ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

無色の能…『六浦』(その6)

2016-11-08 17:09:40 | 能楽
間狂言が語る文言から能『六浦』の成立時期の話に、少々話題が飛躍しすぎた感もありますが、それにはちょっとした理由があります。というのも、この能が成立した時代背景、よりも、ぬえは この能がどこで誰によって作られたか、が気になっていまして。

能の作者はハッキリと観阿弥・世阿弥のように作者がわかっている曲もありますが、じつは多くは作者不明で、現行曲の中にも もうひとつ台本が練られていないように感じる曲もあったりします。その点、前述したように ぬえは能『六浦』の作者は能の台本を書くことに精通している人物だと思っていて、あるいは能を実際に上演していた能役者であろうと考えています。もっとも観阿弥や世阿弥をはじめ、現在判明している多くの能の作者はそのまま能役者であることの方が一般的ではありますが。。

また一方、『六浦』の舞台が都から遠く離れた相模国であることも、ぬえの興味を大きく引きつけています。

京都や近畿ではない、地方が舞台となっている能は少なからずあるのですが、『安宅』や『小袖曽我』のように、有名な歴史的事件があって、その事件を能に作る場合には現地を舞台に設定するのは至極当然なのでそれは例外として、越中国が舞台となっている能『藤』などのように、どうもその土地に関係した人物が作った、言うなれば「ご当地ソング」として作られた能もあります。

同じ草木の精が主人公の能『六浦』は『藤』と同類で相模国の人が作った能なのかもしれない、と当初 ぬえは漠然と考えていたのですが、どうやらそれはなさそうです。

これが端的にわかるのがワキの「道行」の文章で、『藤』ではこんな感じ。

ワキ/ワキツレ「雪消ゆる。白山風も長閑にて。白山風も長閑にて。日影長江の里も過ぎ。さゝぬ刀奈美の関越えて。青葉に見ゆる紅葉川。そなたとばかり白雲の。氷見の江行けば名に聞きし。多枯の浦にも着きにけり。多枯の浦にも着きにけり。

「白山」「長江の里」「刀奈美の関」「紅葉川」「氷見の江」。。歌枕などで都の人にも知られている地名もあるかもしれませんが、現実的には現地の人でなければワキの旅行の行程をイメージすることはできないでしょう。

ところが『六浦』の「道行」はこんな文章です。

ワキ/ワキツレ「逢坂の。関の杉村過ぎがてに。関の杉村過ぎがてに。行方も遠き湖の。舟路を渡り山を越え。幾夜な夜なの草枕。明け行く空も星月夜。鎌倉山を越え過ぎて。六浦の里に着きにけり。六浦の里に着きにけり。

「星月夜」は鎌倉を導く枕詞のような語で、「鎌倉山」は万葉集にも登場する当時からの名所。これを除けば「逢坂の関」これに続く「湖」は当然 琵琶湖のことで、どちらも都の人には親しんでいる地名です。つまり『六浦』の「道行」には琵琶湖~鎌倉山までの間の景物がそっくり脱落してしまっていることになる。。すなわち能『六浦』の作者は関東の地理には詳しくない人物であり、この能は『藤』のような相模国の「ご当地ソング」ではなく、~多くの能と同じように~都や南都など当時の中央で活躍した能役者かその周辺で作られた能の可能性が高い、ということです。

ではなぜ そのような都の近くで活躍していたであろう作者が、わざわざ地理もわからない東国の相模国を舞台に選んで『六浦』を書いたのでしょうか。

そこがこの能の最も面白いところで、この作者の興味深い人物像に ぬえは思いを馳せています。もっとも、まだ ぬえには作者の姿がハッキリと見えているわけではなく、また資料の乏しいこの能で作者像まで迫ることはかなり難しいと思われますが。。

が、たとえばワキを日蓮、あるいは日蓮宗の僧であると思わせるように設定してあること、能の定型をよく知っていて、あえて(?)そこから脱却しようとして書かれたかのような台本、紅葉しない楓を若い女性ではなく中年として描く特殊性、そして都から遠く離れた相模国を舞台に設定するエキゾチシズム。

これだけでもこの作者の非凡がよく伝わってくると思いますが、もうひとつ つけ加えるなら前述の「道行」のあとに続くワキの独白の一文ですかね。

ワキ「千里の行も一歩より起るとかや。遥々と思ひ候へども。日を重ねて急ぎ候程に。これははや相模の国六浦の里に着きて候。

ここに現れる「千里の行も一歩より起る」という言葉は『老子』に見える言葉で、

九層之臺 起於累土、千里之行 始於足下。(64章)

(九層の台は累土に起こり、千里の行は足下に始まる。

これ、まさしく『六浦』のテーマともいえる文言「功成り名遂げて身退くは。これ天の道なりといふ古き言葉」も同じ老子の第9章から採られた言葉なのです。

富貴而驕 自遺其咎。功遂身退 天之道。
(富貴にして驕るは自ら其の咎を遺す。功遂げ身退くは天の道なり。)

老子の熱烈な支持者でもある能『六浦』の作者。伝書や記録類にその名前はいくつか記載されているものの、信頼性に欠けて もうひとつ確証が得られないこの作者に ぬえの興味も尽きません。

が。まずは引き続いて能『六浦』の舞台経過の説明に戻りたいと思います。

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