インマヌエル沼津キリスト教会

心に「聖霊の光」を灯す教会です
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継承されて行く箱舟造り(2016.10.16 召天者記念礼拝)

2016-10-17 04:42:59 | 礼拝メッセージ
2016年10月16日召天者記念礼拝メッセージ
『継承されて行く箱舟造り』
【創世記6:5~18】

はじめに
 きょうは召天者記念礼拝に多くの方々に集っていただくことができて、大変にうれしく思います。心より感謝申し上げます。
 昨年の召天者記念礼拝もやはり10月の中旬に持たれました。そして、この1年間でこの会堂の周辺の状況が大きく変化しましたから、きょうのメッセージの後半では、この1年間にあったことを簡単に振り返らせていただくことにしています。その前に、前半では、きょうの聖書箇所の創世記のノアの箱舟の箇所をご一緒に見たいと思います。
 教会は、「現代のノアの箱舟」と呼ばれています。そうして、信仰の先輩たちによって、この箱舟が造られ続けて来ました。この教会で言えば、週報の3ページ目に記した、既に天に召された信仰の先輩方です。これらの先輩たちによって私たちの教会は作られ、維持されて来ました。この教会もまたノアの箱舟です。では、なぜ教会が現代のノアの箱舟なのか、このことを前半でご一緒に学びましょう。

ノアの箱舟
 ノアの箱舟の話は、聖書にあまり馴染みがない日本人であっても、ほとんどの人が良く知っている有名な話だと思います。このノアの箱舟の話は一昨年には『ノア 約束の舟』という題名で映画にもなり、沼津でも上映されましたから、私も観に行きました。ただ、聖書の記述とだいぶ違っていたので、観てガッカリもしました。それでも聖書の物語に多くの日本人が触れる機会があったことは良かったのではないかなと思っています。
 さて、既に話した通り、教会は現代のノアの箱舟と呼ばれていますから、ノアの箱舟の話は、決して何千年前も前の大昔の話ではなく、現代の話でもあります。ただし、ノアの箱舟と現代の教会とでは異なる点も色々とあります。どこがどう違うのでしょうか。そのことを話す前に、先ずは創世記のノアの箱舟の記事に書かれていることを、ご一緒に簡単に見ておきたいと思います。
 創世記6章5節を、私の方でお読みします。

6:5 【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

 ノアの時代、神様の目から見ると人は悪いことばかり考えていました。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛めました。そして主はこう仰せられました。7節です。

6:7 「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」

 「地の面から消し去ろう」とは、大洪水を起こして流してしまおうということです。そんな中でも8節と9節にあるように、ノアは神様の御心にかなった正しい人であり、神様と共に歩んでいました。しかし、その他の人々は違いました。11節と12節をお読みします。

6:11 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
6:12 神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。

 それで神は、堕落した者たちを大洪水で滅ぼしてしまおうと考え、ノアに箱舟を造るように命じました。

6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。

 そしてこの箱舟にノアとノアの家族たち、そして動物たち一つがいずつが入るように言いました。そして、少し飛ばして22節をお読みします。

6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。

 きょうの聖書朗読でお読みした箇所は、ここまでですが、もう少し読み進めます。ページをめくっていただいて、7章の15節と16節をお読みします。

7:15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところに入った。
7:16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、【主】は、彼のうしろの戸を閉ざされた。

 こうしてノアとノアの家族、そして一つがいの動物たちが箱舟に入ると、神様は箱舟の後ろの扉を閉じました。扉はノアが閉じたのではなく、神様が閉じたということを覚えておきたいと思います。そして17節と18節、

7:17 それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。
7:18 水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。

 こうして箱舟に入った者たち以外は洪水で流されて滅びてしまいました。
 駆け足で読みましたが、以上がノアの箱舟の話の概略です。そして、このことは現代でも起きることだと私は先ほど言い、しかしノアの箱舟と現代の教会とでは異なる点もあると言いました。

