Numa Bali Therapie ヌマバリ

今日の幸せが明日も続きますように

ロスメン探し

2011年06月13日 | バリ島
 バリ島に行って覚えた事の一つが
ホテル宿泊料金の値段交渉

まず気に入った宿があれば「部屋を見せてくれませんか?」
とフロントで訪ねる「良いですよ」と案内してもらい
部屋を見て料金を聞く、その料金で納得すればそれでも良いし
ちょっと高いなと思えば「これくらいになりませんか?」と
自分なりの料金を提示してみる

 今から10年ほど前の話
私のマイブームはバリ島のロスメンに泊まる事だった
ロスメンとは安宿の事で安いところでは一泊100円くらい
で泊まれるのだけど、そんな部屋は電灯も無かったり
なので日本円で1000円くらいの快適な宿を見つけるのを楽しみにしていた
良い宿が見つかれば次回はそこに泊まろうとか
みんなに教えてあげようとか
まぁ今考えればそんな事どうでも良い事なのだけれど
その当時はバリエステの勉強のためにバリ島に滞在していたので
少しでも生活費が安くなればと思っていた
その当時「バリ舞踊を習うため」とウブドに滞在していた
同じ年頃の女の子達もいて情報交換をしたりした
「楽園バリ」という言葉とは裏腹に
私たちが利用している安宿は危険がいっぱいで
ドアの鍵なんかすぐに壊れるようなものだし
窓のカーテンもあるような無いような
網戸も所々破れていて虫も侵入可能な状態
なので一番重要なのは宿のオーナー家族が
どういう人達か、という事だと思う
独身のお年頃の男性がいる家であれば
かわいい日本人の女の子に興味を持つだろうし
若い女の子が一人で泊まるというのは
やはり色々と気をつけないといけない

 ある日、いつもお世話になっているインドラおじさん
とウブド、モンキーフォレスト通りのホテルの見学に出かけた
私は一人で行きたかったのだけど、インドラおじさんが
「バリ人プライスがあるからね、君が交渉するより安くなるよ」
というので一緒に行く事にした
コマネカとかプリンガジュイタ(今は無いらしい)とか何件かの見学をすませ
出来たばかりのホテルの前に来た時、インドラおじさんが
「ここのオーナーは僕の弟なんだよ」と
冗談ばかり言ってるおじさんの言う事なので信じられなかったけど
母親違いの弟だということ(バリ島は一夫多妻容認なので)

おじさんが声をかけるとそのホテルのオーナーが現れた
本人同士確かに似ているけれどニコニコ笑顔のインドラおじさんに対し
怖い顔で威張っているそのホテルのオーナーでは随分と違うような

 そしてオーナーの彼は開口一番「お前ら何しに来た」と
お客さんに対して「何しに来た」は無いんじゃないか?と思いつつ
私が「ホテルを探しているので部屋を見せてもらいたい」
というと「一人で泊まるのか2人で泊まるのか?」と
私はてっきり料金の関係でその質問をしたと思ったのだけれど
オーナーが「この男と泊まるのか」と続けて聞いてきたので
はぁ?

いくらなんでもお父さんのようなインドラおじさんと
私がそんな風に見られてしまった事にすごいショックを受け
インドラおじさんには悪いけれど
「気分が悪いので私一人で帰ります、おじさんも一人で帰ってくれる」
とその場を後にしたのでした

で分かったのは
バリ島の人達はいつもイヤラシい方に解釈しているという事
もちろん皆がそうでは無いと思うけれど
私の知ってる限り色っぽい方にとらえる人が多いと思う

 その一件をきっかけに
私はおじさんではなく奥さんのプトゥと行動するようにした
おじさんの愛人だなんて噂が広まっているんじゃないかと
嫌で嫌でたまらなかったがおじさんは
「俺は噂だけでも愛人がいっぱい居た方がかっこいいんだけど」
などというので、このおじさん自分で広めてるんじゃないか
とおじさんさえも信じられなくなったりした

 まぁ、この人となら誤解されても良いかなと思えるような
かっこいい男性であれば一緒に行動した事もあるけれども、なんて。

 

 



