インマヌエル沼津キリスト教会

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永遠の中にいる聖徒たちと共に走る(2013.10.20 礼拝)

2013-10-20 15:34:57 | 礼拝メッセージ
2013年10月20日召天者記念礼拝メッセージ
『永遠の中にいる聖徒たちと共に走る』
【Ⅱテモテ4:1~8/へブル12:1】

はじめに
 私たちの教会は4年後の2017年の教会設立50周年の年には、是非とも新会堂を献堂したいという願いを持ち、祈りを積んでいます。今年6月に持たれた会堂祈祷強化月間の礼拝には十和田教会から廣瀬邦男先生・善子先生からのメッセージとN姉のお証しを聞き、ちょうど30年前に、この今沢の会堂を取得した時に、どのような闘いがあったかを学ぶことができて感謝でした。そして、同時にこの沼津教会で信仰に励み、今は天に召されている兄弟・姉妹方のことを知ることができましたことは、この沼津教会に着任して間もない私にとっては、大変に感謝なことでした。
 これらの先に天に召された、沼津教会における信仰の先輩方のことを直接には一人も存じ上げない私が、きょうのこの召天者記念礼拝のメッセージで何を語るべきなのか、正直を申し上げますと、1週間前にはほとんど何も与えられていませんでした。ただ、1ヵ月前にご遺族の方々にこの召天者記念礼拝の案内状をお送りした際には、きょうの聖書交読で開いたヨハネ14章のみことばの「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります」を案内状に添えていましたから、きょうのメッセージもそこから取次がせていただくことになるのだろうか、と漠然と思っていました。
 しかし、すべてを主にお委ねしてメッセージを待ち望んでいたところ、いよいよメッセージの原稿作成に取り掛かる段階になって、この召天者記念礼拝の場を、新会堂の献堂を私たちが50周年の年に必ずや実現するのだと固く決意する場にすべきであろう、という思いが沸々と沸きあがって来ました。
 ですから、今日のメッセージのタイトルの『永遠の中にいる聖徒たちと共に走る』とは、新会堂の献堂という目標を目指して、永遠の中にいる聖徒たちと共に走る、ということであると解釈していただきたいと思います。永遠の中にいる聖徒たちというのは、先に天に召された信仰の先輩方はもちろんそうですし、この世の地上生涯にいる私たちでも、イエス・キリストを信じる者には永遠の命が与えられています。ですから、天にいる者も、地にいてイエス・キリストを信じる者も、或いはまた地にいてまだイエス・キリストを信じていない者も、皆が一緒になって走るのだということです。
 今年の4月の着任礼拝の時に私は、私は経験も浅い上に単身ですから、廣瀬先生方がこれまでやって来られたことをすべて受け継いで行くことは出来ないけれども、新会堂を必ず実現するのだという熱い思いだけは、何としてでも受け継いで行きたいと、お話しさせていただきました。いま私は、その思いを新たにしているところです。きょうは、私たちの皆が、この召天者記念礼拝の場で聖霊に満たされ、先に天に召された信仰の先輩方と共に新会堂の実現に向かって走るのだという決意が主にあって確固たるものになることを願って、語らせていただきたいと思います。

1.パウロは教会の人々に何を望んでいたか
 では、きょうの聖書の箇所を見て行きましょう。
 まず第二テモテです。このテモテへの第二の手紙は、囚われの身となっていたパウロが愛弟子のテモテに宛てて書いた手紙です。パウロは迫害によって殉教する時が迫っていることを悟っていたようです。6節でパウロは、

