加し、自ら陳述して感じることが多々ありました。

そもそも裁判所の人事権が内閣や政府に委ねられているということが
司法の独立を妨げています。国によっては裁判官が選挙で選出されるそうです。
日本のようなあり方では、自分たちの出世がかかっているんですから、裁判所が国の方針に逆らうということは、
なかなかできにくいのではないでしょうか。

でもやったからこそ出てくる情報がありますし、心ある裁判官も中にはいらっしゃるので
裁判は無駄ではないし、何より各方面に正しい情報と私たちの主張を伝えるという意味で
これからも、私たち原告団は全力で当たらなければなりません。

そして今、わたしたち再稼動差し止め裁判で何が討議されているのかを
多くの人に伝え、賛同の輪を広げていかなければなりません。

13日の午前中からの「原告団集会」において、今後の取り組みも話し合われました。
L3廃棄物敷地埋立問題について、原告の荻さんから説明があり、今まで
わかりにくかった所もよく理解できました。皆様の取り組みに感謝いたします。
原告団のパンフやチラシについても今から検討していくそうで、
裁判の応援団を増やし、今後賛同人を増やす活動も、もっと取り組んでいかなければなりませんね。

原子炉稼働20年延長を目論む原電を止めるには
2017年8月から11月がヤマ場となるそうです。

もし裁判に勝てなかった場合には茨城県にとどまらず原告の居住地分布によって
栃木・千葉・神奈川・(東京も?)などで仮処分申請の準備も
あらかじめ心掛けておかなければならないという提案もなされました。

報告が長くなりましたが、下記の私の陳述準備書面の後ろのほうに当日付け加えた部分も加筆してあります。
お時間があったら読んでみてください。


「福島応援プロジェクト茨城」の保養事業
                                事務局長 小張佐恵子
私たちは2011年原発事故が起きてすぐ脱原発の署名活動を始め、7月には脱原発ネットワーク茨城と言う団体を仲間とともに立ち上げ、学習会や講演会、上映会、デモなどのアピール活動に取り組んできました。広島の被爆を経験し核廃絶のための運動をしている友人から、様々な話を聞いて学んだことをきっかけに、原発のためにウラン採掘現場から始まる放射能による被ばくが、どんなに地球上の生命を脅かす恐ろしいものかということを知っていたからです。

テレビから流される「直ちに影響はありません」という言葉を聞いて、原爆被害者、ビキニ事件の被バク者、水俣の公害被害者と同様に、政府はごく限定的な救済しか行わないで大多数の被害者を見捨て、被害を過小評価するのではないかという恐れを抱きました。

