文藝yaminave ~なんてったって文弱!~

文弱の徒の創作小説発表ブログ。
小説のリストはカテゴリの『目次』をご覧下さい。

当ブログ「文藝yaminave」お越しの皆様へ

2013-10-05 | 小説工房
 読者の皆さん、こんにちは。当ブログ「文藝yaminave」へお越し頂き、ありがとうございます。

 さて、現在このブログは更新を停止しており、諸事情からbloggerへと移行しております。

◆新「文藝yaminave」はこちら。

 基本的に、毎日更新を心がけておりますので、良かったらどうぞ。

 こちらのgooブログ版「旧」文藝yaminaveにつきましては、スケジュール未定ではありますが、いずれ内容を整理していくつもりです。
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『ビッケと木馬の大戦車』

2012-06-10 | 本を読むのが好きだとか
ビッケと木馬の大戦車 (評論社の児童図書館・文学の部屋)ビッケと木馬の大戦車 (評論社の児童図書館・文学の部屋)

※ネタバレ注意!

今回のビッケは、いくぶん「冗談抜き」のテイストです。
3巻で悪政から救い出したブルガリアの人々を助けるため、城塞に援軍として入り込んだビッケをはじめとするフラーケの海賊たち。

対するは、獰猛な「野蛮人」ブルドゥース人ども。

しかし野蛮(ブルドゥース)人などと呼ばれてはいるものの、穴を掘って城壁をくぐろうとしたり、竹馬(!)で城壁を乗り越えようとしたり、果ては「木馬の大戦車」を使って城壁を破壊して侵入を試みたりと、敵はしたたかです。
さあ、ビッケの知恵は彼らを撃退することができるのか。

もう今回はまるまる一冊、最初から最後まで彼らとの知恵比べ。ガチ戦争です。
個人的には、もうちょっと笑いがあっても良かったかな。
前回のはその意味でも最高でした。
もちろん今回も、とても面白いですけどね。

話の流れを言ってしまうと、もちろんビッケはちゃんと大活躍して敵を追い払うのですが、どの作戦も今までのようにはあまり笑えません。水攻めだったり、転倒させたり、城壁を増やして敵の攻撃を封じたり偵察したりと、手に汗握る策略と策略のぶつかり合いです。

僕は戦争の物語はあまり観ませんが、ロード・オブ・ザ・リングの映画の世界を思い出しました。
ブルドゥース人たちも、竹馬ではなく「ハシゴ」を使えばよかったんじゃないかと思います。
もちろんビッケはそれでも撃退するでしょうけど。

ラストも大人のドラマです。獰猛で凶悪な敵の大将が、最後は沼に落ちて死にかけるのですが、ビッケの仲間たちが助けたことで改心し、以後は死ぬまで人々のために尽くすのです。

今回特に実感したのですが、ビッケ・シリーズは「新しい神話」みたいな雰囲気がありますね。水道管とか「実況中継」とか、いろいろなものが実はビッケが世界史上で一番最初にやっていたのだ……という記述が多い。

戦争に神話と、作者にはそういうものに対する志向があるのでしょうね。
トロイの木馬も出てきましたし。

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【自己紹介】きうり執筆活動の歴史(書き足して更新していきます)

2012-06-09 | 週末学習塾
【1994(平成6)年】
 2月11日、たまたま父母が所有していたワープロを使って執筆開始。その時はじめて保存した文書名が「19940211」。

 以降、しばらく書いては止め、書いては止めを繰り返す。この頃は死体にヒモつけてなんとかするとか、バラバラ死体をあっちに置いたりこっちで並べたりとか、見立て殺人とか、とにかく島田荘司と横溝正史を意識した作品を書こうとして挫折ばかりしていた。

【1995(平成7)~1996(平成8)年】
 中学3年になり、「卒業までに作品をひとつ最後まで書こう」と一念発起、『コープ牧村事件』が完成。アパートの住民たちが、力を合わせて殺人鬼を追い詰めようとする物語。今思えばスティーヴン・キングをかなり意識していた。

 『コーポ牧村事件』を、中学卒業前に某文学賞に応募。感熱紙に印刷したものをそのまま送付するという暴挙に出て、何事もなかったかのように受賞したのはもちろん他人の作品。

【1996(平成8)年】
 高校生になると、今度は北村薫や加納朋子の影響をもろに受けて、「日常系」青春学園ミステリを書き始める。タイトルは『恋文の謎』。当時のクラスメイトひとりと、担任の国語の先生(女性)から読んでもらった。彼らのことは、今も心の中で「第一の読者」と呼んでいるが、第一が二人とはこれいかに。

 この頃、他にも毒殺トリックの短編と、ロビンマスクに関する論文を書いている。前者だけ学校の文芸サークル誌に掲載した。

【1996(平成8)~1997(平成9)年】
『恋文の謎』はわりと面白がってもらえたし、僕も手応えを感じたので続編として『白い怪盗』と『夜の道化師』の2つをさらに書く。

 3作品を合わせて『七月の幸運』と題し、メフィスト賞に応募。ページ下のひとこと批評に「及第点だがもっと個性が欲しい」と書かれた。

 で、当時の担任の国語の先生(この時は男性)に「もっと個性が欲しい」ってどういう意味でしょう? 文芸作品の個性ってなんですか? と真面目に質問をして困らせてしまう。

 翌日もらった回答は「きうりの作品は他の作家の影響を受け過ぎているんじゃないか?」ということだった。これは今でも、僕に対してはとても的確で、先生としては実に誠実な回答だったと思う。自分がもし教師になったらこういうちゃんとした回答ができる人になりたい、と思った。

【1997(平成9)年~1998(平成10)年】
 友人と合作で、ミステリやファンタジーを書くことを目論み毎週のように相談と議論を重ねる。構想を練った作品は以下の通り。

 1・SFファンタジー
 2・「嵐の山荘」系ミステリ
 3・ヤンキー小説
 4・異世界大河ファンタジー
 5・フォーチュン・クエストの真似

 このうち1は、現在パブーで連載中(休載中)の『Memories of insomnia』の原型となる。また3は『喧嘩だコラ』という作品として結実。4は、本編を書く前にスピンオフ短編をひとつ書くというわけの分からないことをやらかしてそのままお蔵入り。

