布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

人権擁護法案と「信教の自由」

2008-02-19 00:17:29 | ニュース
人権擁護法案は、2002年に国会に提出され、継続審議となって2003年の衆院解散により反対になりました。つまり、可決されなかったけど否決もされていないわけです。
それがまた最近、話題になってきています。与野党とも再提出に向けた動きがあるようで、それに対しこの法案が「言論の自由」をおびやかすとか、報道統制を可能にして「報道の自由」をおびやかすなどの反対意見があります。

ただ、この法案が、憲法の保障する信教の自由をおびやかすものであることは、あまり(というかほとんど)指摘されていないようです。キリスト教会への監視や弾圧も合法的に行えるようにするものだというのに、首相の靖国神社公式参拝にはあれほど大声をあげるキリスト教界でもあまり話題になっていないような。私の周りだけでしょうか。

「報道の自由」「言論の自由」などについては、すでに論じているサイトが数多くありますので、ここではこの法案のどこが「信教の自由」に関わるのか、2002年版の法案をもとに整理します。
なお、2002年版の法案は、法務省サイト>国会提出主要法律案>第154回国会(常会)で、法案の理由、法案要綱、法案とも読むことができます。


まず、人権擁護法の目的について、第一条に次のように書かれています。
人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防並びに人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずることにより、人権の擁護に関する施策を総合的に推進し、もって、人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的とする。」
句読点がわかりにくいですが、かつての治安維持法における予防拘禁をご存知の方であれば、「実際に被害が出ていなくても、被害が発生するおそれがあると判断されるなら、実効的な予防ができる」というところに不安を感じるのではないでしょうか。

「でも『人権の侵害』があった場合でしょ」と思われるかもしれませんが、じゃあ「人権の侵害」ってなんでしょう。それは第二条に次のように書かれています。
「この法律において「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。」
「その他の」と入っていますから、平たく言うと「人権侵害とは、あれやこれやその他の人権を侵害する行為のことです」もっと要約すると「人権侵害とは、人権を侵害する行為をいう。」としか言っていないので、いくらでも恣意的に適用することができるわけです。

では、人権の侵害があったと判断したり、その場合にこの法にもとづいて調査などしたりするのは誰なのかということですが、それは警察でも裁判所でもなく、この法にもとづいて新たに設置される「人権委員会」と、各地におかれる「人権擁護委員」です。
この人権擁護委員は「国の他の行政機関、地方公共団体、学校その他の団体又は学識経験を有する者」となっていますが、「その他の団体」とあるので、人権擁護委員は、人権委員会が委嘱したいどんな人でもなれることになります。

この人権擁護委員は、人権委員会の委任により「人権侵害に関する一般調査及び一般救済の職務を行う」とされています。さらに、「不当な差別的言動であって、相手方を著しく不快にさせるもの。」などが認められた場合には、特別救済手続きを行うことができます。

特別救済手続きとは次にあげる「処分」を言います(第44条)。

1.事件の関係者に対する出頭要求・質問
2.当該人権侵害等に関係のある文書その他の物件の提出要求
3.当該人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所の立入検査

相手方を著しく不快にさせた場合、人権委員会(の委嘱をうけた人権擁護委員)はこういうことができるわけです。

このあたりから「言論の自由」「報道統制」といった話しに関わってきますが、「信教の自由」にとっても、たとえば、権力が教会を監視しようとして誰かを礼拝に出席させ、「著しく不快にさせられた」と訴えれば、牧師などに出頭を要求したり、教会員名簿などの文書やパソコンなどの物件の提出を要求したり、彼らが著しく不快にさせられた、あるいはその疑いがあると委員会が認める教会に立入検査したりできるのです。

ちなみに、これは「犯罪捜査のために認められたものと解してはならない」とされています(第44条)。つまりそもそも捜査しているのではないので、「不当捜査」だと訴えることはできないのでしょう。
さらに、「被害の救済又は予防のため必要があると認めるときは、当該行為をした者に対し、理由を付して、当該行為の停止等その他被害の救済又は予防に必要な措置を執るべきことを勧告することができる」とあります。
人権委員会や人権擁護委員が「礼拝によって人権を侵害された」と認定した場合、当該行為つまり礼拝の停止を勧告することができるのです。(第60条)

「勧告できる」だけでしょって? 勧告に従わない場合、委員会は差し止め訴訟を提起できる(第64条)上に、公表することもできます(第61条)。つまり「○○教会は人権を侵害する団体であり、現在そのことで訴えられている」ということが社会に周知されるわけです。
そういう教会が宣教したとして、聞いてくれる人がいるでしょうか。人権委員会に目をつけられたが最後、礼拝をやめるか、礼拝を続けるかわりに宣教が著しく困難になるか、どちらかということです。
「○○教会は人権侵害団体」とアナウンスされた場合、教会学校に来ている子供たちがいじめにあうことも考えられるかもしれません。ところが「人権擁護法によって人権を侵害された場合」の救済措置などはありません。「人権委員会によって人権を侵害された」ということを「人権委員会」に訴えることができるだけです。その場合、人権委員会は「人権侵害による被害が発生した、または発生するおそれがある、とは認められない」と結論すれば、それで終了です。(ということは、人権委員会にコネのある者が訴えられた場合、人権委員会が「人権侵害ではない」と判断すれば、「もみ消し」ではなく「人権侵害ではないというお墨付き」が与えられるわけですね。)