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ママを捜して

2011年04月14日 | 癒し
 サッカー教室に通い始めた3歳になる息子
初めての練習でかなり疲れていた様子で
家に帰る途中の車の中で寝てしまい、お姉ちゃんと一緒に
そのままベッドに移しても夕方までグーグーと寝ていた
目を覚ました息子が「ママー」と呼ぶのでベッドに行ってみる
抱っこしても、お話ししても「ママー」と呼びながら泣いている
嫌な夢でも見たのか?サッカーでよほど疲れていたのか
10分くらい泣いていたと思う
「テレビでも見ようか」とまだ泣き止まない息子を抱いて
リビングへ行った、すると息子は
「ママだ」と言って、私の顔を両手ではさみ笑顔になった
「ずーっとママだけど」と言うと
「だって暗くてママの顔が見えなかった」と

 息子はパパの遺伝子を受け継いでいて
白い肌と茶色い目茶色い髪の毛をしている
パパもそうだけれど異常に明るい場所が苦手
今住んでいる家も普段でも暗い家なのですが
夏になると外からよしずで窓を覆ってもっと暗くしてしまいます
黒い目強い肌の私たちには何ともない事なのですが
青い目ピンク色の肌の人たちには厳しいんだと
一緒に生活していて気がつきました

 息子もまぶしい太陽のもとサッカーの練習をして
目が疲れてしまったのかもしれません

 そんな息子の様子を見て
私の遺伝子を引く、黒い目黒髪黄色い肌のお姉ちゃんは
「ママが良く見えない時はママの匂いを探したら良いよ」
とこれまた野性的なアドバイスをしてくれました。

 3歳と5歳、家の中で私の姿が見えなくなると
「ママー」と探し始めます「ここよー」と返事をすると
たとえ姿が見えなくても「居るんだな」と安心するようです

 先日、夫の読んでいる英字新聞のトップページに
震災で母親の行方が分からない5歳の女の子の記事が載っていました
なぜそれが私の目にとまったのかというと
すべて英語の記事の中で、彼女がママ宛に書いた日本語の手紙が載っていたから
「ママへいきているといいね」

あなたのママへその手紙が届きますように

かんばろうね。
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娘がインフルエンザに

2011年03月28日 | 出産・子育て
 本来ならば、今日から香港ディズニーランド家族旅行に行ってるはずなのですが
2日前に上の子(5歳の娘)が発熱しまして、急いで小児科を受診しました
 インフルエンザだと発症してすぐは検査をしても分からないけど
とドクターに言われつつ、午後は医院が休診なので検査しておきましょうと
検査の結果うっすらとだけど陽性の反応が出てるのでインフルエンザB型で間違いないです、と
なんでこんな時に、と思いつつ40℃近い熱で苦しそうにしている娘を見ると
向こうで発熱して帰れなくなるよりかは良かったのかなと

 3歳になる下の子は何ヶ月も前から香港ディズニーランド行きをとても楽しみにしていて
バズライトイヤーに会う時はオムツ姿では恥ずかしいと、それを目標に
トイレの失敗もなくなり、食べ物の好き嫌いをやめたり、お手伝いをしたりしていたので
これで行けないとなると、どうなるんだろう?と思いながら伝えてみました
「お姉ちゃんが病気だから行けなくなったのよ」と
すると「Meは病気じゃないからMeは行けるけど」との返事が

そうよね〜やっぱり行きたいよね

 そして発熱から3日目の朝、娘の熱は嘘のように下がり
タミフルってすごいな〜と改めて思うのですが昨晩まで39℃の熱があったのですから
しかし熱が下がったとはいえやはりまだ感染能力はあるので
娘を連れて飛行機に乗るというのは出来ませんでした
すでに私と娘のチケットはキャンセルしていて夫と息子だけが香港に行くと
なっていたのですが、娘は空港まで行ければ自分も連れて行ってもらえるのかもしれない
と思っていたようで「元気になった」と言いながら
自分のお気に入りの洋服を着て車に乗り込みました
空港に着きパパと息子を降ろすとすぐに自宅に戻る事に
車の中ではさっきまでの元気は無くなり、なんだか静かになっていました
そして自宅に着くなり「私も行きたかった」と泣き出してしまって
元気になれば行けるとがんばっていたんでしょう