 ちなみに『喧嘩だコラ』は何かのライトノベル文学賞に応募し(ただし当時はライトノベルという言葉はなかった)、あえなく落選。3部作になる予定だったが、そのまま忘れられた。
 ちなみに『今日から俺は!』と『ペリカンロード』の影響を受けた作品だった。

 また『Memories of insomnia』は当時のスニーカー大賞に応募して、第一次選考は通過している。

(つづく)

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哲学者bot始めました

2012-06-06 | ブログ・PC・ネット
 最近はブログの引っ越しで、ひとりであたふたしております。

 ところで、それとは全く関係なく、「哲学者ツイッター」を始めてみました。もうちょっと専門的な言い方をすれば「哲学者bot」というやつですね。

 これ、一体なにかというと、いろんな哲学書の文章を呟きます。今はまだ数種類しかありませんが、少しずつ少しずつつぶやきの数を増やしていって、いろんな哲学者の文章がタイムラインに出現するようにします。

 「いろんな哲学者」といっても、手元にあまり本がないので、今のところ西田幾多郎とマルクスが主なんですけどね。

 なんのためにそんなのを作ったかというと、自分のためです。

 要するにそのbotは、僕にとっては「読んだ本からの抜粋集」なわけです。それがタイムラインに何回も何回も表示されることで、自分がマーキングした文章を何度も読み返すことになるわけですよ。

「マーキングした部分を何度も読み返す」のは、勉強の基本ですからね。

 本をわざわざ本棚から取り出さなくとも、ツイッターを眺めているだけで、本を読み返す効果が得られるのです。で、いずれ本当にその本を読み返せば、きっと自分の成長が実感できるはずです。

 とまあ、こんな感じで、完全に僕自身による僕自身のためのアカウントです。他人のためではありません。ですからつぶやきを増やすペースも極めて遅いし、取り扱う哲学者も偏る可能性があります。

 それでもまあ、気が向かれましたらいつでもフォローどうぞ。アカウントはこちらです。

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ケミカル・ブラザーズ「Let Forever Be feat. Noel Gallagher」

2012-06-05 | ブログ・PC・ネット
ケミカル・ブラザーズ「Let Forever Be feat. Noel Gallagher」


ケミカル・ブラザーズの曲です。
メロディや歌詞がどうこうよりも、とりあえずめくるめく映像に視線が釘付けです。

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『ビッケと弓矢の贈りもの』

2012-06-04 | 本を読むのが好きだとか
ビッケと弓矢の贈りもの (評論社の児童図書館・文学の部屋)ビッケと弓矢の贈りもの (評論社の児童図書館・文学の部屋)

いやいや、今回もビッケの冒険&戦いは最高でした。
今までに比べるとバトルの回数も少ないけれど、とにかく凶悪な海賊の追い払い方が面白いのなんの。
現実の人間たちの争いが、これくらい平和裏に終わればいいのになあ。

それにしても、のちのちアメリカの先住民族たちが虐げられた歴史のことを考えると、ここで描かれている、ビッケたちとビンカ人たちとの友情もどこか物悲しく思われます。
ビッケたちは今回、彼らの名誉と財産を守るために奮闘して、すさまじく凶悪な海賊と戦うんですよ。

そして今回の後半戦では、アニメの主題歌にも登場する「海賊スベン」が遂に出てきます。
前は炎の弓矢で追い払ったフリース人の海賊たちが、再登場するのです。
さあビッケは、凶悪なフリース人とその頭領のスベンをどうやっつけるのか……?
これも見ものです。

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gooブログやめて引っ越すかも

2012-06-01 | ブログ・PC・ネット
 gooブログもかれこれ7~8年愛用してきましたが、そろそろ引越しのタイミングかも知れません。

 その一番の理由は「アフィリエイトができない」ということです。

 別に僕は、アフィリエイターと呼べるほどそういう活動にこだわっているわけではありません。

 でも今の家計のことを考えると、やれるだけのことはやっておきたいんですよ。

 そして僕の場合、長い間ほとんど毎日続けてきたこのブログ活動を利用することは、「やれるだけのこと」のうちに充分入ると思うんですね。

 twitterでお世話になっている吉野さんからも、googleアドセンスとやらを勧めて頂きましたし。ここはひとつ、bloggerに鞍替えしようかなと考えています。

 gooブログは、amazonアフィリエイトしかできないのです。

 それからgooで不満なのは、各種webメールのアカウントを一括して管理できるスマートフォンのアプリ「Eメール」に対応していない点です。MSNメールもgmailもそのアプリではちゃんと管理できるのに、gooメールだけ駄目なのです。

 まあアフィリエイトをするのも、Eメール受信をするのも、方法がないわけではありません。

 要するに「有料版」に申し込めばいいのです(笑)

 とはいえ、では有料版に登録したからgoogleアドセンスができるかというと、ちっともそんなことはなく、可能なアフィリエイトの種類はかなり限られています。

 これでは、鞍替えしたくもなりますよ。

 ただ愛着がないわけではないし、googleアドセンスにこだわらなければアフィリエイトができないわけでもありません。またgooメールがスマホで受信できないとものすごく不便かというと、そういうわけでもないんですけどね。だから迷っていますが。

 皆さんはどう思われますか?

