平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

第二次伝道旅行出発時のパウロの使命感(2017.7.23 礼拝)

2017-07-23 19:30:52 | 礼拝メッセージ
2017年7月23日礼拝メッセージ
『第二次伝道旅行出発時のパウロの使命感』
【使徒15:35~41】

はじめに
 使徒の働きの学びを続けます。前回と前々回はエルサレム会議について学びました。異邦人もモーセの律法を守って割礼を受けなければ救われないのかの問題を巡って話し合う必要が生じて、パウロとバルナバはアンテオケを出発してエルサレムに入り、そこで使徒たちとの話し合いが始まりました。これが前々回学んだことです。そして前回はこの問題がヤコブの言葉によって決着してパウロとバルナバがエルサレムからアンテオケに戻って来たところまでを学びました。
 それから、前回はエルサレム会議に関連してヨハネの福音書5章も開いて、ヨハネ5章の記述はイエス・キリストの十字架の年が紀元33年であることを示唆しているという話もしました。このことから、十字架から二千年の年である2033年までに平和が実現するよう、私たちは働きたいと思います。この十字架から二千年の2033年までに平和を、ということについては、これからもしばしば取り上げて、共に考えて行くことができたらと願っていますから、どうぞよろしくお願いいたします。

深刻だった異邦人の割礼の問題
 それでは、きょうの聖書箇所の少し手前の30節から読んでいきます。15章30節、
 
15:30 さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。

 一行というのはパウロとバルナバ、そしてユダとシラスでした。22節には次のように書いてあります。

15:22 そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。

 前回も話しましたが、単にパウロとバルナバをアンテオケに送り返すだけではなくて、兄弟たちの中の指導者でユダとシラスをも同行させたところに、今回の異邦人の割礼の問題がいかに深刻であったかが、よくわかると思います。パウロとバルナバは元々異邦人に割礼は必要としていないと主張していましたから、エルサレム会議でこの同じ結論に至ったとアンテオケの人々に説明しても信用してもらえない心配があったのだと推測されます。それで手紙を持たせただけでなく、さらに兄弟たちの指導者のユダとシラスも同行させてアンテオケの人々に説明することとしたということのようです。
 そうしてアンテオケに戻った一行によってエルサレムの使徒たちからの手紙がもたらされました。31節、

15:31 それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。

 アンテオケの人々は、手紙に書いてあった励ましによって喜びました。そして32節、

15:32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。

 ユダもシラスもアンテオケの兄弟たちを励まし、そうしてしばらく過ごしてから、エルサレムに戻って行きました。33節です。

15:33 彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。

 ユダとシラスはエルサレムに戻りました。
 そして35節、

15:35 パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。

 パウロとバルナバはしばらくアンテオケにいました。そして次の36節から、いよいよ第二次伝道旅行に入ります(地図で地理を確認しておきましょう)。

第一次伝道旅行の地を再訪するのが目的
 パウロの第二次伝道旅行の目的は、まずはガラテヤ地方の諸教会を巡ることでした。36節です。

15:36 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」

 パウロがガラテヤ人への手紙を書いたのは、エルサレム会議の前であると考えられます。パウロは割礼派に惑わされていたガラテヤ人たちを厳しく叱る手紙を書いていました。そうしてエルサレム会議があって、エルサレムの使徒たちからの手紙がガラテヤの諸教会においても回覧されたはずですが、その手紙はパウロが持って行ったわけではありませんから、その後、ガラテヤの諸教会の人々の信仰がどうなったか、パウロは十分に把握できていなかったことでしょう。そこで、実際に訪ねて行って、どうしているか見て来たいと思いました。ところが37節、

