群馬県明和町に「川俣事件衝突の地」の碑がある。
川俣事件とは、日本初の公害事件と称される渡良瀬川上流の足尾鉱毒事件に絡んで起きた事件のこと。
橋というのは、邑楽用水路に架かる橋のこと。
邑楽用水路右岸から左岸(南から北)を見る様子。
橋の上から南側(利根川)方面の様子。
利根川は、この先500mほどのところ。
橋の上から見る邑楽用水路上流の様子。
100mほど先(西方面)に国道122号線が走る。
邑楽用水路下流の様子。
邑楽用水路は、板倉町を経由し北川辺町へ注ぐ。
この地に、川俣事件の碑が建立されたのは平成11年のこと。
記念碑には、事件のあらましが刻まれている。
今から110年ほど前の事件である。
当時の村の地図。
画面下が現在地だが、上が南になっているので注意。
衝突による負傷者が、手当てを受けたという真如院。
現在も存在するが、半分はこの地区の公民館になっている。
記念碑がある500m南には利根川が流れる。
その利根川左岸から見た上流側の様子。
橋は国道122号線にかかる明和橋で画面右が館林方面。
利根川下流側の様子。
500mほど下流側の橋は東武伊勢崎線の鉄橋。
利根川が埼玉県と群馬県の県境で、画面右が埼玉県羽生方面、左が群馬県館林方面。
利根川左岸から見る記念碑方面。
画面左の道路の500mほど先が記念碑の場所。
画面右の木立のあるところが真如院。
重ねて言うが、今からたった110年前の日本初の公害といわれる足尾鉱毒事件に端を発する事件の地である。
(写真と文 by pokkunさん)