インマヌエル沼津キリスト教会

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私たちが見た「しるし」(2017.3.5 礼拝)

2017-03-06 14:24:24 | 礼拝メッセージ
2017年3月5日礼拝メッセージ
『私たちが見た「しるし」』
【ヨハネ4:46~54、20:30~31】

はじめに
 先週は使徒の働き10章を開き、異邦人のコルネリオと、コルネリオの家族・親族・知人たちが聖霊を受けたことについて、ご一緒に学びました。
 きょうはまた、使徒の働きの学びを一旦中断してヨハネの福音書を開くことにしますが、実はきょうのヨハネ4章の王室の役人の箇所と使徒10章のコルネリオの箇所とは、密接な関係があります。このことを学んだ上で、話し合いの時に向けての備えとしたいと思います。

「最初のしるし」と「第二のしるし」
 きょうのヨハネ4章の王室の役人の箇所の最後54節に、まずは目を留めたいと思います。ご一緒に読みましょう。

4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。

 ここに「第二のしるし」とあります。どうして、この奇跡が「第二のしるし」なのでしょうか。私がヨハネの福音書への理解を急速に深めたのは2011年でしたが、それ以前には、この「第二のしるし」のことがずっとわからないでいました。注解書を調べても、なぜ「第二のしるし」なのか不可解である、などと解説してあります。なぜなら、このヨハネ4章で王室の役人が見た「しるし」は、ヨハネの福音書の中では二番目の「しるし」ではないからです。
 そのことを確認しましょう。まず「最初のしるし」は、ヨハネ2章11節にありますね。ご一緒に読みましょう。

2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 これはイエスさまがガリラヤのカナの婚礼で、水をぶどう酒に変えた奇跡です。この奇跡をヨハネは「最初のしるし」としました。そして、きょうの4章の「第二のしるし」までは、「しるし」についての記述が無いのかと言えば、そんなことはありません。2章の23節を見ていただきますと、

2:23 イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。

とあって、ここに「しるし」についての記述がありますから、4章の「しるし」は二番目の「しるし」ではありません。
 では、なぜ4章の「しるし」をヨハネは「第二のしるし」としたのでしょうか。私は、2011年に、ヨハネの福音書が人間のイエスさまが活動した時代だけを描いているのではなく、「旧約の時代」と「使徒の時代」も重ねていることに気付いた時に、この問題が解けたと思いました。「最初のしるし」と「第二のしるし」は、人々が聖霊を受けたことと重ねられているからです。
 これまで何度も説明して来ましたが、ヨハネ2章のカナの婚礼でイエスさまが水をぶどう酒に変えた奇跡は、ペンテコステの日にガリラヤ人の弟子たちが聖霊を受けた出来事と重ねられています。これが「最初のしるし」です。
 次いで、いまさっき見たヨハネ2:23で、エルサレムの人々が御名を信じたと書いてあるのは、同じペンテコステの日にエルサレムのユダヤ人たちがイエスさまを信じて聖霊を受けたことと重ねられています。また、ヨハネ4章でサマリヤの町の人々がイエスさまを信じた場面は、使徒の働き8章でサマリヤ人たちが聖霊を受けたことと重ねられています。そうして、きょうのヨハネ4章の王室の役人の場面は、使徒10章でコルネリオたちが聖霊を受けた場面と重ねられています。

異邦人が聖霊を受けたことが「第二のしるし」
 では、なぜユダヤ人とサマリヤ人が聖霊を受けたことを飛ばして、異邦人が聖霊を受けたことが「第二のしるし」なのでしょうか。それは、異邦人が聖霊を受けたことが本当に画期的な出来事だからなのだと思います。
 まず「最初のしるし」の、ガリラヤ人たちが聖霊を受けたことは、正真正銘の本当に画期的な出来事でした。「旧約の時代」においては、ごく限られた預言者たちだけが聖霊を受けました。それが「新約の時代」のペンテコステの日以降は、イエスが神の子キリストと信じる者は誰でも聖霊を受けることができるようになりました。これは本当に素晴らしい恵みです。聖霊は神様です。その神様が私たちの内に直接入って下さるのです。そして内から様々なことを教えて下さり、導いて下さいます。これは本当に素晴らしい恵みです。
 この最初に聖霊を受けたガリラヤ人のペテロたちは、イエスさまがガリラヤ出身で、いちおうユダヤ人と区別していますが、ガリラヤの人々もユダヤ人ですから、わざわざユダヤ人と区別しなくてもいっこうに構わないと思います(大阪出身の人を大阪人と呼ぶようなものでしょう。大阪人はもちろん日本人です)。また、サマリヤ人も外国人の血が混じった混血の民族ではありますが、もともとはユダヤ人と同じイスラエル人を祖先に持ちます。
 一方、異邦人はユダヤ人とは異なるルーツを持つ民族です。その異邦人たちが聖霊を受けたのですから、これは本当に画期的な出来事でした。それゆえヨハネは、この異邦人が聖霊を受けた出来事を「第二のしるし」と呼んだのだと私は解釈して納得しています。

コルネリオの記事と重ねられている王室の役人の記事
 では、ヨハネの4章の王室の役人の箇所が、使徒10章のコルネリオの場面と、どんな風に重なるのか、もう少し詳しく見てみましょう。
 まず4章26節、

