インマヌエル沼津キリスト教会

心に「聖霊の光」を灯す教会です
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ノアとアブラハムの間(2016.10.12 祈り会)

2016-10-13 08:33:44 | 祈り会メッセージ
2016年10月12日祈り会メッセージ
『ノアとアブラハムの間』
【ヘブル11:7、8】

はじめに
 祈り会ではヘブル書11章を少しずつ読み進めながら、該当する創世記の箇所を開いて学んでいます。きょうはまずヘブル書11章の7節と8節を読みます。7節は先週読んだノアの箇所で、8節はアブラハムの箇所です。交代で読みましょう。

11:7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

 こうしてアブラハムがカナンの地に入って、イスラエルの歴史が始まります。アブラハムは信仰の父と呼ばれ、アブラハムの孫のヤコブの12人の息子たちがイスラエル12部族の祖先になりました。
 それで、きょうの学びでは創世記のアブラムがカナンに向けて出立した箇所を開こうかと思っていました。しかし、創世記を開いて読んでみて、やはりノアとアブラハムの間を飛ばしてはいけないなと思いました。
 私はノアの時代とアブラハムの時代の間に何があったのかを、しっかり押さえておくことが非常に重要だと考えています。以前、礼拝でも話したことがありますが、このことをまた、確認しておきたいと思います。

人類が一つになることを祈ったイエス
 このことのために、先ずはヨハネの福音書を開くことにします。ヨハネ12章の32節と33節を交代で読みましょう。

12:32 「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
12:33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。

 イエスさまの十字架は、バラバラになっている人々を十字架という一つの場所に集める大きな力を持っています。イエスさまは最後の晩餐の直前に、このように人々に言いました。
 そして最後の晩餐の締めくくりの天の父の祈りで、弟子たちが一つになるようにとイエスさまは祈りました。これまで何度も開いている箇所ですが、ヨハネ17章の20節から22節までを交代で読みましょう。

17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。
17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

 20節でイエスさまは、この最後の晩餐の場にいる弟子たちのためだけでなく、弟子たちが宣べ伝えることばによってイエス・キリストを信じる人々のためにも、一つであるようにと祈りました。つまりイエスさまは、全人類が一つになるようにと祈りました。
 そして、ヨハネ19章の19節と20節を交代で読みましょう。

19:19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いてあった。
19:20 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。

 この十字架の罪状書きがヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書かれていたということは、ヘブル語を使う人々も、ラテン語を使う人々も、ギリシヤ語を使う人々も十字架のもとに集められることを象徴していると私は考えます。つまり、十字架によってイエスさまが祈った全人類が一つになることが成就します。

もともとは一つの家族だった人類
 さてしかし、そもそも人類はノアの洪水の後にはノアの家族しか残りませんでした。そしてバベルの塔が建設されるまでは、人類は一つのことばしか使っていませんでした。それが、バベルの塔を建設するという不信仰な行いをしたために、神様が人々のことばを混乱させたのでした。
 ですから、もしノアの家族たちと子孫たちが皆、神と共に歩む信仰深い人々であったなら、人類はバラバラにならずに済み、イエスさまが十字架に付く必要もありませんでした。しかし、そうはならなかったのですから、このことは人がいかに神様から離れやすい性質を持っているかということを良く示していると思います。私はこの、ノアの時代とアブラハムの時代にあったことをしっかりと押さえておくことが、とても大切だと感じています。そうしないと、なぜ神様がアブラムに対してカナンの地に向かうように命じたのかを理解することができないだろうと思います。
 前置きが長くなりましたが、創世記9章の18節から29節までを交代で読みましょう。

9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
9:19 この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。
9:20 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
9:21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
9:23 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
9:25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、【主】を。カナンは彼らのしもべとなれ。
9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
9:29 ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。

 18節と19節にあるように、全世界の民は、ノアの三人の息子たちのセム、ハム、ヤペテから別れ出ました。このうち、セムの子孫にアブラハムがいて、ハムの子孫がカナン人になりました。アブラハムは、このカナン人の地のカナンに神の命令を受けて入って行きました。26節に、「ほめたたえよ。セムの神、【主】を。カナンは彼らのしもべとなれ」とありますね。ノアはカナンに呪われよと言っています。それはカナンの父のハムがノアを敬っていなかったからです。22節に、「カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた」と書いてある通りです。一方、セムとヤペテは23節にあるように着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父ノアの裸をおおいました。セムとヤペテは顔をそむけて、父の裸を見ませんでした。
 このようにセムとヤペテは父を敬っていましたが、ハムは父を敬っていませんでした。ノアも酒に酔って裸で寝ていたのですから、悪い点もありましたが、ノアが神の声を聞いて箱舟を作ったから息子のハムは箱舟に入ることができて滅びを免れたのですから、もっと父を敬うべきでした。このようにノアの家族というたった一つの家族でも、このような有様でした。
 そうして、彼らの子孫たちがバベルの塔の建設を企てることになりました。このバベルの塔の箇所は、また来週見ることにしたいと思います。

おわりに
 きょう確認しておきたいことは、洪水で滅びることがなかったノアの息子たちが皆、正しい人であったなら、皆が神と共に歩み、それでメデタシメデタシとなる筈だったということです。本来ならそうなるべきでした。しかし、そうならなかったところに人間の罪深さがあり、私たちがいかに神様から離れやすい性質を持っているかということが、このノアの家族の例だけからでもわかると思います。ヘブル書11章が記しているような立派な信仰を持っていた者たちは、ほんの一握りで、人類の大半は不信仰な者たちでした。そして、私たちもイエス・キリストを信じる前は、そのような不信仰な者でした。
 アブラハムを学ぶ前に、まずはこのことを、しっかりと押さえておきたいと思います。そして先に救われた私たちは、滅びへと向かっている多くの人々を救いに導く働きに励みたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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