殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!



段取り女

2017年09月24日 08時46分39秒 | みりこんぐらし
「四十九日は家でやることにした」

夫の姉カンジワ・ルイーゼ様がおっしゃる。

先日亡くなった姑さんの四十九日である。

「仕出しは取るけど、30人ぐらい集まるから手伝ってね」

ルイーゼ様はこともなげにおっしゃる。


ルイーゼの旦那キクオは、庭の離れでほぼ寝たきりの父親を一人で介護している。

繊細な彼は母親亡き後、父親への愛着が強まった様子で

残して出かけるのが不安らしい。



「人が少ないので、通夜葬儀も初七日も皆さんで来てください」

通夜の前日、キクオは我らに言った。

初めて親の死に遭遇した一人っ子としては

淋しくも心細くもあり、自然な発言といえよう。


彼は持ち前の几帳面さで、親戚中にくまなく参加を要請した。

よって善良な親戚一同は、通夜葬儀と初七日の法要に

一家総出で参加したため、予想に反して賑やかなものとなった。

このメンバーが、そのまま四十九日にスライドするらしい。



こら、ちょっと待て‥私は言いたかった。

これは無謀以外のなにものでもない。

考え直しを進言したいのはやまやまだが、この人たちとも長い付き合い。

言い出したらきかないのは知っているので「いいよ」と答えた。


なぜ家で法事を行うのが無謀か。

だってキクオの家には駐車場が無いんだもん。

田舎の農家といったら敷地が広くて

駐車場に困らないイメージがあるけど、ここは違う。

道路から数メートル高い所に家があり、庭へ上がる坂道が細いので車が入らない。


庭を支える石垣をくり抜いたガレージは、ルイーゼ夫婦の車と耕運機で満員御礼。

お客のために自分たちの車を移動させる気働きが無いことは

長い付き合いで知っているし

移動させようにも、移動先が無いのも知っている。


周辺にも車を停められるスペースは、腹が立つほど無い。

そりゃもう見事に無いったら無い。

ど田舎過ぎて忘れられ、車の発展から完全に取り残された地域なのだ。


強いて言えば少し先へ行った所に、車1台がやっとの草むらがある。

そこを逃すと淋しい山奥へ続く細い一本道で、片方は崖。

ホンマに、とんでもない所なんじゃ。

「あそこしか無い、あそこを取るんじゃ!」

他のお客のことなど、考えてはいられない。

我ら一家は当日、誰よりも早く到着する決意を固めるのだった。


駐車場、つまりハード面の問題はこれでどうにかなるにしても

ソフト面の問題が残っている。

キクオは一人っ子。

当然、兄妹やその配偶者は存在しないため、人手が足りない。

しかもキクオはパーキンソン病で、あまり動けない。

その妻ルイーゼは人間嫌いで会話が苦手。

彼らには36才の一人息子がいるが

父親の神経質と母親の薄情をバッチリ受け継いだ不思議クン。


人は誰しも秘められた可能性を持っている‥

案ずるより産むが易し‥

そんな言葉もあるにはあるけど

こいつらが家にお客を招いて法事を取り仕切れるはずがない。

何も知らないから言い出せるのだ。


段取り女の私なので「手伝ってね」と言われたからには

10月半ばの法事に向けて、目下準備中。

仏事の道具と手順の確認を始め、座布団、ポット、お盆、エトセトラ‥

ルイーゼ宅に無い物を用意するのだ。

あの家には足りない物がたくさんある。

というか、足りない物の方が断然多い。


家族5人で弔問に行った時は、湯呑み2個にグラス2個

あとはプラスチックのコップ1個に麦茶が注がれて出てきた。

こだわって嫁入り道具にしたノリタケ・ボーンチャイナやグラスセットは

とっくの昔に割れたと言う。

実家ばっかり帰って家にほとんどいないからお客が来ないのか

駐車場が無さすぎて人が寄り付かないのか

いずれにしても補充や新調の必要性を感じないまま生きてきたのだ。

このありさまで、お客を招く度胸は認める。


よって食器類も貸し出すことになりそうだが

グラスは貸さないと心に決めている。

持ち運びが厄介だし、洗うのも面倒なので

ビールには使い捨てのコップをお勧めするつもり。

いまどきは丈夫で洒落た物も出回っているため

サンプルを用意してプレゼンを行ってみようと思う。

頭の固いルイーゼが納得するかどうかは不明。


あとは法要後、会場のセッティングさえスムースにできれば

飲めや歌えの宴会でもなし、どうにかなるものだ。

