ここ数年で、女の子と何回「お別れ話」を交わしたことか。
思い起こして気になるのは、そうしたお別れのやり取りは、ほぼ例外なく携帯でのメールだったという点です。
携帯のメールで簡単にお別れのやり取りが出来るようになったのは、これが良いことなのかそうでないのか、僕にはよく分かりません。
ただ、こうした「携帯メールによるお別れ」には、どこか不気味なものを感じることもあります。
昨日まで普通に微笑んでいた女の子が、翌日にいきなりメールを寄越して「別れてくれないか」と言ってきたりします。しかもそのメールには実にフレンドリーな絵文字が用いられていたりして、理解に苦しみます。
どうもメールを用いると、面と向かっている時には表に出せなかったような欲望や心情が比較的気楽に表出できるようですね。曰く、
「お金を出してくれない人とは付き合えません」
「きうりさんの考えてることは全部分かるよ」
「あたしだけ悪者にしないでよ」
「おはよ♪急で悪いんだけど別れてくれない!?(最後のマークは絵文字)」
……等々、面と向かっている時はそんな気配は微塵もなかったのに、メールで牙を向かれたような印象がときどきあります。
しかし、その調子でお別れをお気楽にすることによって、出会いと別れそのものをお気楽で軽いものに堕してしまっていることに、彼女たちは気付いているのでしょうか。
かつて男女の仲は共同体が取り持ってくれたものです。親同士が話し合い、仲人がいて、村の中で出会いの場が用意されていました。だから男女の付き合いにはそれなりの「重み」が付きまとっていたと思います。
しかしそんな共同性も今はすっかり崩壊していますし、僕もそういう形での恋愛・結婚をしたいとは思いません。とは言え、現代の出会いは重みがなく、その重みは自由恋愛という名の下に薄く引き延ばされてしまっています。
そしてやり取りはメールでなされるので、相乗効果で「出会い」も「別れ」も軽く薄くなっています。
いや、もちろん個別のケースで見ていけば、誰もがそのつど真剣に恋愛をしていることでしょうし、それは相応に「重い」ものであるでしょう。それは分かっています。
ただ携帯メールのやり取りでその重みを支えるにはテクニックが必要です。それに、別れの文句くらいならメールでも伝えることが出来るでしょうが、人間には死という究極の別れもあるのです。メールを打つ人間そのものが消滅してしまっては、携帯メールというツールですらも無効になります。
要は、携帯メールで伝える事柄には限界があるということです。
結局、メールによる本当のお別れとは、お別れのやり取りをすることではないのです。その相手から、ある日を境に急にメールが来なくなることこそが、携帯メールによる真のお別れなのです。
■『文藝yaminave』全体の目次はこちらからどうぞ。
思い起こして気になるのは、そうしたお別れのやり取りは、ほぼ例外なく携帯でのメールだったという点です。
携帯のメールで簡単にお別れのやり取りが出来るようになったのは、これが良いことなのかそうでないのか、僕にはよく分かりません。
ただ、こうした「携帯メールによるお別れ」には、どこか不気味なものを感じることもあります。
昨日まで普通に微笑んでいた女の子が、翌日にいきなりメールを寄越して「別れてくれないか」と言ってきたりします。しかもそのメールには実にフレンドリーな絵文字が用いられていたりして、理解に苦しみます。
どうもメールを用いると、面と向かっている時には表に出せなかったような欲望や心情が比較的気楽に表出できるようですね。曰く、
「お金を出してくれない人とは付き合えません」
「きうりさんの考えてることは全部分かるよ」
「あたしだけ悪者にしないでよ」
「おはよ♪急で悪いんだけど別れてくれない!?(最後のマークは絵文字)」
……等々、面と向かっている時はそんな気配は微塵もなかったのに、メールで牙を向かれたような印象がときどきあります。
しかし、その調子でお別れをお気楽にすることによって、出会いと別れそのものをお気楽で軽いものに堕してしまっていることに、彼女たちは気付いているのでしょうか。
かつて男女の仲は共同体が取り持ってくれたものです。親同士が話し合い、仲人がいて、村の中で出会いの場が用意されていました。だから男女の付き合いにはそれなりの「重み」が付きまとっていたと思います。
しかしそんな共同性も今はすっかり崩壊していますし、僕もそういう形での恋愛・結婚をしたいとは思いません。とは言え、現代の出会いは重みがなく、その重みは自由恋愛という名の下に薄く引き延ばされてしまっています。
そしてやり取りはメールでなされるので、相乗効果で「出会い」も「別れ」も軽く薄くなっています。
いや、もちろん個別のケースで見ていけば、誰もがそのつど真剣に恋愛をしていることでしょうし、それは相応に「重い」ものであるでしょう。それは分かっています。
ただ携帯メールのやり取りでその重みを支えるにはテクニックが必要です。それに、別れの文句くらいならメールでも伝えることが出来るでしょうが、人間には死という究極の別れもあるのです。メールを打つ人間そのものが消滅してしまっては、携帯メールというツールですらも無効になります。
要は、携帯メールで伝える事柄には限界があるということです。
結局、メールによる本当のお別れとは、お別れのやり取りをすることではないのです。その相手から、ある日を境に急にメールが来なくなることこそが、携帯メールによる真のお別れなのです。
■『文藝yaminave』全体の目次はこちらからどうぞ。













自分がそれっぽっちの存在だったのかって愕然としますから。
されたら、「そんなもんだったんだな」って受け入れるしかないですけど、自分はそういうことはしたくないです。
本当に会うのが難しい距離なら、せめて電話とか手紙とかでも…と思います。