現代の教会とノアの箱舟とで異なる点

 次に、この異なる点を3点に絞って話をします。先に挙げておくと、

 ①現代の教会においては全ての人々に対して門戸が開かれている
 ②現代における滅びとは魂の領域、霊的な領域の話である
 ③現代の教会の扉はまだ閉じられていない

の3点です。
 まず第一の異なる点です。ノアの時代には箱舟に入ることができた人間はノアとノアの家族だけでしたが、現代の教会では、全ての人々に対して門戸が開かれています。教会の門が閉じる前に教会に入るなら、誰でも滅びを免れることができます。この第一の点については、そんなに説明する必要はないと思いますから、次の第二の点に進ませていただきます。
 ノアの箱舟と現代の教会とで異なる第二の点は、ノアの洪水では人々が流されて滅んでしまいましたが、現代の教会においては、これは魂の領域の話であるということです。
 どういうことかと言うと、例えば2011年の東日本大震災では多くの人々が津波で流されて亡くなりました。その中にはもちろんクリスチャンも含まれていたことでしょう。或いはまた、2004年のインドネシアのスマトラ沖で起きた地震による津波では、多くのクリスチャンが命を落としたことが知られています。クリスチャンだから自然災害を免れることができるということは決してありません。これらのクリスチャンは亡くなってしまいました。しかし、ここからが重要なのですが、これら津波で流されたクリスチャンの魂が滅びたわけではありません。神を信じる者にとって、この世は仮の住まいであって、目指すべき本当の住まいは天国にあります。ですから、この世で津波に流されて命を落としたとしても、天国へ行くわけですから魂は滅びず、それは単に仮の住まいから本来の住まいへと移動したに過ぎません。
 このことは、きょうの聖書交読でお読みしたヘブル書のアブラハムの箇所にも、そのように書かれています。ヘブル人への手紙11章をもう一度開きましょう(新約聖書p.438)。11章の13節をお読みします。

11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

 アブラハムは地上では旅人であり、この世においては約束のものを手に入れることはありませんでした。私たちの教会で既に天に召された私たちの信仰の先輩たちも同じです。先輩たちも、この世では旅人であり、この世にいる間は約束された天国を手に入れることはありませんでした。しかし、この世を去るなら、さらにすぐれた天の故郷である天国に行くことができます。少し飛ばして16節をお読みします。

11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

 神様は天国を用意しておられました。これで第二の異なる点もご理解いただけたことと思います。ノアの時代に洪水によって流された人々は魂も滅びてしまいました。それは不信仰な人々だったからです。しかし、現代のノアの箱舟である教会に入ったクリスチャンは違います。たとえ津波で流されたり、台風や火山の噴火などの自然災害や交通事故に遭ったり、或いは病気などで命を落としたりしたとしても、魂が滅びるわけではありません。この世においてはすべての人は旅人であり、本来の故郷である天国を目指します。そして箱舟である教会に入ってクリスチャンになるなら、天国へ行くことが約束されます。
 では天国に行けなくて魂が滅ぼされた時にはどうなるのでしょうか。実は聖書にはその場合の記述がほとんどありません。天国の記述に関しては黙示録の21章と22章など、それなりにありますが、天国に行けなかった場合の記述はルカの福音書に死んだ金持ちがハデスで苦しんだという記述がわずかにある程度でハッキリしたことはわかりません。ただ、そのハデスの描写は仏教で言われているような地獄によく似た描写がされていることは、とても興味深いことだと思います。ですから、そういう地獄のような所があるのかもしれません。しかし教会はすべての人に門戸を開いていて、この教会に入るなら、魂が滅びることはありませんから、地獄のことを想像する必要はないわけです。