なぁに、座ってご馳走になろうと思わなければいい。

お客ではなく、働きに来たと思えばいいのだ。

労働量は、家で家事をするよりずっと軽い。


最後に大事な準備が‥

「本能のままに動かないこと」

これを自分に言い聞かせている。

性格上、自由に仕切らせてもらえれば楽なんだけど

私は弟の嫁、故人とは赤の他人、部外者、影。


この件に関しては過去、家庭や選挙事務所での苦い体験がいくつかある。

何も考えず、ついチャキチャキ動いてしまう私だが

それは時として一部の女性にストレスを与え、傷つけ、恨みを買った。

自分無しでは回らないと信じている女性たちだ。

この中には義母ヨシコやルイーゼも入る。

今は親しくなった一回り年上の友人ヤエさんも

3つ年上の友人ラン子も、最初はその一人だった。


決して私が有能なのではない。

段取りとスピードの違いだけである。

この段取りとスピードは、気難しい舅アツシのおかげで鍛えられた。

人間、恐怖と嫌悪を前にすれば、どんなこともやれるもんだ。

そして病院の厨房で働くうち、コツをつかんだに過ぎない。


集団で一番大切なのは「和」。

それに気づかず、がむしゃらに働いた青い時代の反省をふまえ

私は自分に言い聞かせる。

控えめに、上品に‥

これが一番難しい。
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鳥じい

2017年09月19日 19時52分16秒 | みりこんぐらし
しばらく前から、私たち家族は夫をこう呼ぶ。

「鳥じい」。

夫は元々、人たらしの術に長けている。

彼に会うため、本社や支社の人が引きもきらないが

この頃は鳥まで手なづけているのだ。


いつも仕事をしていると

「グェ〜」とか「ガ〜」という、いくぶん押さえた鳴き声がする。

ガサガサと羽の音が近づいてきて

気がついたら事務所は鳥にトリ囲まれている。


鳥は身分差がはっきりしているようで

まず一番体の大きいトンビの夫婦がひと組、舞い降りて

夫のお出ましを待つ。

彼らはデカいので、バッサバッサと翼の音がすごい。


夫はいそいそと駐車場に出て

大きめにカットしたトンビ仕様のパンを投げてやる。

この食パンは、夫の友人が営むパン屋の売れ残り。

それで足りない時は、買ってまで与える。


トンビの夫婦が満足して飛び去ると、カモメの番だ。

10羽ぐらいが飛んで来て

「ギャ〜」

と挨拶。

夫は中くらいにカットしたカモメ仕様のパンを投げてやる。


カモメが去ると、すかさずカラスが登場。

この頃になると、がぜん数が多くなる。

事務所の屋根や駐車場は、さながらヒッチコック劇場。

夫は小さくカットしたカラス仕様のパンを投げてやる。


カラスは人間関係‥いやカラス関係が色々あるらしく

ホラーな黒い大群が満足して飛び去った後

残っていた何羽かが、おこぼれにありつく。

居残りのカラスは何となく痩せており、羽も乱れている時がある。

世渡りが下手そうな彼らのために、夫は残しておいたパンを与える。


痩せガラスがちらほら残ってパンをつついていると

待ってましたとばかりにスズメの大群が現れ

駐車場は茶色になる。

スズメは、痩せガラスが安全と知っているのか

それともバカにしているのかは不明。

夫は極小にカットしたスズメ仕様のパンをばらまく。


夫は暇を見つけては、ハサミでせっせとパンを切っている。

鳥の口に合わせて大、中、小、極小の四種類を用意し

パンの大きさごとに入れ物を変える念の入れよう。

「食パンばっかりじゃあ栄養が偏る」

と心配して野菜を買い込んでいたが、鳥には不評だったらしく

再びパン切りの内職に燃えるのであった。


一度、私のハサミを使っているところを目撃したので

文句を言ったら、パン切り専用に新しいハサミを買っていた。

高級なハサミでないと、うまく切れないらしい。


「生態系が乱れるんじゃないのっ?」

「野生だから自立が必要なんじゃないのっ?」

鳥に厳しい私は、しばらくの間ガミガミ言っていた。

なぜなら会社の車や通勤車に大小のフンをするからだ。


「父さんがかわいそうだから言わないけど、実は掃除が大変」

息子たちがぼやいていたので

それもそうだと思い、夫への小言を続けた。

「あんたらもタダメシにたかるばっかりじゃなくて、芸でもしたらっ?」

鳥にも厳しく言う。

シモべに毎日パンを貢がれて

こやつら、だんだん太ってきたような気がする。