 もし引っ越しても、引き続き僕のブログをよろしくお願いしますね。鞍替えする時は、時間をおいてゆっくり切り替えていくつもりです。

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アフィリエイト復活かな

2012-05-25 | ブログ・PC・ネット
 公私ともに……というと少し違うかな。「公」のほうは少し落ち着いてきましたが、「私」のほうでやや忙しい状態です。

 その忙しさの内容は、ちょっとここで書くのが憚られる事柄もあるので、はっきりとは申し上げられないんですけどね。

 ただまあ、概要だけ言いますと、家計を少しでもなんとかするための活動だということです。

 先日、ツイッターで交流している某氏から、「1日数百のアクセスがあるのであれば、それをアフィリエイトに使用しないのはもったいない」という風なアドバイスを頂きまして。やっぱりそうなのかな~と思いました。

 アフィリエイトは数年前に試みて挫折しましたが、今また家計がいろいろと切実になってきたので、もう一度チャレンジしてみようと思います。

 ただ、今の僕が使っているgooブログは無料版ですので、アフィリエイトとかをやるには制限があるようです。有料版に変えてまでやるだけのメリットがあるのかどうか、そこも計算に入れないといけないですね。モトを取れなければ意味ないですから。

 もし今後、当ブログにアフィリエイトのバナーなどが貼られたりしていたら、人助けと思ってクリックとかクリックとかクリックとかして頂ければ幸いです。

 がんばるぞ~

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速読法としての「斜め読み」「飛ばし読み」

2012-05-23 | 週末学習塾
 読書法の話ですが、「斜め読み」「飛ばし読み」というのは読書のやり方としては手抜きと思われがちですね。

 でも最近とてもよく思うのですが、斜め読みや飛ばし読みにもテクニックがいるんですよ。むしろ、そういった読み方できちんと知識を得たり物語を味わったりできるのでれば、読書テクニックの上級者と言ってもいい。

 斜め読みや飛ばし読みというのは、その、視線を斜めに泳がせた部分や、飛ばした部分について「読んでいない」のではありません。その個所をパッと見て、脳がだいたい取捨選択を行っているんです。ここは分かっているから読む必要がないぞ、とか。ここはさっぱり分からないから飛ばそう、とか。ここの例え話は冗長だからいいや、とか。それを段落単位で一瞬、あるいや数秒で行っているわけです。

 考えようによっては超能力みたいですが、これは本当のことです。そしてこういう読み方が可能になるには、2つの条件があります。

1・一瞬で取捨選択できるほどの予備知識がある。
2・文章を、ひとつのかたまりとして認識できるように脳味噌が鍛えられている。

 で、この2つの条件をクリアできるようになるにはどうすればいいかというと……言うまでもなく、場数を踏むしかないんでしょうね。

 ただ、これって別にむずかしく考える必要はないと思うんですよ。

 たとえば本屋でマンガを立ち読みする時、隅から隅までじっくり熟読する人はあまりいないと思います。

 むしろ手っ取り早く、ざっと、素早くページをぱらぱらめくって読むことの方が多いのではないでしょうか。

 あの何気ない立ち読みという行為の中でも、けっこう脳味噌はフル回転して複雑な情報処理を行っているのではないかな~と僕は想像しています。つまり上記の1・2の条件を満たしている。

 もちろん絵が主体の漫画と、文章が主体の本とではちょっと違います。おそらく、文章を読む時には必ず踏まなければいけないステップ、つまり文章を理解しイメージするという部分を、漫画の場合は絵が一気にやってくれるんですね。複雑な理解やイメージが必要ない。

 言い方を変えれば、そこが違うだけで、漫画をぱらぱら立ち読みする人は、すでに上級者としての「斜め読み」「飛ばし読み」の一歩手前くらいにいるのではないでしょうか。

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ツンデレキャラの使い方とミステリ

2012-05-22 | 週末学習塾
 世の作家さんたちは、「ツンデレキャラ」の活用についてどのように考えているのでしょう。

 少なくとも僕は、創作する上で、ツンデレキャラというのはとても重宝しています。

 ツンデレはキャラクター的に動かしやすいし、使いやすいんです。

 ですから最近は、創作をしていてハッと気がつくと、ヒロインがみんなそういう性格になっちゃっています。『イタコ』の早香とか、『光速文芸部』の優実とか。あといま作成中のカメラマン小説のヒロインもそうです。

 まあさすがに、キャラごとに若干の違いはありますけどね。どのキャラも皆が皆同じでは、さすがに芸がない。

 ではなぜツンデレはこんなに使い勝手がいいのかというと、性格的に緩急のリズムがあるので「盛り上げ役」になるというのもありますが、もうひとつ「ミステリと相性がいい」というのもあると思います。

 ツンデレとミステリは、構造が似ているんですよ。どちらも、「隠されていたものがあらわになる」ことで盛り上がるものですから。

 ツンデレは、普段はツンツンしているのが、その奥で隠されていた気持ちとかがパッとあらわになる一瞬、それが魅力的なわけですよね。

 一方ミステリは、隠されていた真相が、謎解きを通してパッと明らかになるのが面白いわけです。似ているでしょう?

 基本的にミステリ書きである僕にとって、使い勝手がいいのは当然というべきかも知れません。

 もっとも、僕自身はさらに拡大して、物語そのものがミステリであるとすら考えていますが。

 どういう意味かというと、ある物語が最後にどういうラストを迎えるのか――それだってひとつの「謎」であるわけです。ですから純文学だって恋愛小説だって、果ては論文だって、ミステリ(アス)には違いないと思うのです。

 ですからどんなジャンルを書く上でも、ひょっとするとツンデレキャラというのは役に立つものなのかも知れません。

 そのへんは、書いていくうちに、おいおい分かってくることでしょう。

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餘部鉄橋列車転落事故(1986年)・下

2012-05-21 | 週末学習塾
 餘部鉄橋の建設は、明治政府にとってはいわば「苦肉の策」だったと言えるのではないだろうか。

 香住~浜坂間は山と海に挟まれている上に断崖が多い地域である。そこに無理やり線路を通そうとした結果が、あのような超巨大鉄橋だったのである。

 とにかく、列車にはなんとしても山を上らせなければならない。なおかつ谷も渡らせねばならない。そうでなければ長大な迂回路とトンネルを造らねばならず費用もかかる。方法としては谷底の村を埋めて築堤を造るか鉄橋を建てるしかないが、「安い、早い」方法は断然後者だった。

 こうして、1911(明治44)年から大規模な工事が行われた。完成までには、当時の金額で33万円を超える費用と、延べ25万人を超える人員が投入されたという。おかげで餘部の村は「架橋ブーム」に湧いたそうな。

 できあがった餘部鉄橋は、管理上、とかく雪の重みや風による揺れ方について神経を使わざるを得なかった。今なら、こういう負荷の計算はコンピュータで即座に計算できるが、当時は勘と経験に頼るしかなかったのだ。