 そいえば去年の夏、娘は父親と2人でカナダの実家に行っていました
日本への帰国3日前に体中に湿疹があるのを父親がみつけ
おばぁちゃんに見せてみると「それは水疱瘡じゃないの?」と
翌日カナダで小児科を受診したら「間違いなく水疱瘡です」と
その時も帰国を1週間延ばしたのですが
子供との旅行はハプニングだらけだな〜と思います
しかし悪い事ばかりではなく、その時約1ヶ月ぶりに会う娘が
行く前よりも上手に英語を話すようになっていて
今までの心配がすこし楽になったというか
問題も沢山舞い降りてきますが、がんばったご褒美もそれなりに舞い降りてくるんだと

 今回もやはり私の心配事は尽きないわけですが
息子とパパが2人だけで大丈夫なのか?

 夫の母や私の母がいつも家族の心配ばかりしていて
2人とも「そんなに心配しなくても」と思うほどなのですが
私は常々彼女たちに「そんなに心配しなくてもみんな大人なんだから大丈夫よ」
と言ってきたのですが、実際自分が親になってみると
私も彼女たちと同じように何かの心配ばかりしていて
こんな私じゃなかったのにな〜と思う事がしばしばあります
そんな自分に「大丈夫、みんなちゃんと出来るからそんなに心配しないの」
と心の中で言ってみるのでした、さてさて効き目はあるのかな?

 子供が生まれたばかりの頃、私の持つバッグの中には沢山の子供のためグッズ
が詰め込まれていて、子供が成長するにつれその道具たちはバッグの中から
少しずつ姿を消して行き、子供のオムツが外れた時から子供の物は私のバッグの中から
一切無くなり、ベビーカーもいらなくなりました

 今日、下の子が嬉しそうに本当に嬉しそうに空港の搭乗ゲートに向かうその背中には
自分のお菓子と着替えが入ったリュックがありました

 ママが心配しなくても大丈夫だと思います。
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香港ディズニーランド

2011年02月14日 | 旅行
 子供が3歳くらいになると、どの家庭でもこの話題になるのではないでしょうか

それはディズニーランド

我が家も娘が3歳の時に行ってみようかな?と思ったのですが
下の子は1歳で、きっと大変だろうな と
そこまでして行かないと行けない?
とその話は無かった事に

毎度、夏休みになると幼稚園のお友達が
「ディズニーランドに行ったよ」と
お話ししてるみたいで
我が家の子供たちも
「行ってみたいな〜ミッキーマウスのところ」

フロリダは遠いし
東京は高いし
パリは寒そうだし

夫が「香港は?」

香港ってディズニーランドあるの?

調べたところ
貯まってるマイレージで4人分の
福岡ー香港の航空券との引き換えが可能と分かり
今度の春休みに行ってみる事に
香港のディズニーランド
みんなには「偽物のミッキーじゃないの?」といわれますが
本物だと思います

オムツ外し練習中だった下の子に

「ディズニーランドはオムツの人は駄目だって」
というと「Meオムツやめる」
とその日からオムツをしなくなりました

ミッキーマウスにはすごいパワーがあるんだな



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ギフト

2011年02月09日 | 私について
先日、私は41回目の誕生日を迎えました。

幼い頃から母に聞かされていた話

寒い寒い2月の冬の日に40時間もの難産の末
母子ともに危険と言われ
器具を使って無理矢理引っ張り出された赤ちゃん
もう少しでその器具が目に入り失明するところだったとか