「舌切り雀のおばあさんみたいじゃ‥」

夫はつぶやく。


が、じきに鳥どもは、ある特殊技能を身に付けた。

会社でフンをしなくなったのだ。

「鳥はわかってくれる」

夫はご満悦である。


「そんなはずはない!」

私は大いにいぶかしみ、観察を始めたところ

謎はほどなく解明。

夫はなにげに駐車場から離れた場所でパンを与えていた。

だからフン害が無くなったのだ。

「鳥が礼儀を身につけた!」

鼻高々に自慢する夫だが、私はトリックだと思う。
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王女と蛙

2017年09月12日 07時11分13秒 | みりこん童話のやかた
昔むかしのある国に、一人の王女様がおられました。

その国では古くから、高貴なご身分の方々が通われる学校が

決められていました。

王女様も小さい頃からその学校へ通っておられましたが

ある時、校長先生が交代しました。

新しい校長先生は隣の国と仲良しで

ことあるごとに王女様を隣の国との交流に参加させようとします。

不穏な気配を感じられた王女様は、別の学校へ変わることになさいました。


そのご判断が正しかったかどうかはともかく

新しい学校で、充実した学生生活を送っておられた王女様は

やがて一匹のカエルが後ろを付いてくるのに気がつかれました。

「コムロロ、コムロロ」

カエルは鳴きながら、王女様の後を追います。

動物好きな王女様は、このカエルを憎からず思われ

そのままにしておかれました。


本家の伯父様が歯並びの良くない女性とご結婚されて以来

王女様は笑うことを遠慮するように言われておりました。

王女様の美しい歯が人目に触れますと

伯父様の奥様のご機嫌が悪くなるからです。

だからといって仏頂面はできませんから

王女様は常に口元に力を入れ

微笑んでいるような表情をなさっておいででした。


けれどもカエルと一緒の時は、思い切り笑うことができます。

「このカエルの前だと、本当のわたくしになれる‥」

王女様はいつしか、カエルを大切な存在と思われるようになりました。


そんなある日、カエルは突然、人間の言葉を話しました。

「結婚してください」

カエルがしゃべったので、王女様は驚かれました。

「今はカエルの姿をしていますが、僕は本当は王子なのです」

「どちらの王子様ですか?」

「海のほうです」

「‥‥」


あっけにとられる王女様に、カエルは言います。

「悪い魔女に魔法をかけられて、カエルになってしまいましたが

王女様と結婚した時、僕は人間に戻れるのです」

「本当ですか?」

「本当です。

さあ、幸せになりましょう」

優しい王女様はカエルの言葉を信じて、コクリとうなづかれました。


それからのカエルは、鳴き方が変わりました。

「コクサイコウリュウ、コクサイコウリュウ」

そのうち、母ガエルも顔を出すようになりました。

「オンナデヒトツ、オンナデヒトツ」

と鳴きながら、息子の後を付いて歩きます。

それは人々の目に、奇妙な光景として映りましたが

カエルの家には姿見が無いので

自分たちが普通や一般的という基準から外れていることには

気づいていませんでした。


一部の敏感な人々は大いに怪しみ、カエルの素性をとやかく言い始めました。

「定職が無いのに、どうやって生活していくのだ」

「国籍と家系図を明らかにしろ」

「父ガエルと祖父ガエルの自殺について説明がない」

「母ガエルとカルト宗教の関係はどうなっている」


カエルは持参金目当てと言われれば、これ見よがしに食費の節約本を買い

フリーターと言われれば、正規職員を公言しました。

しかし哀しいかな、そこはカエル。

王女様に食費2万円の生活を強いるつもりか‥

弁護士を目指している話は嘘だったのか‥

と、人心をますます不安に陥れるとは考えつきません。


けれどもカエルのツラに小便とはよく言ったもので

「人は何と言おうが、let it be」

カエルは明るく笑うのでした。

王女様が幸せになられるかどうかはわかりませんが

少なくともカエルは幸せになれそうです。


(この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは関係ありません)
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手土産オンチ

