インマヌエル沼津キリスト教会

人生を豊かにする聖書を伝える教会
沼津市今沢34番地 Tel.055-966-2612

いのちのパン(2017.5.17 祈り会)

2017-05-18 13:09:45 | 祈り会メッセージ
2017年5月17日祈り会メッセージ
『いのちのパン』
【ヨハネ6:26~35】

はじめに
 祈り会のメッセージでは、「イエス・キリストは聖書のことばである」ということを深めて行きたいと願っています。
 きょうはヨハネ6章で「わたしがいのちのパンです」とおっしゃった箇所を取り上げたいと思います。

人はパンだけで生きるのではない
 26節と27節を交代で読みましょう。

6:26 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」

 ここでイエスさまは「なくなる食物」のことと「永遠のいのちに至る食物」のことについて、話しました。私はここで、イエスさまが悪魔から誘惑を受けた時に答えたみことばを連想します。その箇所を、ご一緒に読みましょう。マタイ4章です。1節から4節までを交代で読みましょう。

4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

 有名な箇所ですから、皆さんが良くご存知の箇所です。4節でイエスさまは、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
とおっしゃいました。イエスさまはここで、旧約聖書の申命記(8章3節)を引用して言っていますが、このみことばの前半の「人はパンだけで生きるのではなく」のパンとは、食べるパンのことですから、ヨハネ6章のイエスさまがおっしゃった「なくなる食物」のことです。一方、後半の「神の口から出る一つ一つのことば」とは、「永遠のいのちに至る食物」のことですね。
 ですから、このマタイ4章のイエスさまのことばを念頭に置いてヨハネ6章を読むなら、イエスさまが6章35節でおっしゃったことを、一層よく味わえるだろうと思います。35節をご一緒に読みましょう。

6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 ヨハネの福音書は、1章1節で「初めに、ことばがあった」と書いてイエス・キリストが聖書のことばであることを宣言しています。そうして6章でイエスさまは「わたしがいのちのパンです」とおっしゃいますから、私たちは聖書のことばを、パンを食べるようにしっかりと私たちの内に取り入れなければなりません。それはもちろん霊的な意味においてです。私たちはみことばを私たちの魂の内にしっかりと取り込まなければなりません。そうすれば、私たちは決して霊的に飢え渇くことはありません。

いのちのパンとは聖書のことば
 いま話したことは、論理学の三段論法を参考にするとわかりやすいかもしれません。三段論法では、A=B且つB=CであるならA=Cであるとします。これをヨハネの福音書が書いていることと置き換えると、こうなります。イエスさまは聖書のことばであり、且つイエスさまはいのちのパンです。ゆえに、聖書のことばは、いのちのパンです。或いは、いのちのパンとは聖書のことばのことであると言っても良いでしょう。私たちが持っている聖書に書かれていることばがイエスさまであり、且ついのちのパンであるという認識を持つなら、聖書をもっと大切にしなければならないという気持ちになります。
 それからまた、「主の祈り」にある「我らの日用の糧を、きょうも与えたまえ」も、また違って響いて来ることを感じます。この日用の糧は肉的な糧と霊的な糧の両方の意味があって両方とも大事だと思いますが、霊的な糧の意味の重みを一層感じる気がします。
 そして、自分のことだけでなく、地域の方々にみことばをお伝えする働きの重さも、また違って感じるように思います。
 貧困の問題が深刻ですから、「なくなる食物」が不足している方もいますが、しかし多くの方々は、「なくなる食物」はある程度しっかり食べることができていると思います。一方、「永遠のいのちに至る食物」を食べることができている方はほとんどいません。
 いま教会では、「へいわ深海聖書館」の準備室を作って、このための議論を始めようとしていますが、きょう話したことを踏まえるなら、「聖書館」を設立するという方向性は良いのではないかと思います。ですから、どういう展示をするかということが、より重要になるだろうと思います。「永遠のいのちに至る食物」を、どう食べてもらうか、食欲をそそるものにしなければなりません。
  そのために、まだまだ工夫すべきことが色々とあると思います。戦後に限っても、72年前と現代とでは、世の中の様子は全く異なります。ですから、大切にすべきことは残しながら、様々に工夫すべきだろうと思います。

おわりに
 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働くこと、この基本を大切にしながら、人々にみことばを宣べ伝えて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」
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