 ここで読者諸賢は思われるかも知れない。なるほど勘と経験などという漠然としたものを頼りにしていたのか、それではフラッター現象が起きて事故につながっても当然だよな――と。

 ところがどっこい、むしろ建設から数十年間はなんの問題もなかったのである。少し詳しく言うと、もともと餘部鉄橋では、列車進行方向と直角方向とでは横向きの鉄骨がそれぞれ違っており、列車の振動をうまく吸収するようにできていたらしいのだ。むしろ初期の、勘と経験に頼った建設方法は適切だったのである。

 もちろん、部品の交換や修復は何度も行われた。むしろこの鉄橋の歴史は、部品交換や錆止めのペンキ塗装など修復と補修の歴史と言ってもいいかも知れない。とにかく先述したように、海からの潮風と雪に常に晒されていたため、これはどうしても必要なことだった。

 さて、そのように平穏に運用されていた餘部鉄橋だが、『事故の鉄道史』によると、それにケチがつき始めたのが1968(昭和43)年のことだった。この年からから1976(昭和51)年度にかけて行われた第3次修繕8カ年計画が問題だったのだ。

 この修繕計画で行われた部品交換は、実に地道なものだった。鉄橋にはいつも通りに列車を走らせつつ、隙をみてコツコツ作業を進めたのだ。

 しかし、ここで横の鉄骨と斜めの鉄骨だけが交換・補強され、縦の鉄骨とのバランスが悪くなってしまった。

 また問題はもうひとつあった。橋脚の足元をコンクリートでガッチリと固めてしまったのだ。

 ガッチリ固めたほうが頑丈でいいんじゃない? という声が聞こえてきそうだが、どうもこれはマズイらしいのである。足元があまりにガッチリしていると、鉄橋の振動を吸収できないのだ。分かりやすく言えば「しなやかさを失う」ということか。

 実際、この改修工事の直後から、列車が鉄橋上を通過する時の振動が大きくなったという。

 いやはや、先人の知恵は凄いな~と思うが、同時にその罪深を感じる話でもある。勘と経験が素晴らしく研ぎ澄まされていたのは結構だが、修復する時の要領についても定めておいてくれれば言うことなしだったのに――。

 ただまあ、事故の原因の真相については、筆者は素人なのではっきりしたことは言えない。ただ『事故の鉄道史』の脱線説は非常に説得力があり、餘部の事故について多少なりとも学術的に解説する場合は、これを抜きにしては片手落ちという感があるのでご紹介させて頂いた。

 ともあれ、こうして事故の解説を通して餘部鉄橋の歴史をざっと眺めてみると、ひとつ強く感じることがある。転落事故はつまり、あらゆる意味でこの鉄橋の「賞味期限切れ」を意味していたのではないか、ということだ。

 賞味期限というか、要するに「もの」には耐用年数というやつが存在する。ここでいう「もの」とは、建造物やシステム全体までをも含むと考えて頂きたいのだが、それをもっとも極端に、悲惨な形で示すのが事故や災害である。餘部鉄橋の大事故は、まさにそれだったのではないかと思うのだ。

 歴史を見ると、この鉄橋は建設後少なくとも数十年は役に立っていたようである。だが鉄橋が存在することによるメリットとデメリットのバランスは、元々かなり危うかったのではないだろうか。

 メリットは、もちろん輸送や観光などの経済効果である。この鉄橋は土木学会からAランクの技術評価を受けており、歴史的な価値も高かった。それにまた、鉄橋のある餘部の風景や、鉄橋そのものの構造なども、鉄道ファンのみならず山陰地方を訪れる観光客全般には人気があったという。

 一方デメリットは、補修修繕の難しさと維持管理費の莫大さ、そして地元住民にとっても悩みの種だったという騒音、落下物、飛来物などの被害である。

 それに加えて、転落事故後は風速規制も強化され運行基準も見直された。1988(昭和63)年5月以降、風が強い場合は香住~浜坂間で代行バスが使われることになったのだ。

 安全対策上は必要だったかも知れないが、ここまでくると羹に懲りてなんとやら、という感がしなくもない。これによって輸送の安定感もなくなり餘部鉄橋は斜陽の時代を迎え、ついに2010(平成22)年には運用終了と相成ったのだった。

 少し順序が前後するが、1988(昭和63)年10月23日には事故現場に慰霊碑が建立され、毎年12月28日には法要が営まれてきたという。

 そして2010年(平成22年)12月28日の25回忌が、遺族会による最後の合同法要となった。橋が新しく造り変えられることに決まり、ひとつの節目を迎えたのである。

。こうしてできあがった今のコンクリート製橋である。これは2007(平成19)年3月29日から3年ほどかけて建設され、2010年8月12日に開通した。

 建設位置は、かつての餘部鉄橋よりも7メートルほど内陸に近く、費用は30億円に上ったという。ウィキペディアあたりでちょっと調べて頂ければ、その雄姿を見ることができるので是非どうぞ。リニア・モーターカーの走行が似合いそうな、シャープでかっこいい橋である。

 で、かつての餘部「鉄橋」はどうなったか。これについては「余部鉄橋利活用検討委員会」が設けられ、県と地元で協議した末、橋脚と橋桁の一部を残して「空の駅」と称する展望台を造ることが決まったという。また道の駅も建設し、かつての鉄橋を偲ぶ記念施設にするそうな。

 この「空の駅」はまだできあがっていないようだ。だが建設予定図などをネットで見てみるとなかなか面白そうである。素直に、一度行ってみたいと思う。

   ☆

 こうして餘部鉄橋は、いくつかの汚点を歴史上に残してその役目を果たしたのである。

 これは想像だが、あの鉄橋は人々から愛され、守られてきたと同時に、同じくらいに恨まれ、憎まれ、疎んじられてもきたのではないだろうか。

 良くも悪くもシンボル、愛着と諦め、愛憎半ば。家族と同じで、身近であればあるほどえてしてそういう感情を呼び起こすものだ。その解体が決まった時の地元の人々の思いは、果たしていかばかりであったろうかと、筆者は思わず想像してしまった。

