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5月25日午前から約半日、MSNニュース欄(インターネット上)に末日聖徒イエス・キリスト教会の東日本大震災に対する支援活動の模様が、全国広報ディレクター新山靖男に取材する形で報道された。

支援活動が早かったこと、支援内容の具体的詳細、その後も継続して行われていることなどが比較的詳しく報じられている。例えば初期の義捐金寄付の後、東京、名古屋、大阪の各地区で「衛生キット」3万個を会員たちの手で作製、メッセージを添えて被災地へ送った、と伝えている。また、4月に入って、「東京と埼玉の会員がトラックをレンタルし宮城県気仙沼市、仙台市に野菜類、缶詰、掃除用具、幼児用おむつ、マスクなどを運んだ」こと、「石巻市の避難所では、女性会員がマッサージをしながら話し相手をする傾聴ボランティアに参加。また、数人の会員が石巻市内の災害宅に駆けつけ、テレビ、畳、ピアノなどを運び出した後、泥をシャベルで掻き出す作業を繰り返した」と書いている。私がまだ耳にしていない活動であった。

そして末尾に、「世間もマスコミも民間ボランティアの活動には注目する。しかしどうした訳か、宗教団体の活動には冷たいように思う。彼らの慈善活動、支援活動は当然の行為で、あえて取り上げるまでもないということなのか」「われわれは、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の活動を記憶しておいていいと思う」と結んでいる。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110525/trd11052508420007-n1.htm

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
実際は・・ (匿名希望)
2011-05-30 21:49:14
教会が物資支援活動や少ないボランティアを送ってきたのは本当です。助かった人も中にはいたでしょう。
しかし、実情に合わない支援物のこと、反対に足りない物資や人材のこと、配られないで積まれている物資のこと、津波被害にあった人の心情を傷つける言動のこと、実際はもっともっと複雑なのです。組織に頼らずに支援に駆けつけた民間ボランティアの方々に、奉仕ってこういうことなんだと逆に学びました。具体的な詳しいことは書けません。
ですが、普段教会に行っている、いないではなく、本当の愛を持っているか否か、相手の立場に立って行動するかどうかが大事なのだと心から思いました。
 
 
 
更に上から見ることも (NJ)
2011-05-31 08:28:47
ありがとうございます。

そういった声があることは承知しています。しかし、報道の内容(一部がそうでないにせよ)、報道があったことに注目したのです。

(前の阪神大震災に比べてどうなのですか。詳しいことを小生の email に送っていただければありがたいです。)
 
 
 
モルモンの緊急時対応 ()
2011-05-31 10:51:49
今回の震災が有って、日本のモルモン教会の中でも、色々な話が出ています。

確かに支援はした方がいいのですが、本当に魂のこもった支援なのか?と言う疑問も有ります。

例えば、数万個配られた衛生キットの中には、その全てに、教会の名前が書かれたチラシを入れています。
キットを作るのに参加した会員の中からも、「どうしてこんなものを入れる必要が有るのか?」と言う疑問の声も聞いています。

又、災害時の教会の建物の使用に関しても、原則として一般の被災者の受け入れは想定して居ません。

教会の規則で、教会の建物には、水や非常食を備蓄してはいけない事になって居ますし、災害時でも、建物の使用に関しては、十二使徒にお伺いを立てないといけない事になっています。

災害時のマニュアルでは、まず会員の安否の確認をワードの役員がする事になっていますが、確認するだけで、どの様に助けるのかが全く決まって居ません。
教会に一時的に非難することすら、十二使徒の許可が居るわけですから・・・。非現実的としか思えませんね。

物資にしても、会員が近隣のスーパーなどから買い集めてくるので、必要な物資の不足を招くと言う弊害も心配されます。

ま、そもそもの、モルモン教会のボランティア活動は、目的が「伝道」「教会のPR」ですので(これは、教会自身が公言していることです)、今回の産経新聞の記事で、目的は達成できた事でしょう。

聖書には「天に宝を蓄える」と書いて有るのですが、どうもモルモン教会の上の人は、それが嫌いなようですね。(笑)
 
 
 
支援活動/中間指導者の役割 (NJ)
2011-06-03 22:07:58
今回の支援活動は会員サイドからのもので言えば阪神大震災の時に比べると地味というか控えめであったように思われます。ともあれ、コメントに順に私なりに答えてみたいと思います。

キットに支援者の名前を何らかの形で付すという点では問題ないと考えます。戦後モルモン教会の救援物資に助けられたという人が昔私の勤めた会社にいました。物資の箱か袋に書いてあったのでしょう。また、ずっと昔になりますが阪神尼崎の駅で清掃のボランティア活動をした時、駅の方からゼッケンをつけてどこの組織の者であるか、またゴミを出さないように標語を書いてしてもらうと良い、ということでした。伝道のチラシに躊躇する気持ちはわかりますが。

礼拝堂を避難所に使うことはハイチかどこかで使ったことがあるように記憶しています。現場の監督やステーク会長(あるいは地域会長会)の判断が優先されることがあると理解します。遠隔地にいる指導者は結局現場に最も近い責任者に意見を求め、尊重することになるわけです。

話は変わりますが、ホームレスで問題山積のまま、あるいは明らかな拙速バプテスマの場合、バプテスマフォントの使用を許可しないと言った監督がいました。それくらいの気概と責任感が地元の指導者に欲しいと思います。

十二使徒の許可が要る、という表現は知事の許可が要る、校長の許可が要る、というのと似たところはないでしょうか。結局下位の責任ある、(信頼された)人の判断を尊重するしかないのですから。

それから、人道支援、災害支援などは、欧米の信仰離れしたキリスト教社会で生き続けている精神・運動です。lds教会も同じクリスチャン的行動を行なっている、と見ることはできないでしょうか。そんなことを何でするのか、売名行為ではないか、と批判するだけでは片寄った見方に陥る恐れがあります。

批判的意見に接する時、思うのは一般会員の側から上がっていくアイデアや運動が主なのか、上から降りて来たような感じのする活動なのかで生じるのだろうと言うことです。阪神の時に思ったことは平会員から自然に生じる活動を尊重したい、という気持ちでした。それを支援する個人的義捐金を出す余裕を残したいと痛切に思ったことでした。今も同じ気持ちです。(教会からの資金を当てにすると苦い思いをする場合がある。)



 
 
 
感動・感謝! (沼野治郎)
2011-07-30 18:12:46
リアホナ誌2011年7月号に掲載された、小林久子姉妹の記事「傾聴ボランティアの見た被災地」を読んで大変感銘を受けた。本当に価値のあるよい奉仕をされたと思う。

被災地の状況を読んで息を呑む思いであった。マッサージを施す時の問答や様子を読んで私も何度も涙が出るのを留めることができなかった。この方の信仰、人格や経験からきたものであろう、さまざまな場面に現れている彼女の配慮に、また、被災者との心の通ったやりとりに感動した。

小林久子姉妹とこの記事を編集・掲載した編集室に感謝の気持ちを述べたい。
 
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