冬の火祭りで有名な近江八幡の「左義長まつり」を紹介する。
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)で行われる火祭だ。もともと左義長は中国漢時代の正月行事として行われ、爆竹によって厄除けしたといわれている。わが国では承久元年(1219)より鎮護国家、五穀豊穣を祈る祭りとして行われるようになった。近江八幡では、豊臣秀次が八幡山城を築いて城下町を開いたのと同時に、氏神八幡宮の祭礼として定着したといわれる。
左義長は、藁(わら)を1束ごとに揃えた約3mの三角錐のダシが胴体で、その上に数mの青竹に赤紙を中心としていろいろな飾りが付けられる。左義長の中心には、毎年の干支にちなんだ造り物を付けてあり、左義長は、費用を惜しまず、手間ひまかけて丁寧に作られる。
土曜の午後、藁や杉などで作った高さ6mの左義長10数基が神社を出発する。揃いの踊り半纏を着て化粧した若者が、拍子木を持って赤い下駄を履いて「チョウヤレ」の掛け声も勇ましく、町内を御渡りする。
翌日の日曜は、朝から各町内を練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士のぶつかり合いが繰り広げられる。午後8時頃から境内で順次奉火され、2日間にわたる祭のクライマックスを迎える。国選択の無形民俗文化財である。
2018年は3月17日(土)、3月18日(日)に行われる。
詳しくは下記のサイト
http://www.omi8.com/maturi/sagicho.htm
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)で行われる火祭だ。もともと左義長は中国漢時代の正月行事として行われ、爆竹によって厄除けしたといわれている。わが国では承久元年(1219)より鎮護国家、五穀豊穣を祈る祭りとして行われるようになった。近江八幡では、豊臣秀次が八幡山城を築いて城下町を開いたのと同時に、氏神八幡宮の祭礼として定着したといわれる。
左義長は、藁(わら)を1束ごとに揃えた約3mの三角錐のダシが胴体で、その上に数mの青竹に赤紙を中心としていろいろな飾りが付けられる。左義長の中心には、毎年の干支にちなんだ造り物を付けてあり、左義長は、費用を惜しまず、手間ひまかけて丁寧に作られる。
土曜の午後、藁や杉などで作った高さ6mの左義長10数基が神社を出発する。揃いの踊り半纏を着て化粧した若者が、拍子木を持って赤い下駄を履いて「チョウヤレ」の掛け声も勇ましく、町内を御渡りする。
翌日の日曜は、朝から各町内を練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士のぶつかり合いが繰り広げられる。午後8時頃から境内で順次奉火され、2日間にわたる祭のクライマックスを迎える。国選択の無形民俗文化財である。
2018年は3月17日(土)、3月18日(日)に行われる。
詳しくは下記のサイト
http://www.omi8.com/maturi/sagicho.htm