【参考資料】
◇『続・事故の鉄道史』佐々木 冨泰・網谷 りょういち
◇ウィキペディア
◇ウェブサイト『キノサキ郡の橋』
 http://www.asahi-net.or.jp/~ug3h-itkr/bridge.html
◇同『鉄道サウンド広場(資料館)』
 http://www.nihonkai.com/railway/index.html
◇同『失敗百選』
 http://sydrose.com/case100/206/
◇2010年7月14日アサヒ・コム『余部鉄橋 一部は「空の駅」に整備へ 廃材は研究機関に』
 http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201007140045.html

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餘部鉄橋列車転落事故(1986年)・中

2012-05-20 | 週末学習塾
 それまでにも、餘部鉄橋ではいくつかの事故が起きていた。

 例えば、これはさすがに古い記録になるが、架橋工事の時には転落による死亡事故が2件発生している。また負傷の記録も83件残っているという。

『事故の鉄道史』によれば、鉄橋の周辺地域には鉄道関係の慰霊碑も複数存在するそうだ。地形的な問題でもあるのだろうか、もしかすると、列車の運行や工事などには、もともと慎重を要する土地柄なのかも知れない。

 とはいえ、だからといって、今回説明している列車の転落事故が「ありきたり」のケースということは決してない。むしろこれは、歴史的にはとんでもない事例なのである。

 国鉄の記録によると、これよりも前に発生した「鉄橋からの列車転落事故」は、1899(明治32)年10月7日に東北本線で発生した箒川転落事故が最後とされている。つまりこのカテゴリで見ると、餘部のは実に87年ぶりの事例ということになるのだ。

 およそ90年間も起こらなかった類型の事故が、現代に蘇ったのである。とんでもない事例と書いた理由がこれでお分かりであろう。

 それではこの大惨事、その後どう処理されたかというと、この経過は意外に地味である。

 まず、東大教授を委員長とした「餘部事故技術調査委員会」が発足したのが1987(昭和62)年2月9日のこと。そして翌年の2月には、この委員会によって事故調査報告書がまとめられている。

 筆者は、この報告書を読んではいない。とりあえず「列車の転落は強風によるものであり、不可抗力による自然災害だった」という結論になっているようだ。

 もちろん、だからといって誰も責任を問われなかったわけではなく、先述した福知山管理局の指令長と指令員2名の合計3名が被告席に立たされている。風が強かったことを知っていながら列車の停止を怠ったというのが、その罪状であった。

 刑が確定したのは、事故から7年後のこと。それぞれ、執行猶予付きで禁固2年から2年6か月という判決だった。

   ☆

 そしてここからが、鉄道事故マニアのバイブル『事故の鉄道史』による謎解きである。

 実は、著者の網谷りょういち氏は、この事故について大胆にも「裁判は茶番」と述べて、真の事故原因は風ではない、と書いているのだ。

 以下で、網谷氏が挙げている主な疑問点をご紹介しよう。

1・風速33メートルで列車は簡単に転落するのだろうか? 鉄橋ができて以来74年の間に、33メートルの強風が吹いたことは一度もなかったのだろうか?

2・事故後の写真を見ると、鉄橋の線路のレールが、当時の風向きとは「逆」の方向に曲がっている。風で車両が押されたのならばそんなふうに曲がるわけがない。なぜ曲がった?

3・風による脱線では、普通は後部車両から転落していくものだが、この事故は中央の車両から転落している。これは何故か? 中央の車両が特に転落しやすくなる要因があったのではないか?

4・事故調査報告書では、転落時における近隣住民の目撃証言が収集されていない。また同報告書では、「当時の風速は33メートルだった」とわざわざ調べて書いている。壊れた風速計は33メートルを最初から示しているのに、なぜ改めて調べた? 風の強さを強調したかったのではないか?

 ――網谷氏のスタンスは「1」「3」「4」から明らかであろう。つまり、国鉄はこの事故を自然災害として片付けようとしているが、実際には人災の要素もあったのではないか、と疑問を示したのである。

 それでは真の事故原因は一体なんなのか。それは網谷氏によると「脱線」である。

 そのヒントは、上述の疑問点のうちの「2」にある。鉄橋上のレールの歪曲は強風が原因ではないのだから、何か他に原因があったはずだ。さらにこのレールには車輪が乗り上げた痕跡もあったという。

 つまりレールの歪みが原因で脱線が起き、そこに強風という悪条件が重なったことで大惨事に至ったのである。

 では、このレールの歪みはなぜ生じたのだろう?

 結論をズバッと言えば、これは「フラッター現象」であるらしい。

 正直に言うと筆者もいまいちイメージが掴めないのだが、飛行機や高層建築物はそれ自体で「振動」するらしい。強い風や地震がなくともひとりでにグラグラブルブルしてしまうのだ。だから、小さな風でも大きく揺れるのである(いずれこの現象による他の事故もご紹介していく)。

 餘部鉄橋は、こうしたフラッター現象が起きやすい構造になっていたのである。鉄橋の振動のせいでレールが歪曲したところに「みやび」が差しかかり、乗客がいないため軽かった中央の車両が脱線した。そしてさらに強風で浮き上がり、転落したのだ。

 実際の事故調査や裁判では、こうした点までは確認されていない。だが網谷氏は、餘部鉄橋の建築と修復の歴史を調べて、この橋が理論的にはフラッター現象を生じやすい危険な建造物だったことを証明している。

 たとえば、送電線をつなぐ鉄塔などは、鉄骨造りの巨大建築物という点では同じである。だがこうした鉄塔がグラグラ揺れたあげく倒れた、などという話はふつう聞かない。これはもちろん補修もされているのだろうが、なにより鉄塔の構造のおかげなのである。

 簡単に書くと、鉄骨の横向きの棒と、縦向きの棒、そして斜めの棒の「太さ」の問題なのだ。この3者のバランスがいいと、良い感じにしなやかになり、振動をうまく吸収できるのである。そうしてフラッター現象は抑えられる。餘部鉄橋は、そこのバランスを間違えていたようなのだ。

 ではさらに突っ込んで、この「間違い」はなぜ生じたのだろうか? それを説明するには、餘部鉄橋の建設の歴史をたどっていかなければならない。

(つづく)