 福島の子どもたちが外遊びもできず、プールにも入れない状況だと聞いて、保養キャンプの実施を決意しました。子どもは放射能の影響を大人の10倍以上受けやすく、大人に比べて影響が早く出るけれども、放射性物質の体外への排出が早く、DNA修復作用があるので、一定期間汚染地から離れ、安全な食べ物をとることで健康を回復させることが期待できる。それが保養事業です。
チェルノブイリ原発事故後、日本各地でロシアからの被災者を受け入れ支援する「チェルノブイリ子ども基金」などのNGO活動の報告によって、保養の必要性と重要性を聞いていたこともあり、たとえ短期間でも自分たちにできる支援活動によって、楽しい時間を過ごさせてあげたいと思いました。
市民活動のパートナーである長田満江さんが代表になって、募金を呼びかけ、「福島応援プロジェクト茨城」を立ち上げて、8月に3泊4日の初めての保養事業を実施したのです。参加者の費用負担は求めず、 1人の母親と19人の小学生が参加し、大変喜ばれました。7回目になる今年の保養キャンプは、15人の小学生と2人の親が参加して7月31日から8月6日まで6泊7日の日程で開催し、今までの参加者は通算で100人を超えました。
私たちの住んでいる筑波山系の麓は比較的汚染度が低く、緑豊かなので、のびのびと夏休みを過ごさせてあげることができます。 2013年まではつくば市の「ふれあいの里」や土浦市の「県立青年の家」を使っての開催でした。公的施設で安価に利用できて、しかも自宅から近く、それまでに利用した事があって勝手が分かっているという利点があったからです。けれども、希望の日程で予約ができるとも限らず、山の傾斜地を上り下りしなければならないことや、電話が通じにくいことなど不便な点も多々ありました。
果たして、これからも続けていけるだろうかと不安に思っていた矢先、自宅近くの古い民家が売りに出ていることを知り、持ち主に相談すると、「そういう趣旨で使ってもらえるなら」と言っていただき、なけなしの貯金をはたいて譲っていただきました。長田さんが数百万のリフォーム整備費を出してくださり、多くの協力者の助けのもと、半年掛りで「ともいきの郷」をなんとか整備できたのが2014年のことです。
それからは、敷地面積740坪、平屋母屋50坪の 「ともいきの郷」で3回の保養キャンプを実施してきました。
一口に保養といっても、お金も余裕が有るわけではない一般市民が、生身の子どもを預かって実施するわけですから、心と体をフルに使って、期間中ひたすら駆け回る大変な事業です。
計画を立てるところから、福島までのバスの送迎、ボランティアさんの調整、協力をお願いして食事の支度をし、食べさせる。滞りなく行事を進めるために何度も説明をし、車の手配もし、郷に戻ればお風呂に順番に入れ、布団を敷かせて寝かせつける。山ほどの洗濯もし、怪我をさせないように気を配り、親と離れた子どもの寂しさを励まし、体調を崩した子供の手当をする。
無事に終わって保護者のもとにお返しすると心底ほっとするのが正直な気持ちです。
それでもどんなに疲れても、子どもたちが喜んでくれることが、私たちの喜びです。
そして、キャンプを実施するもう一つの理由は、福島の実態を知り、その声を聴き、何が起きているのかをまわりに知らせていくことが、必要であり大切なことだと考えているからです。
思う存分外で遊ぶことのできない子供たちは、どことなくひ弱な感じもします。茨城に着いてすぐ、私たちが今まで見たことのない大量の鼻血を出した子どももいました。
今回、民間温熱療法のこんにゃく湿布をしてあげると、全員が大変喜んで毎晩実施しましたが、みんな健康に対する不安な気持ちを、奥に抱えているのだと思われて切ない気持ちになりました。
今年のキャンプでは、朗読の会、「快医学」講座、太鼓のワークショップ、藍染、工作教室、そば打ち体験、アフリカンドラムワークショップ、折り紙教室、流しそうめん、花火、等々・・・さまざまなグループの皆さんが、子どもたちを喜ばせるために来てくださり、盛りだくさんのイベントが行われました。本当に多くの人々が、福島の子どもたちのことを心から思ってくれているのです。

原発事故3・4年目ぐらいから、経済的な理由や人手確保が難しくなり、完全に無償で提供されるプロジェクトは少なくなってきました。しかし保養の必要性は今後増すことはあっても減る事はありません。これからも私たちは、体力の続く限り、実施していきたいと考えています。