15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。

 しかしパウロはこのことに反対しました。38節と39節、

15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。

 マルコを巡ってパウロとバルナバは仲間割れを起こしました。そして二人は別々の道を歩むことになりました。この仲間割れの事件のことは、以前にも簡単に見ましたね。

パウロはなぜマルコに厳しかったか
 それにしてもパウロは、なぜここまでマルコに対して厳しかったのか、なぜもう少し寛容になれなかったのか、私はこれまでパウロのことをあまり理解できないでいました。しかし、今回この使徒の働きの連講を続けて来て、初めてわかった気がします。実は私は今まで、使徒の働きについてあちこちから、つまみ食い的な説教をすることはあっても、1章から順番に丁寧にシリーズで説教したことはありませんでした。使徒の働きの連講は今回が初めてです。そうして1章から丹念に読んで来て、パウロとバルナバがなぜ喧嘩別れをしたのかがわかった気がします。
 それは、この第二次伝道旅行の出発がエルサレム会議が終わってから比較的間もない時期であったということです。岩上先生の本の年表によれば、エルサレム会議から1年経つか経たないうちに第二次伝道旅行を開始しています。エルサレム会議で話し合われた「異邦人も割礼を受ける必要があるかどうか」という問題は激しい論争になり、エルサレムで一件落着してもなお、ユダとシラスがアンテオケに来なければならないほどの深刻な問題でした。
 今回の第二次伝道旅行は、まず、この異邦人の割礼の問題で惑わされていたガラテヤの諸教会を巡ろうというものでした。そして、もしガラテヤの教会に行ってみて彼らの信仰が定まらずにふらついていたら、もう一度厳しくビシッとガラテヤ人に言ってやらなければなりません。今回の伝道旅行は、初めての土地を訪問するのとは目的がぜんぜん異なります。パウロは厳しい覚悟を持って旅立とうとしていました。そういう厳しい旅にマルコのような、途中から脱落したような者を連れて行くわけには行かないということだったのではないでしょうか。

命がけで伝道したパウロ
 ガラテヤ人への手紙3章1節をご一緒に読みましょう。

3:1 ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。

「ああ愚かなガラテヤ人」とは、とても厳しい言葉です。そして、今回の伝道旅行では、場合によっては、彼らに対して直接「ああ愚かな兄弟たち」と言わなければならないというものでした。
 しかし、それにしてもパウロはなぜガラテヤ人に対してここまで厳しいのでしょうか。それはガラテヤでのパウロの宣教が命がけであったということもあるでしょう。
 少し前に学んだ、使徒の働き14章の19節と20節を交代で読みましょう。

14:19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。
14:20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。

 石打ちは死刑ですから、パウロはここで死んでいてもおかしくありませんでした。ガラテヤでの宣教はパウロが正に命を掛けて行なったものでした。そういう命がけの伝道旅行の中でガラテヤ人たちは信仰に入ったのです。このパウロが死に掛かっていた時、マルコは既に脱落していました。ですからガラテヤ人たちの様子を見に行くのにマルコのような者を連れて行きたくないというパウロの気持ちを私はよく理解できます。

聖書の理解が深まる喜び
 自分で言うのも何ですが、今回私はまた一歩パウロの気持ちに近づくことができた気がして、とてもうれしく感じています。聖書の学びには、こういう喜びが伴います。どのレベルにあっても、それまでよりも理解を深めることができることは本当にうれしいことです。
 なぜそんなにうれいしいか、それは聖書をそれまでよりも深く理解するには聖霊の働きが必要だからではないでしょうか。聖霊は神様の霊ですから、聖霊が聖書理解のために働いていることを感じることは神様の働きを感じているということになります。こんな私にも神様が働いて下さっていると感じることは、何よりもうれしいことです。ですから、どのレベルにあってもうれしいことです。
 そういうわけで、私たちは多くの方々に聖書をもっともっと知っていただきたいと思います。「へいわ深海聖書館」を建設する働きとは、そのようなものです。
 あと2ヶ節残っています。使徒15章の残りの40節と41節を交代で読みましょう。

15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
15:41 そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。

 シラスはエルサレムに戻って行ったことを、33節で見ましたから、パウロはシラスをもう一度、アンテオケに呼び戻したようです。これには一ヶ月近くは掛かったことでしょう。21世紀の現代の日本なら電話やメールでその日のうちに連絡を取って、新幹線で急いで来てもらうことも可能ですが、1世紀の当時は違います。ですから、出発はかなり遅れます。パウロとしては早くガラテヤ人の様子を見たかったことと思いますが、シラスの到着を待ちました。パウロはそれほどシラスを信頼していたということも、ここからは読み取れると思います。

おわりに
 きょうは聖書の記述からさらに色々なことを読み取る楽しさと喜びも味わうことができて感謝でした。この楽しさと喜びを、もっと多くの方々と分かち合うことができるようになりたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
コメント    この記事についてブログを書く
« 戦災の危機へのイエスの警告 | トップ | 戦災に霊の憤りを覚えて涙を... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

礼拝メッセージ」カテゴリの最新記事