文藝yaminave 〜なんてったって文弱!〜

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文章道

2012-02-15 | 週末学習塾
 言葉というのはおかしなものです。

 それだけ見れば、記号があるルールに則って配置されている、いわば数式のようなものです。

 ↑上記の文章にしても、「記号」「ルール」「配置」「数式」といった単語に、ある一本の結びつきを与えてやることで成り立ちます。それだけの話です。これはちょうど、記号と数式の関係ではありませんか。

 だけどそれでは、僕らの日常会話や文章が1+1=2みたいな調子で成り立っているのかというとそうではありません。上記のような調子で、単語ひとつひとつが数式みたいに結び付けられた結果、それは数式ではなくなります。

 なんと言えばいいのでしょうか。それはまさに「日常会話」「文章」なんですね。ひとつひとつの記号の示すものが、語り手の情緒、世界観、意識、価値的な優先順位、そして言いたいこと、等々の中で交じり合って立ち現われてくる、これぞまさに「日常会話」「文章」なのです。

 なぜこんなことを急に考えたのかというと、下手な文章とそうでない文章の違いはどこにあるのだろうと思ったのです。1+1=2だったら誰がしゃべっても書いても同じですが、どうしても文章とか語りというのは、上手下手があるものですから。

 おそらく、その「日常会話」「文章」によって表現したい情緒、世界観、意識、価値的な優先順位などが、どれだけうまく表現されているかがポイントなのでしょう。

 なんか当たり前の結論に辿り着いてしまいましたが、要は「表現がうまいかどうか」にかかっているのです。しかしそこにおいて表現されるものとは、記号が単純に示すモノひとつひとつではなく、そのものが最初から溶け込んでいる全体なんですね。

 そうなるとむしろ、数学的・科学的な表現の仕方のほうが特殊で、そうした示し方のほうが、逆にもともとある全体を前提しているのではないかと思うのです。

 いや、すいません、そんなことはとうの昔に知ってました。白状します(笑)

 全体は、確かにあるんですよ。それも僕らの気付かないくらいごくごく身近、日常の中に、というよりも日常そのものが、まさしく全体なのです。

 ただその全体そのものを感じ取り、理解し、納得し、表現し、実践するには、全体を構成する個別のモノをひとつひとつ見聞きして、触れて、感じて、ついでに苦しんでいかなければならないんですね。

 気付く人は気付くと思いますが、そのために意図的に設定されたルートが、日本人のいう「道」なわけです。書道、柔道、合気道、華道、空手道、エトセトラ。

 さしあたり僕は「文章道」とでも呼ぶべきものを進んでいくしかないのかなと思います。

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