まだ閉じられていない扉
 そして第三の異なる点は、教会の扉はまだ閉じられてはいないということです。先ほど読んだノアの箱舟の箇所では神様が箱舟の扉を閉じたことが記されています。そうして神様は大洪水を起こしてノアとノアの家族以外の人々は滅びました。しかし、現代の教会の扉は、まだ閉じられてはおらず、すべての人々に門戸が開かれています。
 では、教会の扉はいつ閉じられるのでしょうか。それは神様しかご存知ではありませんから、私たちにはわかりません。明日かもしれませんし、来年かもしれませんし、何百年後かもしれません。いわゆる終末と呼ばれる終わりの日に教会の扉は閉じられます。この時までに教会に入っていない者は滅びます。
 終わりの日がどういう形で来るのかも、私たちにはわかりません。一つの可能性は核戦争が起きることです。朝鮮半島から核ミサイルが発射されて、それが核戦争に発展するかもしれません。アメリカで過激な発言を繰り返している共和党の大統領候補が大統領になれば、その危険はさらに高まることになるでしょう。
 この終わりの日が来ると、使徒信条に書いてある通り、イエス・キリストが再び来て、私たちを生ける者と死にたる者とに分けます。すなわちイエス・キリストが再臨して永遠の命へ入る者と永遠の滅びに入る者とに選別します。これがいわゆる「最後の審判」と呼ばれる裁きです。この終わりの日が何百年後かになるようでしたら、私たちは既に眠りに就いていますから、この日に起こされて最後の審判の場に立たされます。
 核戦争が無くても、地球はいつか必ず滅びますから、終わりの日は必ず来ます。なぜなら何十億年か経てば太陽が今のままではなくなるからです。太陽は燃料の水素を使い果たしたら今の太陽ではなくなります。その時に地球がどうなるかは、いくつかのパターンが考えられるようで必ずしもハッキリしませんが、何十億年か後には地球は人類が住めない環境になることは確かです。この時が終わりの日なのかもしれません。
 この何十億年も後のことが、まだ遠い未来の話だと思ってはなりません。なぜなら私たちが一旦眠りに付けば、次に起きる時まで時間の流れを意識することはないからです。何億年経とうと、終わりの日が来て起こされたなら、昨日の晩に寝て今朝起きたのと同じように感じることでしょう。そうして永遠の命に入るか、永遠の滅びに入るかの裁きを受けることになります。
 神様は私たちを愛して下さっていますから、私たちのすべてが永遠の命に入ることができるように教会の門戸を開いて人々を招いています。神様はイエスさまを十字架に付けて私たちの罪を赦して下さいましたから、私たちは皆、教会に入るなら滅びを免れることができます。教会にいる私たちはその神様の働きのお手伝いをしています。既に天に召された私たちの先輩も、その神様の働きのお手伝いをして来ました。