4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。

と書いています。そして7節で、

4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

と書いています。パウロが「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え」と書いているのを読む時、本当にそうだろうなと思い、また、パウロは使徒として地上生涯を過ごしている間に、一体いくつの教会の建て上げに直接間接に関わったのだろうかと思うことです。かなりの数にのぼるであろうということだけは確かですね。使徒の働きとパウロに書かれている教会だけでも、いくつもあります。書かれていない教会でもパウロが関わっていた教会は、まだまだあることでしょう。
 では、パウロはこれらの教会の人々に何を望んでいたでしょうか。答えは一通りではなく、いろいろあると思います。しかし、いろいろある答の中でも80点ぐらいの答とか、50点ぐらいの答とか、答によって正解に近いものと、間違ってはいなくても、正解からはそれほど近くないものとがあるでしょう。
 一番正解に近い答を言う自信は、私にはありませんが、二つの答を比較して、どちらが正解に近いかということは言えそうです。パウロが教会の人々に望んでいたこととして、例えば、次の二つの答はどうでしょうか。
 ①きよい生活をすること
 ②霊的に成長すること
①も②も、どちらも間違ってはいないと思います。しかし、どちらかが、より正解に近いとしたら、私は②の「霊的に成長すること」の方が圧倒的に正解に近いと考えます。
 パウロはきよい生活をすることを熱心に勧めていますから、もちろん①の「きよい生活をすること」も正解であると言えるでしょう。しかし、それは「霊的に成長する」ために必要なことであるがゆえに、「きよい生活をすること」を勧めているのだと言えます。きよい生活をすること自体は目的ではなく、霊的に成長するための手段であると言えると思います。
 たとえば、ローマ人への手紙12章1節でパウロは、「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」と書いて、自分を聖く保つことを勧めています。そして、その後で、「それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」と書いています。つまり、聖い生活をするのは、心を整え、霊性を整え、霊的な礼拝を捧げるためのことなのです。また、エペソ人への手紙5章18節でパウロは、「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」と書いています。酒に酔ってはいけないのは、放蕩を避けて御霊に満たされるためです。「御霊に満たされる」という極めて重要なことを念頭に置かずに、ただ「酒に酔ってはいけません」と言うだけでは、日本人にキリスト教の信仰の喜びをお伝えすることはできないでしょう。

2.神と霊的に交わる喜び
 霊的に成長することを求めずに、ただ単に真面目できよい生活をしようとするなら、それはただ苦しいだけです。霊的に成長するなら、そこには大きな喜びがありますが、霊的なものを求めずにただ真面目できよい生活だけを追い求めるなら、パリサイ人たちのような、律法主義的で冷たい、魅力に乏しい人間が出来上がってしまいます。このことには、くれぐれも警戒しなければならないと思います。
 このことをパウロの手紙からだけではなく、福音書や他の手紙からも、考えてみましょう。
 例えばマタイの福音書でイエスは、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」と言っています。このことを、どのように受けとめたら良いでしょうか。イエスさまが「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません」と言っているからと言って、親孝行をせずに教会での奉仕の方を一生懸命やったとしても、もしそこに霊的な成長が見られないのであれば、あまり意味が無いと言わざるを得ないでしょう。教会のご奉仕を一生懸命にすることはとても尊いことで感謝なことです。しかし、
教会でのご奉仕を通じてイエスさまとの霊的な交わりを感じることができるようにならないのであれば、マルタとマリヤの姉妹のマルタのように、イエスさまから注意されることになるでしょう。ルカの福音書10章でイエスさまはマルタに言いましたね。

「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)

 この時、マルタの妹のマリヤの方は、イエスさまのみことばに聞き入っていて神さまとの霊的な交わりの中に入ることができていました。そうして霊的に、とても恵まれており、霊的な成長の階段を上がって行こうとしていました。しかし、マルタにはそれがわかりませんでしたから、マルタはマリヤの霊的な成長を妨げようとしました。ですから、イエスさまはマルタに、マリヤからそれを取り上げてはいけませんと注意しました。私たちの信仰生活の中でまず必要なことは、神さまと霊的に交わることを通じて霊的に成長することです。ヨハネの手紙第一でヨハネは言っていますね。

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。」(Ⅰヨハネ1:3)

 神さまとの霊的な交わりを感じることができるようになることは、本当に大きな喜びです。この喜びを周りの人々にお伝えしたくて、私たちは伝道するのですね。ヨハネの手紙第一が書いているように、私たちも、「私たちの見たこと、聞いたことを周りの方々に伝えるのは、周りの方々も私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」
 パウロも、教会の人々にこの霊的な喜びを知ってもらいたくて、一生懸命に教会の人々に霊的な成長ができるための指導を直接行い、直接の指導ができない時には手紙を書きました。パウロがローマ人への手紙を書いた時、パウロはローマに行くことを切望していましたが、その時はまだ行くことができませんでしたから、ローマ人への手紙を書きました。その手紙の始めのほうでパウロは次のように書いています。

「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです」(ローマ1:11)

 パウロは、これほどまでに、人々が霊的な成長をすることを望んでいました。パウロの手紙を読む時には、是非とも、「御霊」をキーワードにして読んでいただきたいと思います。パウロが人々に、きよく正しい生活をすることを勧めているのは、すべて教会の人々が霊的に成長して神との交わりを持つ喜びを味わうことができるようになるためです。そうして喜びに溢れた信仰生活を送るなら、天国に行けることは確実です。なぜなら、御霊が与えられて神との交わりを持つ喜びを感じることができているなら、既にこの世にいながらにして天国を霊的に感じることができているからです。それが永遠の命が与えられるということでしょう。神は過去も未来もなく、すべてが現在の永遠の中にいます。その神との交わりの中にいるなら、私たちもまた永遠の時間の中に入れられて、天国のことを感じることができるようになるのです。
 こうしてパウロは人々の霊的な成長のために熱心に働き、人々を教え導き、走るべき道のりを走り終えて、天に召されました。パウロはいま永遠の中にいます。
 そして、私たちの教会で先に天に召された信仰の先輩である兄弟姉妹方も永遠の中にいます。私たちは、この永遠の中にいる聖徒たちと御霊によって一つにされています。

