平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

「無為無欲+聖霊の導き」の勧め

2017-09-18 08:05:12 | 折々のつぶやき
 為学日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為。
 取天下、常以無事。及其有事、不足以取天下。(老子第48章)

 学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じてまた損じ、以って無為に至る。無為にして為さざるは無し。
 天下を取るは、常に無事を以てす。其の事有るに及んでは、以て天下を取るに足らず。

【私訳】
 学問を行うと我欲我執が日々に増し、道を為せば日々に少なくなる。我欲我執を減らし減らして無為に至る。無為無欲になればできないことはない。
 天下を取るには心が無の状態でなければならない。心の中に何か有るようでは天下は取れない。

 私たちは天下を取ることまでは考えていませんが、いずれにしても我欲我執に囚われていては、何事も為すことはできません。しかし、心を無の状態にすることは危険を伴うことでもあります。もし悪霊に憑かれてしまったら最悪です。
 ルカの福音書には、次のような記述があります。

24 「汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。
25 帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。
26 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」(ルカ11:24-26)

 このことから、単に無為無欲であれば良いわけではないことがわかります。心を正しく導く聖霊(御霊)で満たされる必要があります。無為の状態に聖霊を受けることで、その人は正しい方向に導かれます。

16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。(ガラテヤ5:16-25)
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