平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

知恵者中の知恵者

2015-09-24 09:29:09 | 祈り会メッセージ
2015年9月23日祈り会メッセージ
『知恵者中の知恵者』
【箴言30:24~28】

30:24 この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。
30:25 蟻は力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。
30:26 岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。
30:27 いなごには王はないが、みな隊を組んで出て行く。
30:28 やもりは手でつかまえることができるが、王の宮殿にいる。

はじめに
 きょうはまだ連休の中にあります。今回の秋の連休は五連休で、世間はのんびりとした中にありますし、私も一昨日・昨日・今日の午前と三日連続で屋根の上に上がって肉体労働をしていましたから、きょうの祈祷会のメッセージは肩に力の入ったものではなくて、少しのんびりしたものにしたいと願い、箴言30章のきょうの箇所を選びました。
 この箴言の箇所は、実は今月の初めの9月3日と4日にヌエック(国立女性教育会館)で持たれた、教団によるBTC卒業7年目以内の若手牧師研修会の開会のセッションで世話役の先生が開いて下さった箇所です。短い時間でしたので24節と27節だけが読まれ、私たちは「いなご」のようでありたいというショートメッセージをいただきました。
 この若手牧師研修会に先立ち、9月1日から3日の昼まではBTCの同窓会セミナーが開かれていました。そして若手牧師研修会は同窓会セミナーが3日の昼に終わった後の3日の午後から始まりました。この時までに既に同窓会で多くのメッセージを聞いていましたから、この若手牧師研修会のオープニングの短いメッセージでどこが開かれ、何が語られたか、普段の私でしたら忘れてしまうことも少なくないのですが、私たちは「いなご」のようでありたいという不思議なメッセージに心引かれて、記憶に残りました。そして、この若手牧師研修会で「本当に私たちはいなごのようだ」という感想を私は持ちました。

四つの小さいもの
 この私が持った、「本当に私たちはいなごのようだ」という感想については後ほど述べることにして、まず、この箴言30章の24節から28節までを簡単に見ておきたいと思います。
 まず24節で

30:24 この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。

とあって四つの生き物、蟻、岩だぬき、いなご、やもりについての説明があります。25節の蟻は力のない種族ですが、夏のうちに食糧を確保する知恵者中の知恵者です。
 26節の岩だぬきは強くない種族ですが、巣を岩間に設けて敵から攻撃されないようにしている知恵者中の知恵者です。
 27節のいなごに王はいませんが隊を組みます。この隊を組むことで人が恐れるほどの強さを持つことができます。いなごは隊を組むことで強くなれることを知っている知恵者中の知恵者です。
 28節のやもりは手でつかまえることができますが、王の宮殿にいることが知恵者だと箴言は言います。やもりは動きが遅いですから、確かに手でつかまえることができます。トカゲのように動きが速いと手でつかまえることは簡単ではありませんが、やもりは簡単につかまえることができます。この夏、この会堂の2階の私の居室の中にも、どこから入ったのかわかりませんが、やもりがいましたから、私は手でつかまえて外に出しました。このやもりが、王の宮殿にいることが知恵者だと箴言は言います。どういうことでしょうか。注解書を2,3冊調べてみたら、王の宮殿にいるという大胆なところが知恵者なのだということです。でも私は、この説明にはあまり納得していません。私は王の宮殿は天井が高いために壁も高い所まであるから、簡単には手が届かないという意味で知恵者なのではないかと考えます。この会堂くらいの天井の低さであれば、高い所にいても椅子に上がれば簡単に手が届いてしまいます。しかし、王の宮殿であれば、椅子に上がっても天上に手が届くことはないでしょう。

隊を組むことができる私たち
 さて世話役の先生の牧師研修会の開会のメッセージにおける、「私たちはいなごのようでありたい」ということの意味するところは、私たち牧師はこの研修会で隊を組むことができるということでした。牧師は普段はそれぞれに遣わされた教会に散らばっていますが、この研修会では隊を組んでそれぞれが直面している問題・課題を分かち合って祈り合い、励まし合うことで強められることができます。そのような場として、この牧師研修会を用いていただきたいというお勧めのメッセージでした。そして果たして本当に、この牧師研修会で私は励まされ、強められることができましたから、確かに私たちは「いなご」のようだと思い、この箴言からのメッセージをいただけたことに心から感謝しました。
 この牧師研修会があった9月3日と4日は、私たちの教会では臨時教会総会を目前に控えていましたから、私は落ち着かない気持ちでいました。私自身がまだ牧師4年目の不慣れな者であるにも関わらず、会堂問題に直面していました。そして、取得を検討している物件が私たちの教会の規模からすれば、やや大きいということで教会内にも動揺がありました。そういう不安を抱えていましたが、牧師研修会では若手牧師だけでなく世話役の先生の他にも代表や教育局の先生方もいらして、これまでに直面した牧会上の困難な点について分かち合い、励まし合い、祈り合うことで力をいただくことができました。そして本当に私たちは隊を組んでいるという実感を得ることができました。
 さて、ではこの教会の私たちはどうでしょうか。私たちも隊を組んでいますね。私たちの教会は人数が少ないですが、私たちのために祈り、支援して下さっている方々が教会の外にたくさんいらっしゃいます。私たちはそれらの方々とも隊を組んでいます。今の会堂問題の推進力は主に、この教会の外の方々によって与えられています。このことは本当に感謝なことです。

おわりに
 そして私たちにはイエス・キリストという王がいます。いなごには王がいません。しかし、私たちにはイエス・キリストという王の中の王がおられます。このように私たちは隊を組むことができ、しかも王の中の王であるイエス・キリストがおられ、さらに私たちには聖書があります。ですから私たちは知恵者中の知恵者よりもさらに大きな力が与えられています。
 これらのことに感謝しながら、これからも困難なことは様々にあることと思いますが、恐れることなく前進して行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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