西田一紀 『狂いてさぶらふ』

ある事ない事そんな事

過ぎたるは及ばざるがごとし

2012年05月01日 22時57分14秒 | 日記
とはいいつつも冬がまだ名残惜しいよなあ、なんて思ってたのに気がつけばもう春も通り越して夏に突っ込んでしまいそうな時期に差しかかりつつあるわけで、そんな目まぐるしい速さで僕を、行き先も告げずに運んで行く時代は今日も平常運転、終着は未定。

唯一花粉症という憎き風物詩が、皮肉にも季節と僕を結びつけてくれたことがせめてもの救いというわけで。

桜だってまるで通り雨、おやつの時間とともに咲いたかと思えば、夕焼けが真っ赤な返り血を浴びたように空を真紅に染め出した頃にはもう散っていた、かのよう。瞬はきしてる間もありゃしない。

眠れぬ夜にふと、過去の自分の書いたブログ達を読み返していたのだけれども、自分でも気づかぬ間にコロりコロコロと文章の書き方が変わっていて何だか変な気分。どれも紛れもない僕の文章のはずなのに、額縁に収められた絵画みたいによそよそしくって、すっかり音沙汰のなくなってしまった旧友のよう。
しかしながら自分を自分たらしめているもこのが一体全体なんなのかさえもわからないままの僕は、こうやって小さく波打つ毎日を小さく切り刻んでは保存していかないと、どこかに自我さえも置いてけぼりにしてしまいそうだから、こうやって老人のようにつらつらと軌跡を遺していく次第なのである。

読み返していると去年の今頃は飲んでばかりで阿呆のようにほうけた毎日をたらたらと消費していたようだけれど、近頃の僕はめっきり飲まなくなったし、時間に追われるといったこともなく、悠々自適に心も体も健全で、ハッピーな日々を繰り返しているのだが、しかしながら3日前の事さえもすっかり愛おしくなってしまうノスタルジーおすがり症候群の僕は、あの頃はよかったなあ、なんて危うく過去の中に取り残されてしまいそうになったのだけれども、もう僕もよいお年で、そこから抜け出す術も持ち合わせているわけで、腐食しない過去をうまいぐあいに剥がしとってトリップ状態から無事に帰還することも、朝飯前なのだ。ぬはっ。
でも最近健全過ぎて少しばかり肥えてしまったかなと。

だから今宵は呑むのです。




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