「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

ぶらり一人ウオーキング 館山・ 洲ノ埼海軍航空隊(洲ノ空)を訪ねて(1)

2013年10月28日 06時59分07秒 | 戦争遺跡

↑旧「州ノ崎海軍航空隊」の石碑(現国立海洋技術学校)
台風一過の10月27日(日)の9時~13時、館山に存在した旧海軍の「州ノ埼海軍航空隊跡」を訪ねて家を出た。本当に久しぶりのウオーキングだったが今回は15kmになってしまった。
右膝の痛みと右肩の不調が気になったが具合を試す意味で歩いてみた。やはり右膝痛は治っておらず痛みがあったが姿勢を正し、速度を上げずゆったりと歩いた。何とか4時間、15kmを歩いた。

さて、今回のウォーキングの模様について書く。
館山は舘空こと館山海軍航空隊の町として有名だが同じ館山の舘空の隣りに「洲ノ埼海軍航空隊(洲ノ空)」もあったのだ。
地図と実際に歩いてみてこの2つの航空隊は1943(昭和18)年に兵器整備練習航空隊として開隊され。現館山海上技術学校がその場所である。戦況がいよいよ厳しくなり本土決戦を意識した日本軍は総攻撃や特攻の訓練も準備をしていた時期での開隊である。
現在の地形からはわかりづらいが地図と実際に歩いてみて隊の名称こそ異なるが2つの航空隊は隣同士であり、館山航空隊を南側に拡張したものと言えなくはない。
いずれにしても当時は広大な基地であったことは間違いない。海洋技術学校付近を歩き当時のものがないか探したが見つからず海洋技術学校の受付で尋ねてみた。「洲ノ埼海軍航空隊」は現在の国立海洋技術学校の地に本体があったが今は当時を思い出させるものは「石碑」以外なにもない。
昔ここに州ノ崎海軍航空隊あり」の石碑は旧の正門(現在は裏門)の隣にひっそり建立されているが国道から少し入ったところなので普段見る人はいない。
洲ノ埼海軍航空隊の本館のある国立海洋技術学校の敷地以外、戦後民間に払い下げられ現在は民家となっているため当時を思い起こさせるものは少ないが元洲ノ埼海軍航空隊基地内には練兵場や射撃場があった。練兵場は現在の館山自動車教習所エリアに、射撃場は館山自動車教習所の後ろの山側に岩肌があることからもここにあったことを窺わせる。また、山の斜面に小さな防空壕跡を1つ見つけた。もっと入念に調べれると防空壕は他にもあると思われる。
今回は時間の関係もあり山側の跡の散策は出来なかったので次回もう少し探してみよう。
↓下の写真をクリックすると大きくなります。
   
↑旧洲ノ埼海軍航空隊の正門(現国立海洋技術学校の裏門)と石碑
  
↑現国立海洋技術学校
  
↑防空壕跡
 
↑射撃場跡

↑海軍のまち 館山のMAP


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