新しい箱舟の必要

 その神様の働きのお手伝いの中でも大きな位置を占めるのが、教会の会堂の維持でしょう。教会の会堂は神様が与えて下さいます。その会堂を私たちは維持して行かなければなりません。そして古くなれば新しく建て替えなければなりません。キリスト教会は二千年の間、延々とこれを繰り返して来ました。私たちの沼津教会も49年前の設立以来、M兄姉のお宅に始まって、いくつかの借家時代を経て33年前の1983年に、この今沢の土地と建物を取得しました。以来、この地域の人々に門戸を開き、現代のノアの箱舟の働きを続けて来ました。
 しかし、今のこの箱舟も老朽化が進んで傷みが激しくなって来たために、新しい会堂の建設を模索することになりました。ここまでが、一年前までの状況です。一年前の9月に私たちの教会は南隣にある土地を購入して新しい会堂の建設用地とすることを決定しました。そして、この決定を一年前の召天者記念礼拝のご案内の文書の中でも報告し、礼拝の中でも説明をしました。
 その一年前には、まだ隣にアパートがあり、住人の方々もいました。その住人の方々も11月と12月に転居して今年の1月にアパートの解体工事が為されて更地になりました。そうして、2月に地主さんと売買契約を結びました。また、3月には県庁から非課税証明が発行されて法務局への登記も完了し、名実ともに私たちの教会の土地になりました。そして今、私たちはこの土地に新しい会堂を建てるための準備を整えているところです。資金の関係で隣に建てるのは礼拝堂だけにして、牧師は今のこの会堂に住み続ける予定ですから、この会堂を今しばらく使い続けることができるように、6月には会堂の外側の修繕工事も行いました。
 これらの一連の出来事の中には、神様の導きがあったと確信しています。その確信は、様々な偶然が重なったことによります。これらの偶然の一つ一つは、起きる可能性が非常に低いことばかりです。その可能性の低いことが立て続けに起きましたから、これらは偶然ではなくて神様がそのように導いて下さったのだと私たちは考えています。
 まず資金面ですが、私が前任の先生から会堂建設の積立金を受け継いだ時には、これではとうてい会堂建設に踏み出せないという積立金額でした。しかし、屋根の老朽化が思っていた以上に深刻であることがわかり、新しい会堂の建設に向けて一歩を踏み出し始めると、不思議と会堂献金が祝されるようになって、隣の土地を買うことができるまでになりました。この隣の土地を買うに至った経緯にも、いろいろと不思議なことがありました。私たちが新会堂の建設を考え始めた、ちょうど同じ時期に隣の土地の地主さんも土地を売ることを考えていたということが、先ずはとても不思議な偶然でした。
 細かい話をいちいちしていると、時間が掛かりますので、その多くは省きたく思いますが、この教会の玄関の前の道路に下水が引かれることになったことも不思議な偶然です。下水の設備がなければ会堂を建てる場合、浄化槽を設置しなければなりません。それだけで多額の出費がありますが、素晴らしいタイミングで下水工事が行われることになりました。
 それから、隣の土地に建てるのは礼拝堂だけですから、この会堂の外側の修繕をする必要がありました。特に屋根の下の軒天井は穴が開いていて鳥が出入りするような状態になっていましたから、早く取り掛かったほうが良いと思っていました。しかし、その際には物置も撤去すべきと私は思っていましたから、物置の中の整理の手間のことなど考えると、なかなか踏み出せずにいました。すると、今年の4月に低気圧が通過した時に強い風が吹いて屋根を囲っている鉄板の一部が脱落してしまいました。この風の災害の修繕に保険金が降りることになり、保険金によって足場を組む費用や、屋根の囲いの修繕の一部、玄関の修繕費も賄われることになりましたから、このタイミングで外壁の塗装も含めた大規模な修繕ができて本当に感謝でした。この風が吹いた日も素晴らしい偶然でした。風が吹いたのがちょうど日曜日で、しかも会堂の設計を担当して下さっているA兄が、来て下さっている時でした。それで応急処置もA兄がやって下さり、修繕業者もA兄が紹介して下さったので、保険金の手続きも迅速に進めることができました。もし風で屋根の囲いが脱落したのが平日だったら、私は一人でオロオロしていたと思いますが、日曜日に風が吹き、しかも他の教会の教会員であるA兄がたまたま教会に来ていた日であったのは、本当に素晴らしい偶然であったと思います。
 このように、あまりに多くの素晴らしい偶然が重なりましたから、これは神様の御業が行われている証拠であると私たちは確信しています。ですから、必ず新しい礼拝堂が建つと確信しています。さてしかし、それが何時のことになるのかは、私たちはまだよくわからないでいます。神様が最善のタイミングで最善の規模の礼拝堂を与えて下さるであろうと確信していますが、今はまだよくわかりません。祈りつつ、神様の御声に耳を傾けて行きたいと願っています。

おわりに
 初めにも言った通り、教会は現代のノアの箱舟です。神様はすべての人々を愛しており、すべての人々を救いたいと願っていらっしゃいます。そのために神様は私たちに教会の会堂を与えて託して下さり、沼津の地域の方々に向けて門戸を開いています。49年前にM兄のご家庭を間借りしての礼拝に始まり、借家時代を経て、この今沢の地では33年前にその働きが始まりました。そうして既に天に召された信仰の先輩たちが、この神様の働きのお手伝いをして来て下さいました。そして今、私たちはその神様の働きのお手伝いを先輩方から継承し、これからも続けて行き、後の世代に引き渡して行きます。この働きは神様が終わりの日に教会の扉を閉じる時まで続けられます。ですから、神様は必ず私たちに新しい礼拝堂を与えて下さいます。
 このことを信じて、これからも私たちは神様と共に歩んで行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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