インマヌエル沼津キリスト教会

十字架から二千年の2033年までに平和を
沼津市今沢34番地

沼津コーストFM「潮風の中で」メッセージ(2017年8月12日放送)

2017-08-13 04:29:26 | 牧師のつぶやき
沼津コーストFM「潮風の中で」メッセージ(2017年8月12日放送)
インマヌエル沼津キリスト教会・小島 聡 


♪音楽①:映画『夕凪の街 桜の国』オリジナル・サウンドトラックより二曲
 「掌(てのひら)のハンカチ~お姉ちゃん」(2分23秒)
 「ひとつの願い~ゴエモン~」(1分11秒)

 この番組のメッセージを私が担当するのは今回で7回目ですが、8月のメッセージを担当するのは初めてです。8月は「戦争と平和」について考える月と言っても過言ではないと思います。特に8月の前半はそうです。今回、「戦争と平和」について考える8月の前半に初めてメッセージを担当することになったことに私は不思議な巡り合わせを感じています。というのは、私は2ヶ月前の6月に、平和の実現を願って一冊の本を出版したばかりだからです。本のタイトルは「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」です。
 タイトルに使わせていただいた『夕凪の街 桜の国』は、広島の原爆の被害者とその家族を描いた漫画で、作者はこうの史代さんです。この作品は佐々部清監督によって映画化もされて、ちょうど10年前の今の夏の時期に上映されていました。
 「夕凪の街」とは広島のことで、「桜の国」とは東京のことです。「夕凪の街」の物語では広島で原爆の被害に遭いながらも生き延びていたヒロインが、10年後の昭和30年に放射線障害の原爆症を発症して亡くなります。そして亡くなったヒロインの家族は、しばらく広島で過ごした後に東京に引っ越します。「桜の国」は、その東京の家族の物語です。この家族は表面上は明るく過ごしていますが、心の底では悲しみと苦悩を抱えています。つまり「桜の国」の物語の下には「夕凪の街」の悲しい物語があって、二つの物語は重なり合っています。
 この「夕凪の街」と「桜の国」の二つの物語が重なって一つの物語になっている『夕凪の街 桜の国』の構成は、聖書ととても良く似ています。聖書も「旧約聖書」の物語と「新約聖書」の物語の二つが重なって一つの物語になっているからです。平和を実現するには「旧約聖書」と「新約聖書」とを重ねて考えるべきです。「旧約聖書」の時代を過去に置き去りにするのでなく、土台として据えることが大切です。
 「新約聖書」の物語の土台には「旧約聖書」の時代のイスラエルの悲しみがあります。「旧約聖書」の時代、イスラエルのダビデとソロモンの王国は繁栄していましたが、ソロモンの死後、北王国と南王国の二つの国に分裂してしまいました。そののち北王国はアッシリヤ帝国によって滅ぼされ、南王国はバビロニヤ帝国によって滅ぼされてしまいました。その後、イスラエルの民族はほとんどの時代において大国の支配下に置かれて、「新約聖書」の時代にはローマ帝国の支配下にありました。「新約聖書」の下にある土台には、このイスラエルの北王国と南王国の滅亡の悲劇があることを忘れてはなりません。
 北王国がアッシリヤ帝国に滅ぼされて人々が国外に連行されて行ったことは「旧約聖書」の列王記第二18章に記されています。サマリヤという地名が出て来ますが、サマリヤとは北王国の首都のことです。お読みします。

「イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリヤは攻め取られた。アッシリヤの王はイスラエル人をアッシリヤに捕らえ移し、町々に連れて行った。これは、彼らが神の声に聞き従わず、その契約を破り、モーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである。」(列王記第二18:10~12、聴き易いように一部を改変)

 聖書はこのように、イスラエルが滅びたのはイスラエル人が神の声に聞き従わなかったからだとしています。こうして北王国のイスラエル人たちはアッシリヤに捕らえ移されて二度と戻ることがありませんでした。
 そして、イエス・キリストは、このことをとても悲しんでいます。その悲しみが表れている「新約聖書」の『ヨハネの福音書』6章をお読みします。

「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。そこで、イエスは十二弟子に言われた。『まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。』」(ヨハネ6:66~67)