先ほどは「権力が教会を監視しようとした時」を例に挙げましたが、権力以外にもたとえば、福音の反対者が礼拝に出席すればそれこそ「著しく不快」に感じるでしょうから、そこで委員会に訴えれば、牧師の出頭を要求したり(以下省略)できるわけです。

「条文上はそういうことも可能かもしれないけれど、人権擁護と名のつく法律が、そんな新たな人権侵害を生むような運用がされるとは思えない。そんな恣意的な法律の運用をするわけがない」というのは、甘すぎというべきでしょう。必要とあれば法をどのように拡大解釈でもするのが権力というものですが、拡大解釈しなくてもこれだけのことができる法をつくろうとしているというのは、何らかの意図があると思うべきではないかと。
しかも人権委員会(定員は委員長を含めてたった5人)は、衆参両院の同意が必要とはいえ、内閣総理大臣が任命します。(「ねじれ国会」が解消され両院で与党が多数となったら)与党の都合でこれだけ強力な権力を持つ委員会を決められるのです。人権委員の任期は3年ですが、その間は(禁錮以上の刑が確定した場合を除き)本人の意に反して罷免されることはありません。仮にどんなにこの法を恣意的に運用しても、どんなに職権濫用しても、誰も委員を辞めさせることはできないわけです。しかも再任は無制限な上に、任期切れになっても後任が任命されるまでは職にとどまります。権力者にとっては、都合のいい誰かを委員にできれば、あとは後任の任命を妨げ続ければいいというカラクリになっています。

最高裁判事に関しては、形骸化しているとはいえ有権者はノーと言う権利と機会があります。しかし人権委員会に対しては、形だけでさえそのような機会はないのです。

ついでに言うと、3条1項で「業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」は人権侵害であるとされています。
たとえば教会でも、ホールなどを平日に一般に貸している場合は、1円でも使用料(献金という名目の場合を含む)をいただいているなら「業として対価を得て不動産を提供する者」が適用できます。
また、この3条1項にある「人種等」については、2条5項で「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。」とあります。
「性的指向」というのはいわゆるセクシャルマイノリティを差別してはいけないということでしょうけれど、それ以外に快楽目的の不埒なイベントのためであっても、たとえば性的乱交のために教会の施設を借りたいと申し込まれた場合に「あなたたちには許可できない」と言おうものなら、「業として対価を得て不動産を提供する者としての立場において、性的指向を理由に差別的取扱いをした」と訴えられるということです。「それは性的指向というより性的嗜好じゃないの」と思っても、判断するのは人権委員会か人権擁護委員です。

あるいは、某宗教団体を支持基盤とする某政党が、連立与党内で発言権を持って、他宗教を排撃する人物を人権委員会にすえたり、某宗教団体を「その他の団体」として人権擁護委員にすることもできます
人権擁護委員には国籍条項もありませんから、やろうと思えば、誰かさんの友達の友達のアルカイダのようにバーミヤンの巨大仏像を爆破したイスラム原理主義者の団体とか、宗教を否定するどこかの国の共産主義者が、人権擁護委員になってキリスト教会に対し特別救済手続きをとることも可能なわけです。


首相の靖国神社公式参拝に対して「信教の自由を損ねるものだ」と叫ぶ教会もありますが、私は首相が靖国神社に参拝したからと言って信教の自由がおびやかされるようなことはないと楽観視しています。「まったくそのつもりはないけど、強制されてるから頭だけはさげてやるよ」なんて参拝者を「英霊」が喜ぶわけがないし、だとすれば戦没者遺族も「強制してでも国民を靖国に参拝させろ」とは思わないでしょう。(私だって、強制されなければ歌わないような人には国歌を歌ってほしくないし、強制されて頭を下げられては国旗のほうで迷惑だろうとさえ思いますから。)
しかし、人権擁護法案は「信教の自由」を直撃します。この法案のままで、無理な拡大解釈など必要とせずに、これまで書いたようなことがすべて可能になるのです。

タテマエをいえば、迫害の時代こそキリストの再臨の前ぶれなのだし、それでなくても、信教の自由がある自由主義先進国では礼拝出席者が減り続けている一方で迫害下の国々こそ教勢が伸びている事実もあります。だから「人権擁護法案でも何でもドンと来い」と言いたいところなのですが、私はどうにも根性無しなもので。
教会あるいはクリスチャンの中で人権擁護法案について沈黙している方々が、そのように「迫害大歓迎」ということで沈黙しているのなら、その信仰を見習いたいです。

ですが、靖国公式参拝とは比較にならないほど危険なこの人権擁護法案に単に興味関心がないとかだと、あとで「こんなはずじゃなかった」ということになりますよ、と。「人権擁護」という弱者にやさしげな名称にまどわされてると、「大型間接税と称するものは導入しない」と言っておいて「新型間接税」として消費税を成立させた権力にやられちゃいますよ、と。
法律が施行される時になって「こんな危険な法律が、国民の知らないうちにつくられていたのです」みたいなことをいう恥ずかしい人がいますが(いったいどうやったら、国民の知らない間に法律を作るなんてことができるのだろう)、ふだんは政局ばかり報道し政策や法案についてはほとんど伝えないマスコミもこの法案については取り上げていますから、いつも以上にあとで「知らなかった」は通らないと思うのですが。
ジャンル:
政治
キーワード
人権擁護委員 信教の自由 人権擁護法案 言論の自由 人権擁護法 キリスト教会 報道の自由 原理主義者 共産主義者 キリストの再臨
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