インマヌエル沼津キリスト教会

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人ではなく、神が与える聖霊(2017.7.9 礼拝)

2017-07-10 10:54:47 | 礼拝メッセージ
2017年7月9日礼拝メッセージ
『人ではなく、神が与える聖霊』
【使徒15:1~11】

はじめに
 使徒の働きの学びを続けます。今週から15章に入ります。使徒の働きは28章までありますから、章で言えば中間の折り返し点を通過したところ、ということになります。昨年の秋にこの使徒の働きの学びを始めた時、28章を学ぶ頃には新しい会堂で礼拝を捧げるようになっていると良いですね、という話をしました。それは今年の秋の完成を想定していましたから、今の状況では無理ですが、残りの14章の学びをもう少しゆっくり行い、さらに会堂建設の次のステップに踏み出すなら、もしかしたら、という気がしないでもありません。折り返し点を過ぎた今、そんな風にも思っています。

聖霊を与えるのは人ではなく、神
 さて前回の14章までで、パウロの第一次伝道旅行が終わりました。そして、第二次伝道旅行は、15章の36節から始まります。きょうの箇所は、第一次伝道旅行と第二次伝道旅行の間に行われた、いわゆる「エルサレム会議」について書かれた箇所です。15章の1節をお読みします。

15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。

 1節に書かれている、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という教えは、いわゆる「割礼派」と呼ばれる人々の主張でした。ユダヤ人ではない異邦人は割礼を受ける習慣がありませんでした。その異邦人がイエス・キリストを信じた場合に、ユダヤ人の慣習に従って割礼を受けなければ救われないのか、或いは割礼を受ける必要はないのか、激しい論争になっていました。2節です。

15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

 きょうも地図で位置関係を確認しておきましょう。毎週地図を見ることで地理が頭に入ると思います。15章の始めの地点でパウロとバルナバはアンテオケにいました。そのアンテオケからエルサレムに上ることになりました(エルサレムは都ですから、「上る」という言葉を使っています)。3節と4節、

15:3 彼らは教会の人々に見送られ、フェニキヤとサマリヤを通る道々で、異邦人の改宗のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。
15:4 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行われたことを、みなに報告した。

 パウロとバルナバのうち、特にバルナバはもともとエルサレムの教会の出身ですから、使徒たちと長老たちとの再会はうれしかったことと思います。しかし、5節と6節、

15:5 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と言った。
15:6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。

 少し前にも話したように、割礼派の人々は天動説を信じている人々に例えることができると思います。子供の頃から太陽が動くのを見て育った人々にとっては太陽が動く天動説が当たり前の常識でした。この天動説を信じる人々に地動説を説明しても、理解してもらうことは甚だ難しいでしょう。割礼派の人々もまた、男子は割礼を受けるのが当然というユダヤ人の社会の中で育ちましたから、割礼を受けなくても救われるなどということは考えられないことでした。それで激しい論争になりました。7節、

15:7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。

 そしてペテロは聖霊に言及します。8節と9節、

15:8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
15:9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。

 聖霊は神様が与えます。人が与えるのではありません。神様が割礼を受けていない異邦人にも聖霊を与えたのですから、割礼を受ける必要はありません。10節と11節、

15:10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの父祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
15:11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」

 あの人たちとは異邦人たちのことですね。割礼を受けていない異邦人もまたユダヤ人と同じように救われることを、主は聖霊を与えることでお示しになりました。そこに人間の考えを付け加える余地はありません。
 「救われること」と「聖霊を受けること」とは同じです。救われるとは聖霊を受けることであり、聖霊を受けるとは救われることです。聖霊を与えるのは人ではなくて神様ですから、一人一人の救いは神様が決めます。人間が決めることではありません。いくら「割礼派」の人が割礼を受けなければ人は救われないと言っても、神様が割礼を受けていない人にも聖霊を与えているなら、その人は救われています。

イエスを神の子キリストと信じれば与えられる聖霊
 では、どうすれば人は救われるのでしょうか。それはイエス・キリストを信じれば救われるのですね。このことはもう何度か話したことですが、この機会に改めてイエス・キリストを信じるとはどういうことかについて、確認したいと思います。ヨハネの福音書の20章29節から31節までを交代で読みましょう(新約聖書p.224)

20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 31節に、「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため」とありますから、「イエスを信じる」とは、「イエスが神の子キリストであることを信じる」ということです。
 いま、29節から読みました。イエスはトマスに言いました。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」このこともまた非常に大切なことです。トマスの場合は、まだイエスさまが天に昇る前でしたから、イエスさまを見ることができました。しかし、イエスさまが天に昇った後では、次にイエスさまが再臨するまでは、誰もこの世でイエスさまを直接目で見ることはできません。ですから、私たちは誰でも、イエスさまを見ずに信じる必要があります。29節の「見ずに信じる者は幸いです」はトマスに向けた言葉というよりも、イエスさまが天に昇った後の、この福音書の読者に向けた言葉であると受け取るべきでしょう。この福音書の読者にはもちろん現代の私たちも含まれます。この福音書が書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、私たちが信じるため、また私たちが信じて、イエスの御名によって命を得るためです。

人のことばを聞いてイエスを信じる
 そうしてイエスさまを信じれば、私たちはイエスさまに霊的に出会うことができるようになります。もう何度もご一緒に見ましたが、ヨハネの福音書の4章をご一緒に見ましょう。ヨハネ4章39節から42節までを、交代で読みましょう(新約聖書p.180)。

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

 このサマリヤ人たちは、39節にあるように、女のことばを信じたので、イエスさまの所に来ました。信じなければ、わざわざイエスさまの所に足を運んだりはしません。女のことばを信じた時に彼らは、まだイエスさまに会っていませんでしたが、信じたからイエスさまと会うことができました。そうしてイエスさまとじっくりと対話して、42節のように言いました。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」
 実はこれは使徒の働きに記されている、サマリヤ人たちが聖霊を受けた出来事のことを描いているのだということも、もう何度も話しました。きょうは開きませんが使徒の働きにはサマリヤ人たちはピリポの伝道によってイエスさまを信じて、そうしてペテロとヨハネが彼らの上に手を置くと、聖霊を受けたことが記されています(使徒8章)。そうしてサマリヤ人たちは、イエスさまに霊的に出会うことができるようになりました。
 きょう話した、この一連の流れを改めて確認しておきましょう。
 私たちはまずイエスさまに出会う前に、人の話によってイエスさまを信じる必要があります。それは牧師の話であったり、家族や友人・知人の話であったり、或いは聖書の記者たちの話であったりします。聖書の中のイエスさまの言葉もマタイやマルコやルカやヨハネが書いたイエスさまの言葉ですから、聖書の記者の話ということになります。それらを私たちは、まず信じる必要があります。そうして人の話によってイエスさまを信じると聖霊を受けて、こんどは本当にイエスさまと霊的に会うことができるようになります。

ペテロのことばを聞いて信じた異邦人たち
 もう一度、使徒の働き15章に戻りましょう。7節をお読みします。

15:7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。

 異邦人たちはペテロが話す福音のことばを聞いてイエスさまを信じました。そして8節と9節、

15:8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
15:9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。

 このことを私たちは使徒の働き10章のコルネリオたちが聖霊を受けた箇所で学びました。最後にこのコルネリオたちが聖霊を受けた箇所をご一緒に読んで終わることにします。
 使徒10章の42節から45節までを交代で読みましょう(p.249)。これはペテロがコルネリオたちに話をしている時に起きた出来事です。

10:42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
10:43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。

 お祈りいたしましょう。
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