インマヌエル沼津キリスト教会

十字架から二千年の2033年までに平和を
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十字架から二千年の2033年までに平和を(2017.7.16 礼拝)

2017-07-16 15:41:38 | 礼拝メッセージ
2017年7月16日礼拝メッセージ
『十字架から二千年の2033年までに平和を』
【使徒15:22~29、ヨハネ5:1~9】

はじめに
 先週に続いて使徒の働き15章を開きます。15章の1節の時点ではパウロとバルナバはアンテオケにいました。1節と2節をお読みします。

15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。
15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

 こうしてパウロとバルナバはエルサレムに上って行き、異邦人が救われるのに割礼などの律法の規定を守ることが必要かどうかについて話し合われました。いわゆる「エルサレム会議」です。そして7節にあるように、このエルサレムにおいても激しい論争がありましたが、ペテロが皆に、異邦人にも聖霊が注がれたことを目撃した時の証をしました。
 聖霊を与えるのは神様です。神様が割礼を受けていない異邦人にも聖霊を与えたのですから、割礼を受けていなくても人は救われるということです。人間が、それとは異なる救いを主張しても意味のないことです。

異邦人は律法を守らなくても救われる
 そこでイエスさまの兄弟のヤコブは言いました。少し飛ばして19節から21節、

15:19 そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。
15:20 ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
15:21 昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」

 そして、先ほど朗読した聖書箇所に入っていきます。

15:22 そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。

 そして使徒たちは、アンテオケなどの兄弟たちに手紙を書きました。23節から25節、

15:23 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。
15:24 私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。
15:25 そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。

 使徒たちは、単にパウロとバルナバだけをアンテオケに送り返すだけではなく、これがエルサレム会議での全体の合意事項であることを示すために、さらにユダとシラスの二人を派遣しました。26節と27節、

15:26 このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。
15:27 こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。

 パウロとバルナバに加えて、さらにユダとシラスをも派遣したということは、今回の論争がいかに深刻であったかということを、よく物語っているように思います。そして28節と29節、

15:28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
15:29 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」

 こうして、パウロたちは、この手紙を持ってアンテオケに戻りました。このように、エルサレム会議によって、異邦人はモーセの律法を厳格に守らなくても聖霊が与えられているなら救われているのだということが確認されました。

引き続き律法を守ったユダヤ人たち
 ただし、これはあくまで異邦人の話で、ユダヤ人の場合は昔からの慣習でモーセの律法を守ります。これによってユダヤ人のクリスチャンもまたモーセの律法を守ることをやめたということはありません。これはこれで、まったく構わないことです。それゆえエルサレムの神殿での礼拝も熱心に行われていました。しかし、このことが霊とまことによって礼拝を捧げることを妨げる要因になっていたようでもあります。イエスさまはヨハネ4章23節と24節でサマリヤの女に言いました。「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」。ペンテコステの日以降は新しい時代に入りました。神殿での礼拝よりも、場所はどこであれ霊とまことによって捧げる礼拝が重要になりました。しかし、神殿が存在している間は、ユダヤ人たちはなかなか新しい時代に適応できていなかっただろうと思います。
 きょうのもう一つの聖書箇所のヨハネ5章の病人は、神殿の縛りからなかなか自由になることができないでいたユダヤ人たちと重ねられています。これは先週の祈り会でも話したことですが、教会全体で分かち合いたいと思いますので、今日はもう一度話すことにします。

『使徒の働き』が重ねられている『ヨハネの福音書』
 まず復習としてヨハネ4章を開いて下さい。もう何度もご一緒に読みましたが、4章の39節から42節までを交代で読みましょう。ここにはサマリヤの女の話を聞いたサマリヤ人たちがイエスさまを信じたことが書かれています。

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

 きょうはもう特には説明しませんが、ここにはサマリヤ人たちがイエス・キリストを信じて聖霊を受けた出来事(使徒8章)が重ねられています。そうしてサマリヤ人たちはイエスさまに霊的に会うことができるようになりました。
 続いて、4章の49節から53節までを交代で読みましょう。ここでは王室の役人とその家の者たちがイエスさまを信じたことが書かれています。王室の役人とは異邦人です。

4:49 その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
4:50 イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
4:51 彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
4:52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。
4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