しかし、本来このような事業は、国が責任を持ってなすべきものです。国がやらないから自分たちでやるしかないのです。国の政策として原発を推進してきたのは紛れもない事実であり、国民の生命財産を守るのが国家の仕事なのですから。
日本より経済規模の小さなウクライナやベラルーシという国々が、チェルノブイリ事故から30年経った今も、保養や継続的な健康調査や医療援助を実施し続けていることをみると、日本はあまりにも非情で酷薄な国だと考えざるを得ません。
ベラルーシでは2014年度、1ミリシーベルト以上の汚染地域に住む子どもたちが、10万人以上保養へ行ったということです。
法律で被バクの許容限度を1ミリシーベルトと定めた日本が、非常時だから 20ミリシーベルトまでは我慢せよと、未だに高線量の福島各地へ帰還を促していることも信じられません。
ロシアで事故後制定されたチェルノブイリ法では、年間被ばく量が1ミリシーベルト以上の地域には「移住の権利+補償」があり、5ミリ以上には「移住義務+補償」が認められています。
県民健康調査で子供の甲状腺がんの多発が分かっても、「被ばくの影響は考えにくい」と、責任を回避する言葉を繰り返し、あまつさえ不安を煽るのが問題だからと、甲状腺健康調査の縮小が画策されています。あまりに情けなくて恥ずかしくなります。
このような状態が続きながら、多くの国民が黙って受け入れ、無関心であり続けているのは、放射能による健康被害の実態や研究が無視され、隠されてきたことに原因があると思います。
原発を推進するために、真実の情報公開がなされていないのです。核事故の歴史は関係者が事故を小さく見せようと放射線防護を軽視し、悲劇が繰り返された歴史です。
原爆被害やチェルノブイリ事故により長年積み重ねられてきた知見では、放射線の影響でがんや白血病以外にも様々な病気が増加することがわかっています。特にセシウムが蓄積しやすい心臓疾患や脳血管障害の増加や免疫障害による感染症の増加など、あらゆる臓器が障害を受け、遺伝子の損傷は未来にわたって影響を及ぼします。

福島では2012年に、急性心筋梗塞の死亡率が全国平均の2.4倍で全国1位になっていて、総務省の発表する日本の人口動態では、死亡率が事故前の2.5倍になっています。
眼にも見えなければ、匂いもしない放射能が、じわじわと私たちの健康を蝕んでいるのが、今日の日本の状況ではないでしょうか。
癌の多発や突然死の増加も、放射能の影響によるものとは考えられないと言う人がいますが、それならどんな理由や原因で、このような事態になっているのかを説明して欲しいです。
もし放射性物質が危険なものでなければ、原発の稼働に反対する理由はありません。
通常運転中も放射能が漏れて周囲の生物の命を害するうえに、絶対の安全性などありえない原発の再稼働は、許されるものではないと考えます。
東海第二原発が再稼働され、もし事故が起きれば、保養事業が続けられないばかりか、私たちも避難民となって散り散りバラバラに故郷を捨てるしかなくなるのです。
老朽化し、震災時にダメージを受けているはずの東海第二原発はこのまま廃炉にしてほしいと心から願っています。
被災者も支援者も原子力に携わる人々も、すべての国民が手を携えて、これからの日本の未来のために、何をなすべきかを真剣に考えていかなければならないと思いませんか。 

付け加えた部分


環境省の「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議専門家会議」の座長を務めた長瀧重信氏自身が2011年にヨーロッパ甲状腺学会で、福島の放出放射線レベルはチェルノブイリの10倍以上と報告されています。

日本のガンによる死亡率は戦前には40人に1人だったのが、今は2人に1人がガンになり3人に1人がガンで死ぬと言われていて、これは明らかに異常です。

平成23年から平成25年の日本人の累計死亡者数は378万人以上に急増していて、第二次世界大戦時の3年9カ月の死者数を上回っています。
これは驚異的なことで、これらの事は放射能の影響と言わずして何があるでしょうか。

昨日首都圏の都市機能を直撃した東電施設の火災原因は、東京電力によってケーブルの経年劣化と説明されたそうです。ケーブルは設置して35年以上経過しているということです。2011年の震災のダメージも受け、長年放射線の影響も受けていて、まもなく建設から40年を経ている東海第二原発のケーブルは大丈夫でしょうか?
東海第二原発が再稼働され、もし事故が起きれば、保養事業が続けられないばかりか、私たちも避難民となって散り散りバラバラに故郷を捨てるしかなくなるのです。
老朽化し、震災時にダメージを受けているはずの東海第二原発はこのまま廃炉にしてほしいと心から願っています。
被災者も支援者も原子力に携わる人々も、放射性物の危険性について学び、すべての国民が手を携えて、これからの日本の未来のために、何をなすべきかを真剣に考えていかなければならないと思いませんか。 


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