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餘部鉄橋列車転落事故(1986年)・上

2012-05-19 | 週末学習塾
「山陰鉄道唱歌」の11番と12番に、このような歌詞がある。

香住に名高き大乗寺
応挙の筆ぞあらわるる
西へ向えば餘部の
大鉄橋にかかるなり

山より山にかけ渡し
御空の虹か桟か
百有余尺の中空に
雲を貫く鉄の橋

 ずいぶん大げさな歌詞だな、と思われるかも知れない。しかしここで歌われている「餘部の大鉄橋」がいかに巨大なものであるかは、ちょっとネット上で検索して頂ければすぐにご理解頂けるであろう。

 餘部鉄橋。それはまさに大鉄橋中の大鉄橋、かつては東洋一の高さを誇ったという「ザ・超巨大鉄橋」なのである。そんな建造物が日本には存在していたのだ。

 ウィキペディアによると、概要は以下の通りである。

【餘部鉄橋】
◆長さ:310.59m
◆最大支間長:18.288m
◆幅:5.334m
◆高さ:41.45m
◆形式:トレッスル橋(トレッスルとは「うま」の意味)
◆素材:鋼材
◆建設:1909(明治42)年12月16日~1912(明治45)年1月13日
◆総工費:331,536円

 さてそれで『事故の鉄道史』では、この鉄橋については以下のように述べられている。

「ここの主役は鉄橋である。列車も、日本海も、民家も、餘部橋梁の引立て役でしかない。天駆ける鉄道なのだが、ご存じのように列車の転落事故もあって美しい話ばかりではなかった」――。

 なかなかの名文だと思う。そして今回ご紹介するのが、ここで書かれている「列車の転落事故」のことなのである。

 日本一の超巨大鉄橋とその落日。この転落事故は、いうなればこの鉄橋の斜陽を示すしるしであった。

   ☆

 そういえば最初に、名称の表記についてお断りしておこうと思う。この事故の舞台になる「あまるべ鉄橋」の漢字には「余部」と「餘部」の2種類があるようだが、ここでは「餘部」に統一させて頂く。

 特に深い意味はないのだが、筆者の愛用のvaio君で変換するとこの漢字しか出てこないのだ。

   ☆

 1986(昭和61)年12月28日のことである。

 場所は兵庫県美方郡香美町・香住区餘部地区。そろそろお昼を過ぎようかという頃、8両編成の列車が餘部鉄橋の上を通過しようとしていた。

 この列車の名は「みやび」。先頭の機関車に7両の客車を連結した、団体ツアー用の臨時列車である。山陰買い物ツアーという催し物のために運行されており、先ほども香住駅で167名を下ろしたばかりだった。

 ツアーは大盛況である。ひと仕事終えて回送列車となった「みやび」が鉄橋の上をガタンゴトンと走り抜けていく――。ここまでは、この地区の人々にとってはごく当たり前の光景だった。

 問題は強風である。この時、餘部鉄橋には、海からの強風がもろに吹き付けていたのだ。

 このあたりの地区にとって、強風そのものは決して珍しいものではない。だが当時の風の勢いは凄まじく、運行を管理する福知山管理局でも警報装置が作動していた。この装置は風速25 m/s(メートル毎秒)以上で作動するのだが、それが2回も危険信号を示したのである。

 1回目の警報で、管理局は香住駅に問い合わせた。
「おおい、こちら福知山管理局。そっちは風が強いみたいだけど大丈夫か?」

 これに香住駅は答えていわく、
「うん、風が強いね。でも20m/s前後だから特に問題はないよ」

 そうか問題ないのか、と管理局は納得した。まあ今は鉄橋の上を通る列車もないし、そっとしておこう……。

 だが2回目の警報の時は、ちょうど「みやび」が橋の上を通過するタイミングだった。これでは止めようにももう遅く、ここで悲劇が起きる。

 時刻は13時24分(事故報告書では25分となっている)。鉄橋のほぼ中央にさしかかった「みやび」の中央の客車が、ブワッと膨らむように南側へ脱線した。

 さらに、それに引っぱられる形で、ズルズルズルと他の客車も脱線。7両まとめて41メートルの高さを落下した。

「みやび」がこのとき回送の状態だったのは、まあ不幸中の幸いだったかも知れない。だが転落した場所がまずかった。その真下には水産加工の工場があり、いきなり降ってきた客車の直撃を受けて全壊したのである。

 これにより、「みやび」の車掌1名と、工場の従業員の主婦5名の計が命を落とした。また、客車の中にいた車内販売員3名と、工場の従業員3名の計6名が重傷を負っている。

 この転落により、他にも近隣の民家が半壊している。また落下直後に「みやび」の車両からは火災も発生した。目も当てられない惨状である。

 鉄橋の上には、台車の一部と、機関車だけがぽつんと取り残されていたという。ちなみに転落の巻き添えを食らって破損した風速計があったのだが、この時の風速については33メートルを記録していたという。

 しかし、国鉄による復旧作業は実に迅速に進められた。のべ344人の作業員が投入されて、枕木220本とレール175メートルが交換。そして事故発生から3日後の31日には、被害者遺族の了解を取り付けて、15時9分にはさっそく運転を再開したのだった。

(つづく)

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北海道様似町バス炎上・転落事故(1945年)

2012-05-17 | 週末学習塾
  襟裳岬からみて国道336号線を北西へ走っていくと、海沿いに平宇という地域がある。

 北海道様似郡様似町平宇――。

 今回ご紹介するのは、この町で発生した事故である。終戦直前の時期だったため、おそらく中央ではほとんど報じられることのなかった「知られざるバス事故」だ。

 1945(昭和20)年3月21日のことである。

 時刻は午後12時50分。一台のバスが、北海道様似村(現在の様似町)平宇の国道・省営自動車日勝線を走行していた。

 このバスは、当時の鉄道省が運営する、いわゆる省営バスである。営業が始まったのは昭和18年8月1日と、ついこの間だった。

 終点は、幌泉村の庶野という場所である。地図で言えば、様似村から襟裳岬の北側を横断していく形のルートを走行していたのだった。

 さて、このバスの状態が問題だった。定員29名のところに、乗客乗員合わせて48人が乗り込んでいたのだ。完全に定員オーバーの鮨詰め状態で、まずはここからしてアブない雰囲気である。