4160グラムで生まれた大きな赤ちゃんなのに
その後は呼吸が止まったり病気をしたり
心配の連続だったとか

そんな赤ちゃんが41歳のおばちゃんになりました。

 5歳の娘からは
「まま」とかかれたお手紙のプレゼント
内容は覚えたてのひらがなで
「ほのほのはへま」???どんな意味なんでしょう

3歳の息子からは歌のプレゼント
「はっぴーばーすでーまーまー」上手でした

そして夫からは
「君の似顔絵があったから」と
赤鬼の絵が描かれたマグカップでした

今年も鬼になってがんばります。

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田舎の家は非現実のものとなりました

2011年01月10日 | 私について
 夫が探してきた新聞の案内記事

小さな字でぎっしり書かれていたので最初は無視したのですが
夫がどうしても読んでくれ、というので目を通す事に

「田舎暮らしをしてみませんか?」
というその記事

大分県のある町では空き家がたくさんあって
過疎化も甚だしく、町おこし(?)村おこし(?)
として格安で空き家を紹介します、という内容

今の家とは別に田舎の家を持ちたい夫
買うとなると難しいけれど、借りるのなら良いんじゃないかと

早速そのNPO団体に電話をしてみる
とにかく物件をみてみませんか?
との事なので、翌日ドライブがてら家族4人で行く事に

その時にバタバタと6件ほどの家を見せていただく
こんな事を書くのは申し訳ないけれど
どの家も今すぐ住めるような状態ではなく
格安の物件では仕切りだけしてある屋外トイレは便器が大破していて
地面に開いた穴からはヒューっと風が吹き上げてくる
薪で湧かすお風呂は粗大ゴミでいっぱい

バリ島に何度も通っていたので屋外トイレ屋外バス
には慣れているけど、それは暖かい国でのお話
もうすぐ雪が降るこの町では無理かもしれない、私

その中でも、もしかしてこの家なら大丈夫かな?
という1件があったので「家の中を見せて欲しい」と頼んでみると

「もう日が暮れているし電気もないので良く見えないから
家の中は次回にしませんか」とのこと

まぁしょうがないか、と思いつつその日はそれで帰る事になった。

それから夫婦で話し合い2週間後に電話を入れた
「この前見せていただいた物件の中を見たい」と

すると
「あれはもう決まりました」との返事が

今まで何十年も空き家だった家がたった2週間で決まり?
変なの??と思っていると

「まだまだ空き物件はありますので是非また見に来て下さい」と

あきらめきれない夫は今度は娘と2人で物件を見に行く事に
本当は家族で行く予定だったが下の子が熱を出したため私と下の子はお留守番

そしてまた別の物件を見せてもらい戻ってきた夫は
カメラに収めてきたその家たちの写真をスライドショーで
42型のLEDテレビで見せてくれた
一緒に見ていた私の母と妹が「えーっ」と驚くのも気にせず
夫は嬉しそうにその写真の解説をしてくれる
どの家にもまだ家具や衣類、日用品が生活したままの状態で残っていて
面白いところでは一升瓶やビールの空き瓶がケースに入って残っているところなど
これまたどれも「夢の田舎暮らし」とはほど遠い写真ではあるけれど
これまたその中でも1件だけ「これなら少し手入れをすればいけるかも」
という家があった、そして例のNPO団体に電話を入れる

次の週に再びその家を見に行く
管理を頼まれているというご近所の方も現れ
話が進み来月より使用可能、ということで
契約金を払い、それこそ夫は上機嫌で自宅に戻った

そして荷物を運ぶのに今の車では無理だから
と我が家の駐車場にぎりぎり入る大きさの7人乗りの車を購入
あれもこれもと思いを巡らせ楽しい日々を過ごしていたところ
家の持ち主の方から電話が、「直接あって説明したい事があるので」
と、なんでも倉庫に米を1年分保管してあるので触らないで欲しい
という事と草刈りを必ずやって欲しいという事であるが
まぁ詳しく説明したいので、正月明けにも現地で会いましょうと

「なんだか面倒くさい話だぞ」
と思っているのは私だけで夫は
「じゃぁ草刈りをやる代わりに家賃を安くしてもらおう」と

そして明日いよいよ家主と会うぞという日
夕飯の準備をしているところへ一本の電話が

例のNPO団体の方から「契約は無かった事にして欲しい」と
まぁはっきりとした理由はもちろん言われませんでしたけど
なんでも「近所の人が外国人が家を探している」と
そうなんです我が家の夫は白人なのですが
外国人に家を貸すという事でご近所さんにいろいろ言われたそうで

そういえば私たちが結婚した当初
今から15年ほど前のことを思い出し
あの時も家を貸してもらえなかったなぁと

あの頃からすると私たちは随分色んなものを手に入れたなぁ
家も車も無くてでも私たちは幸せで若くて
色んな夢を見て、少しずつ少しずつその夢を現実にして
家を買い、犬を飼い、家族が増え、友達が増え