2017年09月07日 15時35分38秒 | みりこんぐらし
37才の堀井君は、息子の友達。

仕事を通じて親しくなった。


高知県出身だが、仕事上、県北の山奥に住んでいて

月に何度か、息子たちと釣りに出かける。

帰りが遅くなるとうちへ泊まるが

礼儀正しいイケメンで、そのわりに癒し系。

泊まっても全然苦にならない。


彼が食事をした後、箸袋にきちんと揃えて収められた割り箸を

息子たちに見せて指導。

「よそでご飯を食べた後、箸袋に入れるのは誰でもやる。

でも、これをごらん。

新しい割り箸みたいに、きちんと揃えて入れてある。

あんたたちも見習いなさい」


風呂で使うバスタオルもちゃんと持って来て、持って帰る。

「ここまでする子はあんまりいない。

あんたたちも見習いなさい」

男の子は母親からこんなことを言われると反発するものだが

堀井君に関しては素直に聞く。

躾に便利な堀井君である。


そんな彼は独身。

結婚に憧れているという。

無理もない。

転勤で知らない土地へ配属され、そこが寂しい山奥村とくれば

嫁さんの一人や二人は欲しかろう。


以前は彼女がいたけど、突然振られたそうだ。

理由はわからないと本人は言う。

高身長、高学歴、勤務先は大手で地位もそこそこ

明るく優しく顔もいいのに、もったいないことだ。


そんなある日、堀井君が手土産を持って来た。

「いつもご馳走になって、すみません。

ほんの気持ちですが‥」

看護師だというお母さんの教育が行き届いている。


「あっら〜!気を使わないで〜!」

と言いながら、喜んで包みを開ける私。

中には黄金色のフタも神々しい瓶詰めが一つ。

ニンニクの唐辛子和えだ。

辛い。


「手作りの弁当に飢えているから作ってあげて」

息子から言われ、何回か作ってやると

「ほんのお礼です」

と、また何か持って来た。

青唐辛子の佃煮、ひと瓶。

辛い。


その次は赤唐辛子の味噌漬け、ひと瓶。

辛い。


辛いものが好きなのかと問えば、そういうわけではでないと言う。

山奥村の道の駅には、こんなのしか売ってないそうだ。

そりゃわかるよ‥寒い土地だし、あんまり特産物が無い地域だもんね。

でもね、食べられんのよ‥辛すぎて。

「堀井君、ほんと、気を使わないで!お気持ちだけで充分!」

私は心から言うのだった。


なんか、結婚しそびれた理由がわかったような気がする。

プレゼントのセンスがイマイチだったのではないのか。

彼女の誕生日には、何をあげていたんだろう。

やっぱり道の駅製?


そして先月の下旬。

彼は遅い夏休みを取って故郷の高知県へ帰省した。

「本場のカツオのたたきを買ったから、楽しみにして!」

こちらへ戻る日、息子に連絡がある。

初めてマトモなお土産と遭遇できる喜びを胸に

我々一家は彼の訪れを待った。


我々はてっきり、高知からの帰りに寄ると思っていたが

ゆっくり休みたいので、まっすぐ帰るという話だった。

次の日も、まる一日ゆっくりしたいということで、訪れはなかった。

ここでふと、脳裏に暗雲が。

「生ものなのに、大丈夫?」


うちの子もそうだけど、独身が長い男って自分本意なところがあるものよ。

それはかまわないけど、生ものの土産はできるだけ早く届けるのが鉄則。

だから多くの人は、危険を伴う生ものを土産にしない。

でも‥私は思い直す。

「本場生まれなんだから、管理方法はわかってるはず」

自分にそう言い聞かせ、暗雲を打ち消すのだった。


その翌日、堀井君は立派なカツオのたたきを

2本たずさえてやって来た。

この日はうちへ泊まり、明朝早くから息子と釣りに出かけるのだ。

「さあ!晩ごはんにしましょう!」

私は準備していたカイワレや玉ねぎスライスをいそいそと出す。


と‥堀井君、真顔でおっしゃる。

「待ってください!

お口に合うかどうかわからないので、感想を聞く勇気がありません!

明日、僕が帰ってから食べてください!」


そうよ、彼は繊細なの。

故郷から持ち帰った名物が、もしもお気に召さなかったら‥

と心配しているのだ。

その気持ちを汲んで、私はたたきを冷蔵庫に収めた。


翌日の夕食で、我ら一家はいよいよカツオのたたきを食す。

おおっ!さすが本場もん!切る時の感触からして違う!

スッ、スッと小気味好く包丁が入る!

この時点で、絶対においしいのがわかる!


そして食べた。

う‥うまい!