3.永遠の中にいる聖徒たちと共に走る
 私は今日のこのメッセージを準備している過程で、6月に廣瀬邦男先生が残して行って下さった、この今沢の会堂の取得の経緯を今回、改めて読ませていただきました。この廣瀬先生の文章には、先に天に召された兄弟姉妹方と廣瀬先生方、そして今もこの教会に集っていらっしゃる方々がどんなに厳しい闘いの中を通って来たのかが、生々しく描かれています。
 私たちが、これから新会堂を実際に取得することになるなら、やはり厳しい闘いの中を通ることになるのだと思います。その闘いは、いまここにいる私たちだけでは、到底闘い抜くことはできないでしょう。しかし、私たちは永遠の中にいる聖徒たちと共に走っています。それは、この教会の信仰の先輩方だけではありません。パウロやヨハネや、それ以前の聖徒たちも含めた、すべての主にある聖徒たちと共に私たちは走っています。聖書朗読で読んでいただいたへブル人への手紙12章1節に書いてある通りですね。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(へブル12:1)

 私たちには、永遠の中にいる信仰の先輩たちが無数にいて、雲のように私たちを取り巻いて、私たちと共に走ってくれています。イエス・キリストを信じて永遠の命を与えられものは皆、そのようにして永遠の中で一つになっています。私たちは、このことが、どんなに喜びに満ち溢れたことであるかを、この地域の方々に広くお伝えして行きたいと思います。きょうの聖書箇所の第二テモテ4章2節でパウロは書いています。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」

 みことばを宣べ伝えるのは、主に牧師である私の役目だと思いますが、この教会に多くの人が集うようにするには、皆さんの力が必要です。お知り合いをこの教会に誘って連れて来たり、インターネットを通じて広くお知らせしたり、チラシを配ったりしてみことばを聞く人々を増やして行くには、皆の力が必要不可欠です。私たちの力は小さいですが、もし私たちの皆が、御霊の一致を得て動くなら、永遠の中にいる聖徒たちの力も加わり、大きな力となって行くことでしょう。
 聖書交読でご一緒に読んだヨハネの福音書14章2節でイエス・キリストは、

「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。」

と言いました。そして3節で、

「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをおらせるためです。」

と言いました。このように、イエスさまは私たちが天に召されたなら、私たちがいる場所はたくさんあるとおっしゃっています。イエスさまは、できるだけ多くの者たちが、天国の父の家に入ることを望んでおられます。私たちはそのイエスさまのご期待に是非ともお応えしたいと思います。せっかくイエスさまが住まいがたくさんありますとおっしゃって下さっているのですから、この沼津の地から、もっともっと多くの人々が天国の父の住まいに入ることができるように、共に働こうではありませんか。まずはこの会堂を満杯にして、そして、もっと大きな会堂を建てて、そこも満杯にしようではありませんか。そうして、この沼津の地の多くの方々が、天国の父の住まいに入ることができるよう、イエスさまのお手伝いをしようではありませんか。