今回、田舎の家は手に入りませんでしたが
私がすっかり忘れていた、昔の事に思いを馳せる事が出来
昔の私からすると今の夢のような生活に感謝する事が出来た

でも(うふふ)
もちろん今のままでも十分幸せなのですが
私たちの情熱が続く限り
まだまだ大きな夢に向かって少しずつ進んで行きたいと思います。










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新年のごあいさつ

2011年01月07日 | 私について
あけましておめでとうございます。

昨年は書いたり書かなかったりでした
今年は書きたくなる出来事も増えるような予感が。

 昨年末よりバリエステのホームサロン
ぼちぼち自宅で再開しています
営業時間も短くメニューもフェイシャルとフットのみですが
出来るところから少しずつやって行きます。

 そして昨年末に思い立って
というか夫の長年の夢であった「田舎暮らし」に挑戦する事になりました
といっても夫にも仕事がありますので田舎に住んでしまうのは無理
ということで週末に行けたらいいなぁと
大分県内の山の上の空き家を借りる事になりました

がしかし、家を借りるだけなんですけど
なかなかスムーズに進まなくって
もしかしてバリ島の神様に反対されてるんじゃないか??
とか思ってるところですが
家族みんなと犬2匹が乗れるようにとすでに車を買い替えたので
週末プチ田舎暮らしも早く現実のものになれば良いな
とおもっているところです。

 田舎では私もやはり、これしか能がないものですから
バリエステをやろうと思ってます
それとスクールというか、レッスンというか
そういうのもまた始めたいなと思っているところです

 と
一方的に私の今年の抱負を書かせていただきました

卯年ですので
私も飛び回りたいと思います

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子連れのバリ島旅

2010年07月26日 | バリ島
 4歳になる娘と2人でバリ島に出かけた。
そろそろバリ式マッサージの仕事を再開しようと思っていたので
本当は私一人でバリ島に行き、勉強やら情報収集やらのつもりで
手配していたのだけれど、2歳と4歳の子供と犬2匹を夫に頼んで
となると日程も限られてくるし、やはり気が重いというか
そこまでしてバリ島に行かないといけなかったのかな?
などと思い始め、しかしなんとなく「今行っておかないと」との思いもあり
航空券だけは早めにとっておいた、一人なんだし久々にカジュアルな宿が良い
昔々私がバリ島に溺れていった頃のようにシンプルで気楽な宿を探す
そして予約を入れた「ウブドレスタリ」というバンガロー
いろいろ悩んだ末に娘も一緒にバリ島に行く事になり
テレビもエアコンも無いこの宿で、そういうのに慣れていない娘は
大丈夫なのかな?などと、娘を連れて行くと決めてからも再び悩み始める私
悩みに悩んで、ウブドレスタリのオーナーに「娘も泊まります」とメールを送る
すぐに「こちらにも同じ4歳の娘がいます、仲良く遊びましょう」と返事が来る

 なんで悩んだんだろう、と可笑しくなる
大丈夫、今回はバリ島から呼ばれてるんだから、と夫への言い訳というか
家庭をほったらかしてヴァケーションに向かう後ろめたさを誤摩化すというか
「娘にも良い経験になる」などと素直にバリ島に行く事を喜べない私でした。

そんなこんなで、日本から後ろ髪を引かれるような出来事もありながら
私と娘は福岡空港からシンガポール経由でバリ島へ向かった
シンガポールの空港で同じく子供と2人で中国に向かうモンゴルの女性と話が盛り上がる
彼女の経歴から彼女がエリート階級だとわかる
彼女は今回の旅の話を嬉しそうに話してくれた、家族でのフィリピン旅行
夫は赴任先のドイツに戻り両親はモンゴルに戻った、彼女は友人を訪ねるため上海へ向かうとの事
「朝青龍は小学校の同級生なのよ」と話してくれた、という事は私より随分若い
私と彼女が同じ国に生まれていればきっと接点は無かっただろう、出会わせてくれた神様に感謝。