お口に合うどころじゃない!

「全然違う!」

「目ぇつぶって食べたら肉じゃ!」

我ら一家は堀井君初の快挙を寿ぎつつ、むさぼり食うのであった。



‥異変は午前3時に起こった。

胃がムカムカして目覚める。

吐きそう。

長男も起きて言った。

「気分が悪い‥たたきだと思う‥」

一番多く食べた彼と私は、あたったのだった。

幸いにも吐いたり下げたりは無かったが

微熱と手足の軽い痺れは、いやしい母子を2日間に渡って悩ませた。


病床でよくよく思い出してみれば、説明書では冷凍だったはず。

食べ方よりも、解凍の手順を長々と書いてあった。

しかし私が受け取ったのは解凍済みの柔らかい物だった。

どうも、ここに問題があったらしい。


1日目、堀井君は現地で冷凍のたたきを買い求め、赴任先へ戻る。

2日目、自宅の冷蔵庫で自然解凍された。

3日目、うちへ持ち込まれたが、堀井君の繊細により見送る。

4日目、食べた。

そりゃあたるわ。
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見そびれた理由

2017年09月05日 15時09分21秒 | みりこんぐらし
夫の姉カンジワ・ルイーゼの姑さんが亡くなった。

認知症が進んだ2年前、老人施設に入所したものの

やがてお決まりの肺炎。

しばらく前から危ないと言われていたので、誰も驚かなかった。


その朝、ルイーゼはうちに来て言った。

「お義母さん、さっき死んだんよ。

白いシーツ、無い?」

遺体を寝かせる布団が花柄のシーツじゃあ、ちょっと‥

ということで、調達に訪れたのだ。


無ければ買えばいいようなもんだけど

この人は昔から、実家には何でもあると思い込んでいる。

母親が打ち出の小槌みたいに、出していたからだ。


確かに昔はもらい物の多い家だったし

贈答品やお返しの品として多用されていた石鹸やシーツの類いは

押入れに山積みだったが、今じゃ打ち出の小槌も期限切れ。

しかし、長年の刷り込みは消えない。

実家に無いという現実を認められない娘と

何とかひねり出してやりたい元打ち出の小槌は

細い4つの目で私を振り返るのだった。


死人が出そうな家は、新品の白いシーツを用意しておくのが常識‥

希望的観測ながら、私はそう考えて常備しているので

それを献上。

あとはお茶っ葉や、葬儀で着る和服に必要な小物などを揃え

打ち出の小槌代理を務める。


農村地帯の兼業農家、本家、一人息子の嫁‥

何かと厳しそうな立場のルイーゼだが、そこはさすがの彼女

初めての不幸にも、いたって平常心である。

だって彼女の義理親は、どちらもアラ90。

毎日の里帰りを37年続けるうちに

嫁ぎ先の親類縁者は代替わりを済ませた。

舅は病気で、庭の離れから出てこられない。

旦那は一人っ子なので、小舅小姑やその配偶者も存在しない。

あとは過疎で、近隣住民も無関心。

口うるさい者がいない環境は、余裕をもたらすらしい。


そんなわけで夕方、一家揃ってお悔やみに行ったら

静かな遺体(当たり前か)とルイーゼ夫婦だけの

静寂とくつろぎの世界。

弔問に駆けつけた我々に、ルイーゼの亭主キクオは言う。

「人が少ないので、通夜と葬儀には皆さんで来てもらいたいんです」

我々もそのつもりだと答えると、嬉しそうだった。


亡くなる前から、義母ヨシコに言われていた。

「キクオさんは一人っ子で身内が少ないから

家族みんなで行ってやりたい」

もちろん私も同意した。

ええ、細かいことは言いませんとも。

私の父が死んだ時、キクオは一切来なかったなんてね。


あ、そうだわ、古い話になるけど

私の祖父が死んだ時も、ルイーゼ夫婦は完全無視だった。

いやいや、それ以前に義父母も来なかったわ。

当時、夫は長男の小学校の先生と熱烈交際中。

義父母はそっちとの再婚を望んでいたので

いつ交代するかわからない嫁の身内の葬式なんて、どうでもいいわけよ。

親がこれじゃあ、ルイーゼ夫婦も従うわよね。


25年も前のことを覚えてるんだから、私も執念深いわ。

でも、全て過去だもんね。

ルイーゼの姑さんは、私や子供たちに良くしてくれたもの。

お祭に呼んでくれたり、子供たちにお年玉をくれた。

だから私は、できることをやるだけよ。


