インマヌエル沼津キリスト教会

神の「永遠」の発信教会
沼津市今沢34番地

イエスが去り、助け主が来た恵み(2017.6.4 ペンテコステ礼拝)

2017-06-05 22:56:53 | 礼拝メッセージ
2017年6月4日ペンテコステ礼拝メッセージ
『イエスが去り、助け主が来た恵み』
【ヨハネ14:25~28、16:7】

はじめに
 きょうはペンテコステ礼拝ですから、『使徒の働き』のパウロの伝道旅行の学びは一旦お休みにします。とは言え、皆さんもご承知の通り、ペンテコステの日の出来事は『使徒の働き』2章に書かれている事柄ですから、『使徒の働き』からまったく離れるわけにはいきません。やはりペンテコステの日には使徒2章をご一緒に読んで、この日に何があったかを再確認しておきたいと思います。

誰にでも注がれるようになった聖霊
 そういうわけで、まず使徒2章を開いて下さい(新約聖書p.228)。1節から6節までを交代で読みましょう。

2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

 これが「新約の時代」における記念すべきペンテコステの日の聖霊の注ぎの出来事です。「旧約の時代」においては、預言者のような、ごく限られた者たちだけにしか聖霊が注がれませんでした。しかし、「新約の時代」になってからは、イエス・キリストを信じる者には誰にでも聖霊が注がれるようになりました。この、誰にでも聖霊が注がれるようになることは、ヨエルが預言したことでした。
 きょうの聖書交読で開いたヨエル2章の一部を、もう一度見ておきましょう(旧約聖書p.1495)。27節から29節までを交代で読みます。

2:27 あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、【主】であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。
2:28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
2:29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。

 預言者のヨエルを通して主は、28節で「わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。と仰せられました。29節には「しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ」とありますから、男女も問いません。これは現代にも残っていることですが、暗黙のうちに女性が除外されていることはよくあることです。すべての人が対象と言っても、それは男性だけが対象ということは昔はよくあったことですし、今でもまだそういう雰囲気は残っています。しかし、主は紀元前の旧約の時代に「しもべにも、はしためにも」と仰せられて、本当にすべての人に聖霊を注ぐと仰せられました。これは素晴らしい預言ですね。
 ただし、聖霊が注がれる資格のある人々は、27節の「イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、【主】であり、ほかにはないことを知る」人々です。イエス・キリストを信じることと、このこととは同じことと言えますから、イエス・キリストを信じる者には誰にでも聖霊が注がれます。しかし、信じない者には注がれません。

ユダヤ人たちも受けた聖霊
 そうして、この日、ガリラヤ人たちの弟子たちだけでなくユダヤ人たちにも聖霊が注がれました。このことの経緯も簡単に見ておきましょう。使徒2章に戻ります。
 使徒2章の5節と6節に、

2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

とあります。ガリラヤ人の弟子たちに聖霊が注がれた現場に、大勢の人々が集まって来ました。そして、口々に色々なことを言っていたので、ペテロがそれらの人々に向かって語り始めました。14節です。

2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

 そして、ペテロはヨエル書2章の預言を引用しました。16節から18節まで、

2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

 そして、この説教の最後でペテロは言いました。

2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

 すると37節、

2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは言いました。38節です。

2:38 「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

 そして41節、

2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

 こうしてガリラヤ人の弟子たちに加えてエルサレムのユダヤ人たちも聖霊を受けて弟子に加えられました。
 『使徒の働き』の学びの中でいつも言っていることですが、これらのことを他人事として読むのでなく、私たちもまたイエス・キリストを信じれば聖霊が注がれるということを意識して読みたいと思います。21世紀の現代の私たちもイエス・キリストを信じれば聖霊を受けます。洗礼を受ければ聖霊を受けるのではなくて、イエス・キリストを信じれば聖霊を受けます。

21世紀の日本人にも注がれる聖霊
 さてそろそろ、ここできょうの聖書箇所のヨハネの福音書に移ろうと思います。まず後のほうの、ヨハネ16章7節をご一緒に読みましょう。この7節にある「助け主」というのは聖霊のことです。

16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

 聖霊の恵みで何が一番大きな恵みかということを考える時、もしかしたら、このことが一番の恵みと言えるかもしれません。人間としてのイエスさまと直接会うことができたのは、本当に限られた人たちだけでした。2000年前のガリラヤ地方やユダヤ地方にいた人たちしか会うことができませんでした。また、せっかくその頃その辺りに住んでいたのに人間のイエスさまに会えなかった人もたくさんいました。その代表がパウロと言えるでしょう。パウロはイエスさまが十字架に掛かった頃には既に青年になっていました。そして、ガマリエルの門下で学んでいましたから、十字架の頃には故郷のタルソではなくてエルサレムにいたと思われます。ですから、人間のイエスさまに非常に近い所にいました。それにも関わらず、結局パウロはイエスさまと直接会って話をしたことはありませんでした。
 このように、パウロのようにイエスさまと同じ時代に同じ場所に住んでいた者たちでさえ、イエスさまに会うことができなかった人がたくさんいました。一方、聖霊は新約の時代のどの時代のどこに住んでいる人でも受けることができます。21世紀の日本に住む私たちも聖霊を受けることができます。これは本当に素晴らしい恵みです。しかし、この素晴らしい恵みはイエスさまが去ったことで初めて受けることができるようになった恵みです。この恵みをかみ締めながら、もう一度、16章7節をご一緒に読みましょう。

16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

すべてのことを教える聖霊
 そして、この聖霊を受けると私たちはすべてのことを教えていただくことができます。そして平安が得られます。14章の26節と27節を交代で読みましょう。

14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

 この26節に書いてある、聖霊がすべてのことを教えるとはどういうことかは、ヨハネの福音書だけしか読まないなら、わかりにくいと思いますが、私たちは使徒の働きを学んでいますから、よくわかると思います。いま学んでいる使徒13章では、パウロたちは聖霊に任務を与えられて、第一次伝道旅行に出発しました。そして、間違った方向に進もうとした時には聖霊がそれを禁じました。そうしてパウロたちは聖霊に導かれて第二次伝道旅行ではヨーロッパの伝道へと向かいました。
 聖霊は、私たちの一人一人を導いて下さり、そしてまた教会も導いて下さっています。私たちはこの聖霊の導きによって隣の土地を購入するところまで来ました。そして礼拝堂を建てる一歩手前まで来ましたが、今は立ち止まっています。それは聖霊が禁じたからなのか、私たちは違う方向に進むべきなのか、いま見極めようとしています。
 しかし、どんな建物になるにせよ、隣の土地に何も建物が建たないで終わることはないでしょう。そして、どんな建物になるにせよ、中の礼拝堂に入って心を整えるなら、主の平安に満たされるような建物にしたいと思います。聖霊の恵みの中でイエスさまに心を合わせるなら私たちは27節にあるような心の平安を得ることができます。イエスさまが与えて下さる平安は、世が与えるのとは違います。

おわりに
 最後に27節をもう一度ご一緒に読んで、礼拝を終わりたいと思います。

14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

 お祈りいたしましょう。
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