 バリ島ウブドに無事到着した
ウブドレスタリはとても居心地が良くオーナー家族もすてきな方達だった

翌日、プトゥを訪ねる事にした
プトゥの家に続く道を歩く、後ろからバイクが近づいてきたので
道をあける、「Oh! It's you」とバイクに乗った男性が私に言う
よく見るとプトゥの甥だった、そういう一コマが私をバリ島に向かわせるんだと思う
日本から遠いバリ島のウブドという村には私を知っている人達がいて
私だけではなく娘の成長なども家族同様に喜んでくれる人達
もちろんそこに至るまでに10年以上の歳月があるのだけれど
少しずつでも確実に私たちは絆を深めていったと思う

彼が荷物を持ってくれたので私は彼の娘と私の娘の手を引きプトゥの家に向かう

 なんとなく暗い居間に目をやる、静かだが10人ほどが集まっていた
わくわくと心弾ませる私の気持ちとは裏腹に、その場はしーんと静まり返っていた
女性が一人ソファに横たわっていた、それがプトゥだと分かるには時間がかかった
そしてなぜプトゥがそうやっているのかも私には分からなかった
いつも私が行くと忙しく働いているプトゥは
「フクダ!ちょっと座って待ってて」と良いながら自分の用をバタバタとこなす
笑顔が絶えないプトゥが、今は苦しそうな顔をして横になっているのだ

私は涙が溢れて止まらなくなった
娘がいるのも忘れてプトゥのそばに行き彼女の手を握った
「プトゥ大丈夫!!死なないで!!」
そう言いながらプトゥの体をさすった
「なんでこんな事になったの!!」と
泣きながら周りのみんなに言った

外は大雨になった、この時期は雨期だから夕方の雨は当たり前だけれども
今日の雨は少しひどかった、雷を鳴らしながら周りの音が聞こえないほどの
雨が降っている、まるで私の心を表しているようだ、と思いながら
私はプトゥに話しかけた、娘も私を心配して私の背中をさすっている
プトゥは苦しそうに自分の病状を私に話してくれた
英語力が乏しい私には医療用語など言われてもさっぱり分からないのだけれど
肺だとか胸だとか言っているのでなんとなく分かってきた
私も少し冷静になって、良く話を整理してみた

そして出た結論は「今すぐ死ぬような病気では無いようだぞ」
ということ、なんとなく私の早とちりの様な気がする

雨が少し小降りになった
プトゥは息子の運転するバイクの後ろに乗って病院に向かった

バイクに乗れるくらいなのだ、大丈夫なのだろうと確信する
しかし日本だと「救急車!」といってもおかしくない状況で
バイクや徒歩で病院に行くバリの人々に改めて感心した出来事でした

1時間後、少しフラフラしながらではあるが自分で歩いてプトゥが戻ってきた
プトゥの家で晩ご飯をごちそうになり
娘は「かわいいね、かわいいね」とみんなに言われながら
その家に集まる子供たちと鬼ごっこをしたり飛び跳ねたりしながら遊んだ
子供はどこでもすぐに仲良くなれる。

プトゥが少し元気になるとみんなも明るくなり
冗談を言い合いながら、どうでもいいような話で盛り上がった
「フクダが大泣きした」とみんなに笑われた
あまり長居は出来ないと思いながらもそこを離れられずにいた
雨が小降りになり、雲の陰から明るい月が顔を出した
バリ島の神様からの「もう帰りなさい」との合図だと思った
娘の手を引きその家を後にした、あたりはすっかり夜のウブドになっていた


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カジャネ ムア ヴィラ 

2009年06月26日 | バリ島
 プロローグ

 バリ島ウブドに到着したのは午後4時ごろ
久々に明るい時間にウブドに入る、というのもいつもは
夜に到着する飛行機を利用して空港から車で1時間ほどかかる
ウブドに到着するのは夜中になる。

空港ーウブド間は外灯も無い真っ暗な道もあれば民家の電灯が
ポツンポツンと見える道路もある、ほとんどのお店が閉まっていて
たまに出ている屋台の薄暗い明かりやホテルの看板を照らす明かりが見える
それとは違いこの時間のこの道のりは民族衣装を着た人々や
畑で働く人たち、アヒルの行列、バイクのガソリンの臭いなど
「バリ島に来たんだな〜」と実感させてくれてワクワクする

