インマヌエル沼津キリスト教会

人生を豊かにする聖書を伝える教会
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律法の恵みと聖霊の恵みの重なりを表すニコデモ(2017.6.14 祈り会)

2017-06-15 09:34:45 | 祈り会メッセージ
2017年6月14日祈り会メッセージ
『律法の恵みと聖霊の恵みの重なりを表すニコデモ』
【ヨハネ1:16~17、3:1~10、7:37~52、19:31~42】
 
はじめに
 先週と先々週は、ヨハネの福音書の1章と2章を開いて、「旧約の時代」の恵みと「新約の時代」の恵みとがイエス・キリストにあって重なっていることを、ご一緒に見ました。この「旧約の時代」の恵みとは出エジプトによる救いと律法の授与の恵みであり、「新約時代」の恵みとは十字架による救いと聖霊の授与の恵みです。このように「旧約の時代」の恵みと「新約の時代」の恵みとが重なっていることを、ヨハネは恵みの上にさらに恵みを受けたという言い方をしています。ヨハネ1章の16節と17節です。

1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。

 イエス・キリストは「旧約の時代」の初めからおられて、まずモーセを通して律法の恵みを人々に与え、そしてその律法の恵みの上にさらに聖霊の恵みをお与えになりました。律法の恵みに代わって聖霊の恵みを与えたというのでなく、律法の恵みの上にさらに聖霊の恵みが増し加わりました。このことは、先週と先々週みたようにヨハネの福音書では「旧約の時代」と「使徒の時代」とが重ねられていることからわかります。

律法の恵みと聖霊の恵みの重なりを表すニコデモ

 そして、きょうはニコデモの箇所をご一緒に開くことにします。このことによって、さらに聖霊の恵みが律法の恵みに取って代わったのではなく、二つの恵みは重なっているのだということを感じていただけるものと思います。
 きょうは私の解説は短めにして、ヨハネの福音書の記述をじっくりと味わうことにしたいので、やや長めに引用します。
 まず、ヨハネの福音書3章の1節から10節までを交代で読みましょう。

3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」
3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。

 先週と先々週のヨハネ1章と2章の学びの延長としてこの3章を見るなら、この律法の専門家のニコデモの登場は、「旧約の時代」においてはシナイ山での律法の授与の出来事に当たります。ヨハネ1章は創世記の出来事、ヨハネ2章では出エジプトの出来事が重ねられていましたから、このニコデモの箇所は律法の授与の出来事です。少し後の3章14節では民数記に記されているモーセが荒野で蛇を上げてことが記されていますから、そのことからも、このニコデモの箇所では律法の授与の出来事が重ねられていると確認できます。そして「使徒の時代」においてはヨハネ1章は弟子たちが復活したイエス・キリストと出会ったこと、ヨハネ2章ではペンテコステの日の出来事と重ねられていることを学びましたから、このヨハネ3章は聖霊の授与によって弟子たちが加えられて教会が成長していったことと重ねられていると見ることができます。
 ここでイエスさまはニコデモに聖霊の恵みについて説明します。そして、よく理解できていないニコデモに対して、10節のように言いました。

「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。」

これはつまり、律法の恵みをしっかりとわかっている者であれば聖霊の恵みもわかるべきことだということです。律法には神様の愛がたっぷりと詰まっています。そして聖霊は神様の愛そのものだとも言えます。律法の恵みと聖霊の恵みは共に神様の愛の現れであって決して対立するものではありません。

律法に基いてイエスを擁護したニコデモ
 ニコデモはこの3章の時点では聖霊の恵みをほとんどわかっていませんでしたが、7章においては、少しだけ理解できるようになっていました。今度は7章をご一緒に見ましょう。少し長いですが、37節から52節までを交代で読みましょう。

7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
7:40 このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ」と言い、
7:41 またある者は、「この方はキリストだ」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。
7:42 キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」
7:43 そこで、群衆の間にイエスのことで分裂が起こった。
7:44 その中にはイエスを捕らえたいと思った者もいたが、イエスに手をかけた者はなかった。
7:45 それから役人たちは祭司長、パリサイ人たちのもとに帰って来た。彼らは役人たちに言った。「なぜあの人を連れて来なかったのか。」
7:46 役人たちは答えた。「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」
7:47 すると、パリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。
7:48 議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。
7:49 だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」
7:50 彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。
7:51 「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」
7:52 彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」

7:51 「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」

 このようにニコデモは律法を重んじた上で、聖霊について語ったイエスさまを擁護しています。このようにニコデモは3章の時に比べれば聖霊の恵みについて少しだけ理解できるようになったようです。そして、このニコデモについての記述からもヨハネの福音書が律法の恵みと聖霊の恵みとを重ねていることが見て取れます。

旧約聖書が土台になっている十字架の場面
 そうしてニコデモが三度目に登場するのはイエスさまが十字架で死なれた後の場面です。ここも少し長いですが、19章の31節から42節までを交代で読みましょう。

19:31 その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。
19:32 それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。
19:33 しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。
19:34 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。
19:35 それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。
19:36 この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書のことばが成就するためであった。
19:37 また聖書の別のところには、「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」と言われているからである。
19:38 そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。
19:39 前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。
19:40 そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
19:41 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
19:42 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

 36節に

19:36 この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書のことばが成就するためであった。

とありますし、今はご一緒に読みませんでしたが、同じ19章の24節と28節でも「聖書が成就するため」とありますから、十字架の場面は旧約聖書が土台となって重なっていることがわかります。
 そしてアリマタヤのヨセフとニコデモはユダヤ人の習慣に従ってイエスさまを埋葬しました。ですからヨハネの福音書は「旧約の時代」の恵みを少しも否定することなく、「新約の時代」の恵みを重ねていることがわかります。

恵みの上にさらに重ねられる恵み
 もし時間を川の流れのようにイメージして、聖書の時代が「旧約聖書の時代」から「新約聖書の時代」に移り変わって行ったというように捉えるなら、「旧約の時代」の律法のことを悪く捉えてしまうかもしれません。しかし、そのような捉え方では神様の愛をたっぷりと感じることは難しいでしょう。一方、神様の愛は「旧約の時代」の恵みの上にさらに「新約の恵み」が重ねられる方向に分厚く存在するとイメージするなら、神様の豊かな愛を感じることができます。そうして、この神様の豊かな愛の中に心を委ねるなら、素晴らしい心の平安を得ることができます。
 この神様の豊かな愛を、私たちは存分に味わい、そして地域の方々にお伝えして行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
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