インマヌエル沼津キリスト教会

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人から出たものか、神から出たものか(2016.9.18 礼拝)

2016-09-18 17:06:02 | 礼拝メッセージ
2016年9月18日礼拝メッセージ
『人から出たものか、神から出たものか』
【使徒5:33~42】

はじめに
 きょうは使徒の働き5章の学びの3回目です。きょうの聖書箇所の、ガマリエルが議会の人々を説得した箇所は、とても有名な箇所ですね。ここを見る前に、ここに至った経緯を簡単に振り返っておきたいと思います。

二度捕らえられた使徒たち

 5章の12節から見て行きます。
 使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われました。そうして14節にあるように、主を信じる者が、男も女もますます増えて行きました。
 さらにエルサレムからも、付近の町々からも大勢の人が病人や汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来て、16節にはその全部が癒されたとあります。
 すると17節と18節、

5:17 そこで、大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、
5:18 使徒たちを捕らえ、留置場に入れた。

 こうして使徒たちは、ねたみに燃えた大祭司たちに留置場に入れられてしまいました。しかし、主の御使いが彼らを牢から連れ出して、神殿でいのちのことばを語るように言いました。それで使徒たちは夜明け頃に神殿に入って教え始めました。
 そうして使徒たちは、もう一度捕らえられて議会で尋問されて、きょうの聖書箇所に至るわけですが、この経緯を見ると、とても興味深いですね。
 何が興味深いかと言うと、主の御使いが使徒たちを牢から出した時、安全な所に逃げなさいと言ったのではなくて、神殿で人々に説教をするように言いました。これでは、もう一度捕らえられるのは当たり前ですね。再び捕らえられることがわかっていて、主の御使いは使徒たちに神殿で説教するように言いました。それで使徒たちは、また捕らえられたわけですが、一歩間違えれば彼らは殺されるところでした。
 少し飛ばして27節と28節をお読みします。ここで「彼ら」と言うのは、神殿で使徒たちを捕らえた者たちです。27節と28節、

5:27 彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、
5:28 言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」

 これに対してペテロたちは答えました。

「人に従うより、神に従うべきです。私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」(29~32節)

 大祭司たちは、これを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計りました。
 このように、使徒たちは殺される一歩手前のところまで行きました。しかし、今日これからご一緒に見るように、ガマリエルが説得したことで使徒たちが殺されることはありませんでした。
 つまり、使徒たちは主に守られていたということでしょう。もし、ここで使徒たちが殺されたら、キリスト教の歴史はここで終わってしまいます。そういう危険があったのに、主の御使いが使徒たちを安全な場所に逃げるように言わないで神殿で説教をするように言ったのは、今回の件では使徒たちを守り通すつもりだったということだと思います。すべては主の御手のうちにあったということだと思います。

ガマリエルの説得
 では、きょうの箇所を見て行きましょう。まず5章34節、

5:34 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。

 ガマリエルはすべての人に尊敬されている律法学者で、パウロもこのガマリエルの下で律法を学んでいたことがありました。ガマリエルは議会の議員たちに向かって言いました。
 35節、

5:35 ・・・「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。

 そうしてガマリエルは、立ち上がって行動を起こしたものの、自滅してしまった人々の例を挙げました。36節と37節、

5:36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。
5:37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。

 その上で、ガマリエルは次のように言いました。38節と39節、

5:38 そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
5:39 しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」

 そうして議会の議員たちはガマリエルに説得され、使徒たちは釈放されました。釈放される時に40節にあるように、使徒たちはむちで打たれ、イエスの名によって語ってはならないと言われましたが、42節にあるように、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けました。
 このように、使徒たちは殺される寸前のところまで行きましたが、主に守られて釈放され、帰ることができました。そうしてイエス・キリストを宣べ伝え続けましたから、イエスさまを信じる者は増え続けました。
 先週話したように、のちにステパノへの迫害をきっかけにしてエルサレムの教会員たちは散らされます。この時に散らされた者の数が大勢いたために、キリスト教は一気に広がって行くことができました。この散らされる時までのために、教会員の数が着々と増やされて行きました。