4.永遠の中を生きるとは
 きのう私は、30年前の私が何をしていたかを振り返るひとときを持ちました。天に召された先輩方と廣瀬先生方、そして皆さんが、この今沢の会堂を取得した30年前の1983年は、私は大学院の修士課程の1年生で、材料科学の研究者としての第一歩を踏み出し始めた年でした。研究者として第一線で働くことができる者になれるよう、私自身の闘いも始まった年だったのですね。それは、一見、信仰の闘いとは無関係なようにも見えますが、しかし大きな目で観るなら、私もまた沼津教会の皆さんと共に闘いを始めた年であったとも言えると思っています。それが、永遠の中を共に走るということではないでしょうか。それが過去・現在・未来が一体になった、永遠の時間の中を共に生きるということであると私は思います。なぜなら、私は材料科学の研究者として実験に用いていた電子顕微鏡を通じて、量子力学の不思議な世界に触れ、その不思議な世界について思いを巡らせた経験が、いまのヨハネの福音書の永遠の時間観を読み解くことに確実につながっているからです。目に見えない小さなミクロの世界では、ニュートンの力学ではなくて量子力学が支配しています。これは、本当に不思議な世界です。しかし、それがどんなに不思議で納得できないことであっても、実験結果が誤りなく不思議な現象が実在することを示しているのなら、私たちはその不思議な結果を受け入れなければなりません。ですから私は聖書の世界で不思議なことが起こっていても、量子力学の世界の不思議さに比べたら大したことではないとさえ思っています。ですから聖書の世界の不思議なこともそれほど抵抗なく受け入れることができます。理工系の研究者でキリスト教の信仰を持つ人が少なくないという事実の背後には、不思議なことを受け入れる寛容さがあるのではないかという気が私はしています。
 いま私は、これまでの私の経歴をフルに活用して、ヨハネの福音書の永遠の時間観を読み解き、それを皆さんにお伝えすることを始めています。この沼津教会の祈祷会と礼拝の説教では、ヨハネの福音書が持つ独特の時間構造を永遠の観点から説き明かしています。そして、いま永遠について説き明かしている、この今沢の会堂が取得された年が、私が研究者として第一歩を踏み出した1983年と同じ年であることに、私は永遠の中での不思議な一致を感じます。私は教会で、現在のこの今沢の会堂を足掛かりにして、次のステップに進むことをリードする立場にいますが、私のその歩みは既に1983年から始まっていたのだということを感じています。それが永遠の中にいる聖徒たちと共に走るということであろうと感じています。
 廣瀬先生は、この今沢の会堂を取得した時には神さまの不思議な働きがあったとお証ししていますが、この今沢の会堂に限らず、どの教会のどの会堂においても、新しい会堂が建つ時には、必ず神さまの不思議な働きがあるものだということをよく聞きます。ですから、私たちがすべきことは、この今沢の会堂の次の新会堂を求めて行く中でも、必ず神さまの不思議な働きがあることを信じて、祈りを積んで行くことでしょう。神さまの不思議な働きを信じて、永遠の時の中に私たちのすべてをどっぷりと委ね、永遠の中にいる聖徒たちと共に走って行くなら、不思議なように事が運んで行くのだということを、私たちは信じたいと思います。

おわりに
 この会堂の正面のみことばにもありますが、ヨハネ14章6節でイエスさまはおっしゃいました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

 こうしてイエス・キリストは私たちを永遠の中に招いて下さっています。ここにいる私たちだけでなく、この地域にいるすべての人々を招いて下さっています。ですから私たちは、この地域の多くの方々が集える会堂を与えていただくことができるよう、きょうのこの、召天者記念礼拝の日に、先に天に召されて永遠の中にいる信仰の先輩方と共にお祈りしたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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量子力学 (banana)
2013-10-22 00:04:17
共に走るという言葉が心に残りました。社会では、いろんな場面で競争(競走)があって、勝ち組負け組なんていう言葉もありますが、共走(きょうそう)と思えば、もっと良い方向に物事が進むのではないかと思いました。

一つお伺いしたいのですが、量子力学とは何かということを、中学生でも理解できるような言葉で教えて欲しいのですが、可能でしょうか。インターネットで検索しましたが、わからないのです。難しいと言われたら、引き下がるしかないのかもしれませんが。まず量子力学という言葉さえ聞いたことがなくて、漁師力学かU+2048…と思ったほど、恥ずかしながら無知です。

こんな質問ですみません。
よろしくお願いします。
少し時間を下さい (牧師)
2013-10-22 09:16:21
bananaさま
 コメントをありがとうございます。
 考えてみたいと思いますので、少しお時間をいただきたく思います。できれば1か月ぐらいのスパンでお待ちいただければ感謝です。
 考える過程をツイッターでつぶやいてみようかな、とも思います。
 https://twitter.com/chissonosuke
 
ありがとうございます (banana)
2013-10-25 06:13:20
難しいことをお願いしてしまって、申し訳ありません。
Twitterを見ています。粒子と波…細かな世界だけどダイナミックにも感じます。
ご回答、楽しみにしています。
10/27の礼拝説教で (牧師)
2013-10-27 19:21:24
 このコメント欄で短く簡潔に説明するのは難しいと思ったので、説教にしてみました。もう少しわかりやすいものにしたかったのですが、そんなにはわかりやすくなくて、教会の皆さんにも申し訳なかったです。
 物理学を取り入れた説教は前任地でも、たまにしていました。あまり頻繁では聴衆もきついと思いますが、21世紀の伝道には、このような説教も必要だと思いますので、また、何か月後かに、チャレンジしてみたいと思います。何度も行ううちに、段々わかりやすいものになって行けば良いなと思います。

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