 こんな乗車率になったのには理由があった。バスの運行時刻に遅れが出ていたのだ。

 少し詳しく書くと、もともとは、幌泉からの上りバスが本様似まで来て折り返して下り便となり、幌泉行き日勝線旅客第5便となるのが本来のダイヤだった。だがこれがあまりに遅れたため、下りバスが急遽手配されたのである。これが途中で上りと出くわせば、乗客をそちらへ移動させる予定だったそうな。

 ではその「遅れ」の原因は何かというと、戦時中ゆえの物資不足だった。燃料が、ガソリンよりも遥かに馬力の劣る「ガス」だったのだ。

 それも車両後部で薪を焚いて、そのガスで走行するという、いわゆる代用燃料車である。これの馬力のなさと言ったら半端ではなく、バス会社の開業初日からしてトラックで牽引しながらエンジンをかけたほどだったという。ひどい場合は坂道で乗客が押さざるをえないこともあったとかで、それでは遅れが出るのもさもありなん。

 とことんモノがない時代だったのである。燃料の問題を抜きにしても、バスそのものも故障続きだったという。だから、代行バスが準備された時には、待ちかねた乗客たちは我先にとバスへ乗り込んだのだ。中には出征兵の送別客も大勢いたという。

 しかも、である。

 当時このバスには、当研究室の読者ならば「あ~あ」と言いたくなるようなブツが搭載されていたのだった。

 映画のフィルムである。

 戦前から戦後にかけて、映画のフィルムというのは発火しやすい危険物だったのだ。このことは他の事例でもさんざん述べてきたが、どうも当時のバスは、こうした物品の運搬も請け負っていたらしい(※)。

(※)当時のことを知る方の話によると、法律で決まっていたかどうかは不明だが、限られた物品をバスで運ぶことはあったという。また戦後の一時期、手荷物程度のものならば切符を切って運搬することもあったそうだ。

 さて、このとき運搬されていたのは、35ミリフィルムが18巻。浦河大黒座から、幌泉の松川座へと運ばれる予定だった。

 フィルムは、平素は運転手の左横の位置に積まれ運ばれていたという。だがこの日は先述の通り大勢の人がドッと乗ってきたため余裕がない。そこでこんなやり取りがなされた。

 駅の係員Tさんは言う。
「車掌さん、フィルムの積み込みをお願いしたいんですけど~」

 だが車掌のSさんはそれどろじゃない。
「あーもう忙しくて余裕ないよ! 運転手に積んでもらって!」

 この二人は女性で、しかも年齢は19歳という若さだったという。物資どころか、みんな出征して人材も不足していたのだろう。
        
 一方、運転手は20歳の男性である。上位職なので「何やってんだ早く持ってこい」と声を荒げたか、あるいは女性二人の困っている様子に「オオ、どらどらもってこい持って来い」と様似弁で引き受けてくれたか……。

 というわけで、運転席側の窓を通して、フィルムは受け取られた。そして積まれたのが運転席右横のバッテリーの上だった。

「なんでそんなところにバッテリーが?」

 その疑問はもっともである。そう、バッテリーは普通ならそんな場所にはない。このバスでも本来ならば床下にあるべきものだった。だが当時は度重なる故障と修理のため、たまたまそこに裸で置かれていたのだ。

 また、フィルムの状況もよくなかった。平素は麻布袋で梱包されるところが、この時は映画ポスターでくるまれ、荒縄で十文字に縛られただけだったという。熱を通しやすい状態で、バッテリーの上に置かれてしまったのだ。

 この時の措置について、救出された車掌は後になって「先に新聞を積めばよかった」と回顧したという。「フィルムが安全な所に置かれたのを確認しないで『発車願います』と言って出発させた私が一番悪かった」――。

 こうしてバスは出発し、惨劇が起きたのは平宇を過ぎたあたりでのことだった。おそらく爆発音だろう、「大きな音」と同時に、フィルムが入れられていたブリキ缶が吹き飛んだのだ。梱包していた紙も燃え出した。

 わわわわ、こいつは大変だ! ――運転手は、慌ててフィルムを外へ投げ出そうとした。手掴みでやろうとしたのか、そのへんは不明だが、とにかくバスをきちんと停止させる余裕もなかったのだろう。ハンドルを取られてバスは横転、国道の築堤からはみ出すと1メートルほどの高さから海浜に落下した。

 車内に乗客の悲鳴が響き渡る。横転のため脱出が困難になっていた車内で、さらに発火したフィルムが蛇のように飛び散った。一部の乗客は衣服に着火し、たちまち煙が充満。この世の地獄である。

 鉄道事故の項目で安治川口ガソリンカー火災を紹介したが、あれと似た状況である。あのケースも、車両の横転に火災が加わったため大惨事になったのだ。

 事故を最初に発見し、通報したのは近くで遊んでいた子供たちだった。石蹴りをして遊んでいたところ、バスが黒煙を上げて燃えていたのだ。

 ただちに大人たちが駆け付け、救助活動が行われた。

 ちなみに、この事故の情報を筆者に提供して下さったIさんという方がおられるのだが、その奥さんが当時現場にいたという。小学3年生で、第一発見者の子供たちの一人だった。救助活動の修羅場の中で立ち竦んでいたのを今でもご記憶されているそうだ。

 また、当時やはり子供だったIさんご自身も、病院での惨状を目の当たりにしている。そこは現場から4~5キロ離れた本様似の病院で、怪我人たちが担ぎ込まれていたのだった。その時の状況について、せっかくなのでメールで頂いた言葉をそのまま引用させていただく(文法的なところでちょっとだけ修正した)。

「太田、高田両病院の待合室、廊下はおろか玄関口まで30人の重傷者があふれ、爪や髪の毛の焼ける臭い、焼け焦げた衣服、熱さと痛さに耐えられず震え、痙攣を起こし、体を折り曲げてうめき声を発している阿鼻叫喚の惨状を記憶しております。」