 王室の役人は異邦人ですから、ここには異邦人のコルネリオとその家族や知人たちがイエスさまを信じて聖霊を受けた出来事(使徒10章)とが重ねられています。

人間的な思い込みに縛られていた者たち
 そうして、ヨハネ5章に入って行きますから、この5章には、異邦人が聖霊を受けた出来事以降のことが重ねられています。つまり、ここにはエルサレム会議とその後のことが重ねられています。

5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。
5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

 ここに登場する38年間病気にかかっていた人は、池に入らなければ病気が治らないと思い込んでいました。そんな病人をイエスさまは治してあげました。この病人は、神殿に入って礼拝しなければ救われないと思い込んでいたユダヤ人たちと重ねられています。つまりモーセの律法を守らなければ救われないと思い込んでいたユダヤ人たちです。

十字架の年は紀元33年
 ユダヤ人たちはモーセの律法に縛られていました。しかし紀元70年にエルサレムが滅亡して神殿が焼失しましたから、神殿礼拝に縛られることはなくなりました。38年間の病気は、この神殿礼拝に縛られていた38年間と重ねられています。つまりイエス・キリストの十字架の出来事は紀元33年であったということをヨハネの福音書5章は示唆しています。暦の上では過越の祭が金曜日であるのは紀元30年または紀元33年であるので、十字架の年はそのどちらかであろうとされていますが、ヨハネの福音書によれば十字架の年は紀元33年です。
 私は、多くの人々にヨハネの福音書のことを知っていただく上で、これから先、「2033年までに核廃絶と平和を」と訴えることを始めたいと思っています。そうすれば、「なぜ2033年なのですか?」と聞かれますから、それは2033年がイエス・キリストの十字架から二千年の記念の年だからであり、十字架の年が紀元33年であることはヨハネの福音書に書いてあると説明することで、ヨハネの福音書のことを、もっと知ってもらえるようになるだろうと期待しています。
 この「2033年までに核廃絶と平和を」と訴えることは、私に与えられた個人的な使命だと考えています。そして私は、このことに私個人だけでなく教会の皆さんも加わっていただきたいと願っています。しかし、皆さんの中には「2033年までに核廃絶と平和を」と言っても、どう関わったら良いかわからないという方もおられることと思います。

2033年までの聖書理解者の目標人数
 それで、週報のp.3に目標の数字を示して見ました。

  2017年 3人
  2018年 6人
  2019年 12人
  2020年 24人
  2021年 49人
  2022年 98人
  2023年 195人
  2024年 391人
  2025年 781人
  2026年 1,563人
  2027年 3,125人
  2028年 6,250人
  2029年 12,500人
  2030年 2万5千人
  2031年 5万人
  2032年 10万人
  2033年 20万人

 沼津の人口は20万人です。もし沼津の20万人の方々のすべてが2033年までに聖書を理解するようになれば、私たちは平和を実現することができるでしょう(聖書を理解するとはヨハネの福音書を理解するということです)。そして、この聖書を理解する人が年に倍に増えるペースを目標とするなら、2032年には10万人の人が聖書を理解している必要があります。その前の2031年には5万人です。そうすると、2017年には沼津でわずか3人が聖書を理解していれば良いことになります。2018年は6人、2019年は12人が理解していれば良いということです。ですから私たちは既に3年分を先取りしていることになります。
 こういうふうに見るなら、今の段階では「2033年までに核廃絶と平和を」という目標は、まったく無理な目標ではないと言えるのではないでしょうか。人間的に考えれば、この目標は何年後かには苦しくなって破綻するかもしれません。しかし今の段階では既に先取りしているのですから、人間的な思い込みに縛られて悲観するのではなく、神様の御業を信じて、皆さんと一緒に平和の実現に向けた働きを始められたらと思います。目標人数が少ない間に新しい建物を建てることができるなら、この働きはきっと大きく前進することでしょう。

おわりに
 ヨハネ5章に戻ると、6節でイエスさまは病人に「よくなりたいか。」と聞きました。しかし、病人は池に入らなければ自分の病気は治らないと思い込んでいました。そして、21世紀の現代に至っても私たちには様々な人間的な思い込みがあります。この思い込みに縛られている間は、なかなか平和は実現しないでしょう。人間的な思い込みから解き放たれてイエスさまにすべてをお委ねして、十字架から二千年になる2033年までに、平和を実現できればと思います。
 お祈りいたしましょう。
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