 イエス・キリストは「永遠」の中を生きていますから、「旧約聖書」の時代にも「新約聖書」の時代にもいて、両方の時代に神から去っていった者たちのことを同じように悲しんでいます。ただし、「新約聖書」の下には「旧約聖書」の時代のイスラエル民族の悲しみがあることを理解していないなら、イエスのこの深い悲しみを感じ取ることはできません。
 北王国が滅ぼされたことも一つの戦争被害です。永遠の中を生きるイエス・キリストはどの時代にもいますから、すべての戦災を悲しんでいます。それゆえイエスは私たちが住む、この沼津の街の空襲の被害のことも、広島・長崎の原爆の被害のことも、現代の戦争の被害のことも同じように悲しんでいます。

♪音楽②:映画『夕凪の街 桜の国』オリジナル・サウンドトラックより
 「雨だれ~おばあちゃん」(3分37秒)

 私は一年に一回は広島の平和公園を訪れることにしていて、今年は2週間前の7月の終わりに平和公園に行って来ました。平和公園では既に8月6日の式典に向けた準備が進められていました。式典は原爆で死没した犠牲者の慰霊碑の前で行われます。この慰霊碑の前には建物がなく広大な芝生が広がっていますが、原爆が投下される前には木造の民家や商家が密集して建っていました。爆心地に近いこの地区にいた人々のうち、家の外にいて強烈な放射線と熱線を浴びた人は短時間で死に至り、家の中にいて原爆の光を直接浴びなかった人も凄まじい爆風で倒壊した建物の下敷きになって動けなくなり、その後に起きた火災によって焼死しました。この地区の一帯はほとんどが火災で焼失しました。この焼け跡に土を盛ってできたのが今の平和公園です。ですから、この土を掘り返せば下から焼けただれた地層が出てきます。平和公園の下には、この原爆被害の悲劇の地層があります。
 映画の『夕凪の街 桜の国』でも、東京の「桜の国」の物語の下には原爆症で亡くなった「夕凪の街」のヒロインの悲劇があります。聖書もまた「新約聖書」の物語の下には「旧約聖書」の時代の北王国と南王国の滅亡の悲劇があります。そして「新約聖書」の『ヨハネの福音書』のイエス・キリストはこれらの戦争被害を悲しんでいることを、私は著書の「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」に書きました。
 メッセージの前半ではイスラエルの北王国が滅亡した時の記事を紹介しましたから、今度は南王国が滅亡した記事の、「旧約聖書」の列王記第二25章をお読みします。

「バビロンの王ネブカデネザルの第十九年、王の家来のネブザルアダンがエルサレムに来て、神殿と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。王の家来といっしょにいた軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。彼らは、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。」(列王記第二25:8~11、聴き易いように一部を改変)

 こうして南王国の首都エルサレムはバビロンの王の軍勢によって焼かれて、人々はバビロンに捕囚として連行されて行きました。そして『ヨハネの福音書』のイエスはこの戦災を深く悲しんで涙を流しています。『ヨハネの福音書』11章のその箇所をお読みします。

「マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。『主よ。来てご覧ください。』イエスは涙を流された。」(ヨハネ11:32~35)

 永遠の中を生きるイエス・キリストはこのように悲しみの涙を流しました。ただしここでも、「新約聖書」の下に「旧約聖書」の時代の悲劇があることを理解していないなら、イエスが戦争被害を悲しんでいることに気付くことはありません。「旧約聖書」は「新約聖書」よりも読まれる機会が少ないですから、「旧約聖書」の時代の悲劇を知らない人も少なくありません。
 戦争がなくならない理由の一つとして私は、永遠の中を生きるイエスが世界のあらゆる時代の戦争被害を悲しんでいることを聖書の読者が十分に理解していないことを挙げたいと思います。聖書は世界のベストセラーと呼ばれるほど、世界中の多くの人々に読まれています。ですから聖書の読み方が少し変わるだけで世界はもっと平和な方向に向かうであろうと私は期待しています。
 沼津の街もまた72年前に米軍の爆撃機による空襲に遭い、焦土と化しました。私たちの多くは今、その上で生活をしています。イエスはこの沼津の戦争被害のことも悲しんでいます。私たちの教会では、この沼津の戦争被害のことも覚えながら8月6日の日曜日の礼拝では平和の祈りを捧げました。
 もうあと十数年でイエス・キリストの十字架と復活から二千年の記念の年になります。二千年目のイースターの時までに核兵器が廃絶されて平和な世界が実現することを私たちは期待して、祈り続けたいと思います。
 神の平安が皆様と共にありますよう、お祈りしています。

♪音楽③:映画『夕凪の街 桜の国』オリジナル・サウンドトラックより
 「エンディング・テーマ」(5分30秒)
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