「あんなに毎日実家へ帰られたら、嫁も孫も可愛がる暇が無い」

姑さんは会うたび、そっと私にこぼしたものだ。

時には私の手を取り

「うちの息子は何であの人を選んだのか‥

私はどうしてもあきらめきれない」

涙を浮かべてそう言った。

年寄りは雰囲気で適当なことを言うので鵜呑みにはしないが

おそらく彼女と私は同士。

一卵性母子と家族になってしまった者として

同じ気持ちを確かに共有していた。


長かった姑さんの苦悩は、とても他人事には思えない。

私と同様、彼女も耐え忍んだ37年であった。

「今までありがとうございました。

大変でしたね、お疲れ様でした」

亡骸に向かい、そうねぎらう私だった。


この日曜が葬儀と初七日だったため

どこの誰とは言わないけど、例の記者会見をライブで見られなかった。

怪しさやキモカワを好む私にとって、非常にソソられたお方。

でも発表が終わってみると、どうでもよくなった。
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還暦

2017年08月31日 09時07分14秒 | みりこんぐらし
週刊ヒロシにかまける間に8月が終わりそうなことに気がついて

取り急ぎ、夫の還暦のことを書いておきたいと思う。


今月の初め、夫ヒロシは60才の誕生日を迎えた。

還暦という節目である。

数え年なら去年だったけど、うちは満60才方式を取った。

夫の同級生にお坊さんがいて、この年末、彼のお寺に皆が集まり

厄落としの行事を行う予定になっている。

そう、還暦とはめでたいばかりではなく、男女共に大厄なのだ。

この行事が今年なので、夫も今年でないと気分が出ないらしい。


還暦といえば、赤い頭巾にちゃんちゃんこのイメージ。

しかし近年の60才は若い。

そんな物を着込んでニコニコするのは似合わない。

あの赤い装束は白髪や、丸くなり始めた背中で着こなすものであり

いまどきの60才には自虐めいたコスプレでしかない。


「せめて赤いベストか何か‥」

夫には一応申し出てみるが、きっぱりと断られる。

息子たちは誕生日に先立ち

バドミントンのウェアをプレゼントしていたので

私はケーキを買うことにした。


思えば私の祖母は、50年前に60才で死んだ。

元々心臓が丈夫でなかったが、朝起きたら死んでおり

その死因は老衰ということになった。

薄くなった髪を後頭部でお団子にし、地味な着物を着た祖母は

サザエさんの母、フネさんを劣化させたような外見で

どこから見ても正真正銘のおばあちゃん。

その年齢と死因に、誰も不審を抱かなかった。


今であれば、自宅で死亡すると変死扱いで

老衰なんて言われたらサスペンスだ。

現代の60才はそれほど若い。

栄養面やライフスタイルの変化もあるだろうけど

私は人類の進化を感じずにはいられない。



さて誕生日当日は、夫の友人夫婦が祝ってくれた。

町内の店で、一席設けてくれたのだ。

家族や親戚で還暦祝いというのはよく聞くけど

まさか友達から招待を受けるとは思ってもみなかった。


この子たちは、我々夫婦より5才ばかり年下。

ご主人と夫が野球のチームメイトだった縁で、昔から親しい。

その延長で、夫の両親が彼ら夫婦の仲人をしたため

家族ぐるみの付き合い。


「ご夫妻でおいでください」と言われ、狼狽する私。

こういうの、慣れてないのよ。

夫はよそのおネエちゃんと行動することが多かったし

私は単独か、子供たちとセットがパターン。

夫婦だけでイベントに参加なんて、葬式以外にあったかしら。


しかも我々は、筋金入りの冷や飯食い。

ご馳走やお楽しみ方面は夫の両親担当、労働方面は我々担当。

明確な役割分担で、この道37年よ。


夫なんて悲惨よ。

仕事関係の会合では、会議が夫担当で

その後の食事会は義父担当だったもの。

そうよ、同じ会合の途中で父子が入れ替わるのよ。

あからさまにもほどがあるってもんよ。


「食いしん坊め」

私はよく腹を立てたわ。

でも世の中って面白いわね。

義父の会社が好調な頃、その身勝手は「グルメ」と呼ばれてた。

ざけんじゃないわよ。



ともあれ、多分初めての夫婦単位のおよばれに

「生きてて良かった」としみじみ思った。

いい友達を持った夫を見て、自分の我慢が報われたような気がした。