どうしたら自滅しないで御心をおこなえるか
 さて、きょう私が皆さんと分かち合いたいと思っていることは、ガマリエルのように静観して放っておく立場の人たちのことではなくて、行動を起こす側のことです。行動を起こす側は、一体どうしたら良いかということです。
 思い込みが激しいと、御心にかなっていないことでも御心にかなっていると思い込んで、突っ走って自滅してしまうかもしれません。新しい会堂の建設などは良い例と言えるかもしれません。新会堂を建てる前には成長していた教会が、別の場所に教会を建てたら勢いを失ってしまったという例は少なくないことと思います。後から振り返ってみたら、別の場所に教会を建てることはもしかしたら御心では無かったかもしれない、ということもあるでしょう。
 或いはまた行動自体は正しくても、時が満ちていないから上手く行かないということもあるでしょう。キリスト教も、ローマ帝国が広大な地域を支配していた時代であったからこそ、紀元1世紀に世界中に広まる基礎を築くことができました。他の時代であれば、ユダヤ教よりももっと少人数の宗教で終わってしまったことでしょう。
 宗教の話ではありませんが、いま話題になっている車の自動運転の技術開発なども、昔から考えていた人はたくさんいたと思いますが、昔は単なる夢物語に過ぎなかったでしょう。しかしコンピュータの処理速度や画像認識の技術、センサーの技術など様々な技術の進歩によって、がぜん現実的なものになって来たということだと思います。実現させたいアイデア自体は良くても、時が満ちていなければ、何事も上手く進むことはありません。
 では私たちは失敗しないために、時が満ちるまで待っていれば良いのでしょうか。それが一番安全なのかもしれませんが、では、時が満ちているのかいないのか、どうやって知ることができるでしょうか。やはり、何らかの一歩を踏み出さなければ、判断材料を手に入れることはできないのではないでしょうか。
 では、一歩を踏み出したとして、次に私たちは、どうやって御心か御心でないかを判断したら良いのでしょうか。それは、一歩を踏み出して見て、もし御心で無いならイエスの御霊がそれをお許しにならないでしょうから、それを察知して計画を変更する、ということになるのだと思います。

マケドニヤに導かれたパウロたち
 使徒の働き16章をご一緒に読みましょう。6節から10節までを交代で読みます。ここで「彼ら」というのはパウロたちのことです。

16:6 それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
16:7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
16:8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。
16:9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

 6節に「聖霊によって禁じられた」とあり、7節には「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」とあります。パウロはどうしてビテニヤのほうに行ってはダメなのか、わからなくて困惑したことでしょう。でもビテニヤに行くことはどうやら御心ではないらしいことは感じたので自重しました。そうして少しあとになって、主の御心はヨーロッパで伝道することであったと気付くことができました。こうしてキリストの教えはヨーロッパへ広がって行き、後にはヨーロッパの宣教師が全世界に教えを広めて行きました。
 ヨーロッパ伝道が御心であったことは、パウロたちがまずはアジヤ伝道に足を踏み出さなければわからなかったことです。何もしないで伝道旅行に出ないでいたならヨーロッパへの道は開かれませんでした。
 ですから私たちはとにかく先ず小さな一歩を踏み出し、イエスさまの御霊が許さなければ軌道修正をすればよいということになるでしょう。ただし、イエスさまの御声を聞くために、いつも霊性を整えていなければなりません。

私たちもまたマケドニヤを目指す
 とは言え、私たちはもう既に一歩を踏み出し、隣の土地を購入しました。そして今、小休止をしてA兄が設計して下さった通りの礼拝堂を建設するのが御心であって、このまま進んで良いのか、イエスさまから次のゴーサインが出るのを待っているところです。私たちが次に目指す場所はマケドニヤです。
 ところで、なぜ一歩を踏み出さなければ判断材料が手に入らないのでしょうか。それは、一歩を踏み出すことは、私たちがイエスの証人になろうという積極姿勢を示すからだと思います。イエスさまの証人になろうとする者には神様は聖霊の力を与えて下さいます。そうして聖霊の力が働くなら、それまで見えなかった判断材料もいろいろと見えて来るようになります。
 きょうは使徒の働き5章から、ガマリエルが議会の議員たちを説得した有名な箇所を見ました。私たちはガマリエルのように何かを静観して放っておく立場の者たちではなく、行動を起こす側の者たちです。無鉄砲に突き進めば自滅してしまいます。しかし、全く動かないでいても、やはり自滅してしまいます。自滅しないために、どう行動すれば良いかを考えました。私たちが進もうとしている道が御心にかなっているのかいないのか、足を踏み出しながら、イエスさまの御声に耳を傾けて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

16:9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

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