4:46 イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。

 この王室の役人がいたカペナウムとはどういう場所かと言うと、週報のp.3に載せたように、マタイ8:5に「イエスがカペナウムに入られると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、・・・」とありますから、ローマの軍隊が駐留していた町であることがわかります。つまり、このカペナウムは百人隊長のコルネリオがいたカイザリヤと重なります。このようにヨハネの福音書では、ピタリとは一致させないで中身を微妙に変えていますから、気付きにくいのですが、ヨハネが王室の役人と使徒10章のコルネリオとを重ねていることは間違いありません。ですから、この王室の役人もまた異邦人です。この異邦人の王室の役人の息子は病気でした。
 続いて47節、

4:47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。

 ここでイエスさまがカペナウムの近くのカナの町に来ました。これはペテロがカイザリヤの近くのヨッパの町に来たことと重ねています。そして、王室の役人は本人がイエスさまを訪ねてカナまで出掛けて行きましたが、コルネリオの場合は部下をペテロの所に遣わしました。このような違いがあるので、なかなか気付きにくいのですが、王室の役人とコルネリオが重ねられていることは確かです。
 次いで48節から52節は、コルネリオの場合とはかなり違いますが、最後の53節はまた、コルネリオの場合と似た描写になっています。
 48節から53節までを、交代で読みましょう。

4:48 そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」
4:49 その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
4:50 イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
4:51 彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
4:52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。
4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

 この53節で、王室の役人自身と彼の家の者がみな信じたことは、コルネリオの場合と非常によく似ていますね。そして54節をご一緒に読みましょう。

4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。

 この第二のしるしの奇跡を行う前に、イエスさまは48節で王室の役人に、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」とおっしゃいました。これはなかなか厳しいことばですが、神様は目に見えませんから、仕方がないことだとも言えます。モーセもギデオンも、「しるし」を見ることで初めてリーダー役に就く決心ができました。 

「しるし」を見ることで確信できる

 私たちは「しるし」を見ることで、神様は確かにいらっしゃるということを確信し、また神様の御心をはっきりと知ることができます。使徒の働き10章の異邦人の救いを例に言えば、それまでペテロは、まさか異邦人が救われて聖霊を受けるとは思ってもいませんでした。それが、自分の目の前で異邦人たちが聖霊を受けた様子を見たので、神様は偏ったことはなさらずにユダヤ人でも異邦人でも、イエスが神の子キリストと信じる者は誰でも聖霊を受けるということを知りました。このように、人は「しるし」を見ることで神様から大切なことを学びます。
 そしてヨハネは、この福音書の執筆目的で、「しるし」を見ることに言及しています。きょうのもう一つの聖書箇所の、ヨハネ20章30節と31節を、交代で読みましょう。

20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 本当は「しるし」が無くても信じるのが一番なのだと思いますが、なかなかそういうわけにはいきませんから、ヨハネの福音書は読者がイエスさまを信じることができるように、「しるし」について書きました。
 こうして私たちは、ヨハネの福音書、或いはまたマタイ・マルコ・ルカの福音書に記されているイエスさまが行ったしるしを読んで、イエスさまが神の子キリストと信じます。そしてまた、神様が確かにいらっしゃることを信じます。
 旧約聖書のモーセの時代にも、イスラエルの人々は出エジプトの出来事という「しるし」を通じて神様を信じました。週報のp.3に載せた通り、出エジプト記には次のような記述があります。

出14:31 イスラエルは主がエジプトに行われたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。

 そして、このような「しるし」は、私たちもまた、会堂問題で見せていただいています。この会堂の南側にある駐車場は、私たちの教会の土地です。このように広い土地が与えられたことは、まさに奇跡です。この土地の取得経緯から、私たちは神様が確かにおられることを実感しています。私たちは、まずはこの「しるし」のことを、しっかりと心に刻んでおきたいと思います。そして、このように神様が「しるし」を見せて下さっているのですから、新しい礼拝堂も神様が必ず与えて下さることを信じなければなりません。この確信を持って話し合いの時に臨むなら、神様は必ず新しい礼拝堂を与えて下さるでしょう。

ヨハネの福音書の重層構造から注ぎ出される分厚い神の愛
 ただし、新しい礼拝堂を建てても、新しい人が与えられるかどうかは不安な面がどうしてもあります。このことについては、どう考えたら良いでしょうか。私は、次のように考えていただけたらと思っています。
 きょうヨハネ4章の最後の「第二のしるし」は、異邦人が聖霊を受けた使徒の働き10章のコルネリオの場面と重ねられていることを説明しました。ヨハネの福音書は、このような重層構造になっていて、ここから神様の分厚い愛が豊かに注ぎ出されています。複数の時代が重ねられているヨハネの福音書から注ぎ出される神の愛は、単独の時代のみについて記した書とは比べものにならないくらいに豊かなものです。この豊かな神の愛の注ぎを、私たちは世界に先駆けて感じることができています。これは素晴らしい恵みです。いつの日か、全世界にこの恵みが広がると私は確信していますが、今はまだ私たちだけしか、この素晴らしい恵みに与っていません。
 こんな素晴らしい恵みに与っている私たちの教会なのですから、是非多くの方々に集っていただこうではありませんか。そのために私が書いた本も、今年の中ごろには出版されます。そしてさらに私は第二弾、第三弾の本も出して行きたいと願っています。そうしてヨハネの福音書の恵みを広げて行きたいと願っています。その最初の拠点が、この沼津教会です。

おわりに
 隣に広い土地が与えられたこと、そしてヨハネの福音書から注ぎ出される分厚い神の愛をたっぷりと感じる素晴らしい恵みを世界に先駆けていただいていること、これらの「しるし」を見ている私たちですから、恐れることなく会堂の建設を目指して力強く前進して行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
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