二組の夫婦は久しぶりに語り合い、楽しい時間を過ごした。

この子が還暦の時は、忘れずに盛大な宴会をしてやろうと心に誓う。


9時に帰宅したら、皆が待っていた。

今度は家族で祝うのだ。

下戸人口の多い我が家、お祝いのケーキは外せない。

夫好みのケーキは生チョコ仕立て。

さっそく入刀し、ワイワイ言いながら食した。


その後、寝たら胸ヤケが‥。

さもありなん、酒を飲んだ後にケーキじゃあ

胸も焼けようというもの。

ついぞこの間まで、胃薬のコマーシャルを見て

「胸ヤケって何?どんなもの?」と首をかしげていたが

近頃はわかってきた。

驚異の胃袋を持つ私も、消化に問題が生じる年齢になったのだ。

還暦、近し。
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週刊ヒロシ・第8弾

2017年08月27日 10時17分31秒 | みりこんぐらし
今さら還暦男を育てるも伸ばすもないようなモンだが

夫ヒロシを育て、伸ばすという新たな旅に踏み出した私。

そのきっかけは、年のせいに加え

義父アツシと夫ヒロシの父子愛を目の当たりにしたからだと話したが

実はもう一つある。

『アサガミさん(仮名』だ。


アサガミさんは人名ではない。

隣の市にある、小さな無人の祠(ほこら)の通称。

山奥のへんぴな場所で、パワースポットでも何でもない無名の祠だ。


昨年、義母ヨシコの長い思い出話を拝聴している時

彼女の口から「アサガミさん」という名前が出た。

子供の頃、祖母に連れられてよく行ったと言う。

ヨシコの住む島から船、汽車、バスを乗り継ぎ、とどめは徒歩で数キロ。

片道で半日がかりだったそうだ。


私も子供の頃、祖父に連れられて何度か行ったことがあった。

地続きのうちからでも、車で小一時間はかかった。

森を抜け、崖をつたう細道をたどった先にほら穴があり

その入り口にちょこんと置かれていた、犬小屋より少し大きい祠‥

子供の時も、大人になってからも、たびたび人にたずねたが

あの祠を知る人はいなかった‥

もしかすると、あれは夢だったのかもしれない‥

その場所を知っているのが我が姑だったとは‥

鳥肌が立った。


ヨシコの祖母は、一人娘を亡くした悲しみにくれつつ

母親を亡くした孫娘を案じて

誰かに霊剣あらたかと聞いた祠をたずねたそうだ。

祖母は孫娘の幸福を祈ったが

孫娘は遠い道のりがしんどいばっかりだったという。


私の祖父もまた、一人娘を亡くした悲しみにくれつつ

母親を亡くした孫娘を案じて

やはり誰かに霊剣あらたかと聞いた祠をたずねた。

祖父は孫娘の幸福を祈ったが

孫娘は帰りに繁華街へ寄って洋服を買ってもらうのが目当てだった。


ヨシコと私の生い立ちには、共通点が多かった。

母親を小学生の時に病気で亡くしたこと

優しい父親が婿養子だったこと

父親の再婚で、年の離れた異母妹が生まれたことなど

ヨシコと私は同じような体験をしてきた。

時代は違っても、母を失った子供の惨めさや

環境の激変に歯を食いしばって耐えねばならない苦しみは同じで

どんな気持ちだったかは手に取るように理解できる。


ヨシコと私は昔から、そこに浅からぬ縁を確信していたが

どうやら、アサガミさんの縁だったらしい。

お参りなんかより、帰りのショッピングに魅せられていた

罰当たりな孫娘に与えられたのはイバラ道。

科学の発達した現代、妄想と笑われるかもしれないが

この修羅の家に私を配属した“犯人”の目星がついて

さっぱりしたのは確かだ。


かくしてさっぱりサバサバした心持ちにて、夫育てを楽しむ日々。

簡単さ。

褒めればいいんだから。

「家のことは私に任せて、好きなことをしなさい」

この言葉も添える。


好きなことをしていいというお墨付きをもらい

夫は伸び伸びと勝手に育っている。

その過程で、面白い現象に出くわすことがある。

奇跡と呼ぶにはおこがましい、数々の偶然だ。

この人は本当にいい人で、強運なんだと感心する。

夫を悪人と決めつけ、伸びしろを潰していた自分を軽く反省しつつ

それら数々の偶然の中で、最近の出来事をお話ししたいと思う。


義父アツシが入院していた頃、夫は同じ病室の男性Aさんと親しくなった。

年齢は夫より一つ上、生まれつきの心臓病で寝たきりだ。

