先日出講に行った先で、近隣トラブルを抱えて
おられる参加者Mさんから相談を受けました。
お隣のご夫人は老齢でお一人暮らし。
お隣だからと、Mさんは時折様子を伺ったり、
体調のお悪い時には食事を作って差し上げたり
と、親切を心がけていました。
ご近所では気難しい人で通っていたその方と
上手くやっているつもりでした。
ところが、昨年「うちの家に鳥のフンが落ちるのは
あなたの家の樹の実のせいだ。」とクレームを
受けたのです。
それからは、「その樹を切って欲しい」
「いつ切ってくれるか」と再三言われるようになり、
とうとう、一番美しい実のなる季節を前に、
樹を丸坊主にすることになってしまったのです。
Mさんは丹精込めて育てたその樹を大切にしており、
樹齢もあるその大樹を可哀想に思いました。
また、この樹は実がなるからこそ植えたのであり、
その様子を眺めるのが好きだったのです。
「ところが今年も、『去年は樹を切ってくれたお陰で
助かったわ』とわざわざ言われました。
これは今年も切れってことです。
私はあの人が生きている限り樹を切らなければ
ならないのでしょうか。」
そういうご相談でした。
和解の祈りをお勧めし、相手の言うままでも
宜しいのでは、と申し上げたのですが、
やはり樹が惜しいようでした。
そこで、
「Mさん、樹はあの世まで持って行けませんよ」
とニッコリ笑って言ったところ、
どうやらそれが胸に響いたらしく、パッと明るい
お顔になられ
「そうですよね!」
と元気に答えて下さいました。
その後、「あの時の最後の言葉で気が楽になり、
相手の言うとおりにしてあげようという心境に
なりました」と仰っておられました。
「日時計日記」にも相手への祝福を書き続けていたら、
先日偶然街中で会ったけれども、今までと変わって
厭う気持ちがなくなっていたと喜んでおられました。
部長先生にお尋ねしたところ、執着を取るのは
大切であり、更に相手への祝福・感謝、そして
人間関係の摩擦は親への感謝を深めること、という
ご指導でした。
念のため、Mさんにもお伝えし、練成会や見真会で
ますます浄まってまいりましょう、とお話しました。
ひとまずMさんの気持ちが楽になっていて
嬉しかったです。
おられる参加者Mさんから相談を受けました。
お隣のご夫人は老齢でお一人暮らし。
お隣だからと、Mさんは時折様子を伺ったり、
体調のお悪い時には食事を作って差し上げたり
と、親切を心がけていました。
ご近所では気難しい人で通っていたその方と
上手くやっているつもりでした。
ところが、昨年「うちの家に鳥のフンが落ちるのは
あなたの家の樹の実のせいだ。」とクレームを
受けたのです。
それからは、「その樹を切って欲しい」
「いつ切ってくれるか」と再三言われるようになり、
とうとう、一番美しい実のなる季節を前に、
樹を丸坊主にすることになってしまったのです。
Mさんは丹精込めて育てたその樹を大切にしており、
樹齢もあるその大樹を可哀想に思いました。
また、この樹は実がなるからこそ植えたのであり、
その様子を眺めるのが好きだったのです。
「ところが今年も、『去年は樹を切ってくれたお陰で
助かったわ』とわざわざ言われました。
これは今年も切れってことです。
私はあの人が生きている限り樹を切らなければ
ならないのでしょうか。」
そういうご相談でした。
和解の祈りをお勧めし、相手の言うままでも
宜しいのでは、と申し上げたのですが、
やはり樹が惜しいようでした。
そこで、
「Mさん、樹はあの世まで持って行けませんよ」
とニッコリ笑って言ったところ、
どうやらそれが胸に響いたらしく、パッと明るい
お顔になられ
「そうですよね!」
と元気に答えて下さいました。
その後、「あの時の最後の言葉で気が楽になり、
相手の言うとおりにしてあげようという心境に
なりました」と仰っておられました。
「日時計日記」にも相手への祝福を書き続けていたら、
先日偶然街中で会ったけれども、今までと変わって
厭う気持ちがなくなっていたと喜んでおられました。
部長先生にお尋ねしたところ、執着を取るのは
大切であり、更に相手への祝福・感謝、そして
人間関係の摩擦は親への感謝を深めること、という
ご指導でした。
念のため、Mさんにもお伝えし、練成会や見真会で
ますます浄まってまいりましょう、とお話しました。
ひとまずMさんの気持ちが楽になっていて
嬉しかったです。