 悲惨極まりない。

 最初、火災に気付いてフィルムを投げ捨てようとした運転手も、ひどい火傷を負いながら乗客の救助にあたったという。彼は翌日に亡くなった。

 最終的には17名が死亡、13名が負傷した。国鉄の年表によっては死者13名と記録されているのもあるそうだが、これは死者が増える過程での数字だったか、あるいは負傷者数と間違えたか。

 さて、気になるのは補償である。

 一応、事故直後にはそれなりに支払われている。内訳は札幌鉄道管理局から50円、浦河駅長の名で20円、退院時の付き添い料が400円というものだった(被害者たちに一律に支払われたのかどうかは不明)。

 それでは納得いかないと、10年後の昭和30年に被害者の一人が補償交渉を行っている。しかし国鉄様似自動車区に乗り込んだはいいものの「水掛け論」に終わってしまい、追い払われる形になってしまったとか。

 事故の情報をご提供下さったIさんも、またその周囲におられるという関係者の皆さんも、裁判が行われたという記憶はないそうである。

   ☆

 筆者は最初、この事故のことをまったく知らなかった。中央の新聞で報道されていなかったためだ。

 だが一切報じられなかったわけでもない。Iさんから頂いた情報によれば、当時の北海道新聞の昭和20年3月23日付の記事で、「様似、幌泉間で満員自動車顚覆死傷者30名」という見出しで以下のように報じられているという。

「(札鉄局発表)21日12時50分省営自動車日勝線旅客第5便様似より幌泉方面に運転中車内に発火し急拠制動手配したるも右方にそれ高さ1メートルの築堤から海浜に横転し即死3名負傷者27名を出せリ、運転手は負傷したるも付近の部落民と協力救出につとめたるのち目下危篤状態にあり、原因取調中」

 記事にはさらに「5名死亡」という小見出しがあり、「右事故による重傷者は様似村太田、高田両病院に収容手当て中である死者次の如し」そしてその5名の住所と氏名が続いているという。

 よって、地元では知られているのだろう。「北海道の平宇でこういう事故があったよ」とIさんから指摘を頂いたのだった。これがなければ、筆者は永久にこの事故を知らなかったかも知れない。

 Iさんによると、赤旗新聞の付録として発行されていた「様似民報」に、この事故のドキュメントが連載されていたのだという。

 これは森勇二という郷土史研究家がまとめたもので、連載は1985(昭和60)年3月から2年に渡っていた。Iさんは図書館でそれを確認しながら当時の記憶を解きほぐし、筆者へ情報を提供して下さったのだった。

 ご協力頂いたIさんには、この場を借りて御礼申し上げたい。少しでも、事故の記憶の風化防止に役立てば幸いである。

※パブー版『事故災害研究室』では、この他にも日本の火災や鉄道事故などのルポを掲載しております。よろしければどうぞ。


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最近の重大交通事故の傾向と対策

2012-05-03 | 週末学習塾
 ある特定の時期に、特定の類型の事故が集中的に発生することを僕は「シンクロ事故」などと呼んでいますが、最近は交通事故でそれが見られますね。

 もっとも交通事故自体は、鉄道や火災、航空機事故などに比べると遥かに発生率が高いので、正しくは「特にひどい交通事故が頻発している」というべきなのでしょうが。

 では、特に注目された亀岡市の事故と、高速道路のバス事故で共通する問題は何かというと……、これは「中途半半端に便利になりすぎ」という点にあると思います。

 まず亀岡市の事故について言えば、ハード面が便利になりすぎ。幹線道路を通らなくても、生活道路を使ってしまえば短時間で目的地に行けるということで、これは確かに便利です。でもそのせいで、通学路が危険にさらされたりります。

 それからバス事故についていえば、バス旅行自体が便利に、手軽になりすぎ。あと運転手が頼りにしていたらしいカーナビも、便利だから頼ってしまうわけで、これらはソフト面で便利になりすぎといえるでしょうか。

 特にカーナビについては亀岡市の事故にも通じる要素があります。あれも大変便利なのですが、幹線道路に対する抜け道なんぞもきちんと表示してしまうんですよね。実際にその道路を使うことが適切かどうかはともかく、とにかく「こっちにこういう便利な道路があるよ」とカーナビは示してしまうのです。

 部分的には中途半端に便利になっているのですが、肝心なところの安全対策が追い付いていない。これが日本の道路事情、交通事情でしょう。

 極論ですが、道路は完全に安全にするか、あるいは完全に危険にするかという選択肢になると思います。

 後者はちょっとありえない考え方かも知れませんが、実は信号も何もない、本当に危ない交差点などでは意外に事故が起きません。皆、ヒヤヒヤして気を付けるからです。ですから生活道路は障害物だらけ、子供だらけ、道は極端に狭く入り組んでいる、道路も砂利、そんな「危険」な状態にしたほうがかえって「安全」であるという考え方もあります。

 あとは、通学路に関して言えば、幹線道路と生活道路を法的に完全に区別して、扱い方を完全に変えたほうがよさそうですね。外国などでは実際にありますが、スクールゾーンで事故を起こしたら罰金が倍になるとか。あと国内でも、標識に工夫をこらして、生活道路を特に「危険な空間」としてドライバーに知らせるという試みがあるようです。

 日本の場合、「自分のテリトリー」と「他人のテリトリー」を区別しない心性がおそらく根っこにあります。だから幹線道路と生活道路をきちんと分けないと「同じ道路なんだから同じように走って何が悪い」ということになります。

 標識がなければ60キロでもいいわけですし。そこのところ、日本の道路はドライバーの善意をアテにして作られているといっても過言ではありません。

 ただ日本人には、これとは別にウチとソトの区切りに弱いところがありますからね。生活道路に入る場所に、分かりやすく目立つ標識をつけることで、「危険な空間」という区切りを呪術的に設けてしまうのは、これは効果的だと思います。ぜひやってほしい。

 と、道路事情については、亀岡市の事故のことを念頭にあれこれ書きましたが、バス事故については……、これはあとは労働環境の問題のように思われます。改善、ぜひやってほしい。

 実はついこの間、自分が近所で交通事故(しかも死亡事故)を起こしてしまう悪夢を見てしまいまして。目が覚めた時は「あっ夢でよかった!」と心底思ったのです。それで、最近の交通事故のことはちょっと気になっていたのです。

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