 明るい時間にウブドに入ったのは
初めてのバリでクタからシャトルバスに乗ってウブドに来た時と
チャンディダサからこちらもシャトルバスに乗ってウブドに来た時
どちらのシャトルバスもウブドの中心地から外れた空き地で降ろされる
パックパックなどの時には安くて便利だけれど
大きなスーツケースを持っていると不便なので
最近ではタクシーか送迎を利用するようになった

 今回は台湾に1泊してからバリ島に向かったので正午にはバリ島に到着した
ところがクリスマスシーズンと言う事もあり
空港のイミグレーションは長蛇の列、アジア・オセアニア・ヨーロッパ
いろんな国の人々がびっしりと詰まって順番を待っていた

やっとの思いで入国審査を終え空港を出る
宿泊の予約を入れておいた「カジャネ・ムア」からの迎えが来ているはず

しかし空港の出口にはこれまた凄い数のお迎えが来ていて
これだけの人が入国しているので当然のこと
それぞれに「Mr.○○」「○○様」と書いた紙を掲げている
必死に自分達の名前を探すけれど見つからない
良く考えれば入国審査に2時間もかかったのだった
しかもこの熱さ、2人の子供たちもさすがに疲れていた

「あ〜バリ島なんか来るんじゃなかった・・・」

一人のホテルスタッフが夫に声をかけてきた
「ミスター・マックオーリーですか?」
「いいえ」と私達はマックオーリーでは無いことを言い
逆に「カジャネ・ムア」のスタッフを知らないか尋ねた
すると彼は大声で「カジャネ!!カジャネ!!」と叫んで
周りに居た何人かと返事のような答えのようなやりとりがあり
駐車場方面から一人の男性が手を上げてやって来た
彼の制服の胸には「Kajane Mua」と刺繍がしてあった
私達が一向に出てこないので、もしかしてホテルに何らかの
連絡が私達から入ってるんじゃないかと電話をかけていたとの事
ここでは電話の声が聞き取れなかったので向こうの柱の陰にいたと

 カジャネの感じの良いスタッフが運転するエアコンの効いた立派な車でウブドに向かう、車内には冷やされた飲料水が用意してあり早速子供たちにそれを飲ませた。車を運転しながら彼はミラー越しに私達に入国審査に時間がかかった事を詫びた、もちろん彼の責任ではないけれども彼に限らず「自分の国がこんなんですいません」と言えるバリの人々ってやっぱりいいな〜と
つい1時間ほど前に「バリ島にはもう来ない」と思った事を撤回した私でした。



 
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子供たち

2009年02月24日 | 出産・子育て
 1才1ヶ月になる下の子はもうそろそろ歩き出しそう
早い子では7、8ヶ月頃から歩き始めるが、我が家の子達はのんびりしてる
上の子は1才2ヶ月になったその日、トコトコトコと歩き始めた
下の子は男の子なのでもう少し早いのかと思っていたらそうでも無い様子
夫の母には「あなたがいつまでも抱っこばかりしてるから歩かないのよ」
言われてみればそうかもしれない
私は子供が泣いているのが「かわいそうだなぁ」と思うので
泣くとすぐ抱きかかえていた、だから歩かないのかもしれないな

 少し前まで2人の育児で本当にいっぱいいっぱいだった
そんな時先輩ママさん達に
「下の子が1才になったら楽になるよ、子供同士で遊ぶからね」
と言われた、その言葉の通り確かに最近は2人で遊ぶようになった
もちろん喧嘩もするし競争もするので手がかかる時もあるけど
先日は上の子が下の子にご飯を食べさせてくれ
下の子が上の子の着替えを手伝ったりする光景があった
大変な時もあるけど子供の成長ってやっぱり暖かいなぁと思う

家の事を放り出してしまえたらとか
子供の事を誰かに任せてしまいたいとか
いつも同じ退屈で窮屈な生活が嫌になる時もある
目の前の狭い現実が嫌になる時もある
そんな時私は、明日になれば大丈夫と自分に言い聞かせていた
世界的に有名な子供のミュージカルの主人公じゃないけど
毎日こんな事が続くわけじゃない明日はステキなのよ、と

 そしてステキな明日は本当にやってくる
ステキな明日というかステキな今日
過ぎた日がどうでも良くなるくらいステキな日が

そんな可愛い子供たちに負けないように
私も綺麗なママでたいなとせっせと髪をとかす私であった。
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