平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

光の三原色と三位一体の神論

2014-10-08 06:44:26 | 折々のつぶやき
【光の三原色と三位一体の神論】
 便乗とは軽薄だが、この際、青色LEDに便乗して、以前から温めていた三位一体の神を光の三原色に例える試みを、推進させてみようと思う。青・緑・赤の光から白色の光を作り出せることをマスコミが説明してくれているので、今ならわかってもらいやすいのではないかと思う。なお、以下の例えはヨハネの福音書の理解から得られることである。
 父・御子・聖霊の三位一体の神を青・緑・赤からなる白色光に例えてみたい。ふだん我々が感じている神は白色光である。この白色光を分光すると父・御子・聖霊の性質に分かれて見えるのである。ただし、ここまでの例えなら、私だけでなく多くの人が考えることであろう。面白いのはここからだ。
 預言者・イエス・使徒にはフィルターのような働きがあって、白色光の三位一体の神は預言者を通ると父だけが見えるようになる。同様にイエスというフィルターを通ると御子が見え、使徒のフィルターを通ると聖霊が見える(この場合の「見える」とは霊的に見えるという意味である)。
 ヨハネの福音書がわかりづらいのは、イエスが地上生涯のイエスだけでなく、預言者としても、復活後のイエスとしても、或いはまた御使いとしても登場している点にある(御使いというフィルターは預言者のフィルターともまた異なるのでなかなか興味深いが、ここでは深くは追究しない)。
 以上は単なる例え話であるので青・緑・赤の光が父・御子・聖霊のどれに対応するかまで考える必要は無いと思うが、あえて対応させるとすれば、エネルギーが一番高い青色の光が第一の位格の父、次にエネルギーが高い緑色の光が第二の位格の御子、三番目の赤色が第三の位格の聖霊ということになるであろうか。
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