両親は亡くなり、たった一人の妹さんは転勤族の妻で遠い土地に暮らし

見舞う人とてない。

夫はカープが大好きな彼のために、毎日スポーツ新聞を届けていた。


アツシは4年余りの入院生活を送り、2年半前に他界した。

私はこの時、夫に言った。

「Aさんに新聞届けるのは、この機会に終わらせた方がいいんじゃない?」

さして常識的でもない私の、いたって常識的な意見だったと思う。

気まぐれで続け、気まぐれでやめたらAさんが傷つくと思ったからだ。

相手は心臓病、止まったら終わりなのだ。

お互いの納得どきは、今しか無い。


それからしばらく経って知ったが

夫はスポーツ新聞を持って、やっぱりAさんの病室へ通っていた。

そして2年半が経過、やっぱり毎日通っている。

病院は近く、滞在時間は5分に満たないが

雨の日も風の日も休まない。

雪の日は歩いて行った。

新聞は毎日発行されるから毎日行く‥そんな淡々としたノリであった。


そして先日のこと。

見知らぬ男性が会社へたずねて来た。

「今度、こちらの地区の営業所長になりました」

その会社は一部上場の大企業。

昔から取引のあった所だが、6年前、アツシの会社が潰れそうになると

スキャンダルを恐れてあっさり切られた。

大口顧客を失った我々は、かえってあきらめがついたものだ。


「今回の着任を機に、取引を再開させてください」

その人は言う。

潰れそうになったら急いで逃げておきながら

本社と合併して安泰になると

手のひらを返して近づいてくる人や会社はたくさんあった。

我々は、あの時に変わらぬ態度だった人や会社を優先すると決めており

バックが付いた途端、そろりそろりと再び近づいて来る者は相手にしなかった。


この人もそのクチだと思っていたら

「私の妻はAの妹です。

この6年間、ありがとうございました」

と言うではないか。

夫と私がぶったまげたのは言うまでもない。

取引は再開された。

夫は相変わらずAさんの元へ通っている。


人はどうだか知らないが、私にはこのような出来事が面白くて仕方がない。

これから先、夫はどんなものを見せてくれるのか。

楽しみである。


ただし、夫が最後に行うであろうおイタは何となくわかる。

私よりずいぶん早く死ぬのだ。

先に死んで、年金を減らす。

これはもう、予測というより予定。


私は彼の亡骸にこう言うだろう。

「楽しい人生をありがとう。

でもこの先の貧乏暮らしはどうしてくれるのよっ!

クッソ〜!」


《完》
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週刊ヒロシ・第7弾

2017年08月23日 09時41分57秒 | みりこんぐらし
過酷な環境下で、大人の顔色をうかがいながら育った子供は

精神に何らかの影響を受けやすい。

夫ヒロシもその例外ではなかった。

彼の場合、主な症状は吃音、虚言癖、おどおどした態度

大量の発汗などである。

父親、または父親に似た、声の大きい男性の前では

これらの症状がよく出た。


私の前では‥というよりも、女性の前や

物腰の柔らかい男性の前では出ない。

多くの人は、彼に高評価である。

「優しくて礼儀正しい、とてもいい子」

私もまた、そう思った一人。

だから結婚した。

父親の前と他人の前では別人になることなど、予想だにしていなかった。

夫のこの性質は、結婚後に知った。

どっちが本当の彼かも、当時はわからなかった。

その激しいコントラストの分だけ、彼の持つ闇が深いことも知らなかった。


父親のアツシは、いつも夫にいら立っていた。

どもるといっては叱り、落ち着きがないといっては怒った。

そこへ日夜、夫の姉が様々なワナを仕掛ける。

態度だけでなく、仕事の上でも父親を怒らせようとするのだ。

父親が弟に注目する間は自分の安全が確保されるため

率先して弟を売る作業に励んだ。

暴君の父親を誰よりも恐れているのは、彼女かもしれなかった。


姉の告発により、子供たちや他人の前でボロクソに怒鳴られた後

夫はよく涙を流した。

それを見ると、冷酷な私でも胸が締め付けられる。

「立ち上がれ!共に戦おう!」

彼の浮気がなければ、私はナチスに対抗するレジスタンスのごとく

コブシを突き上げてこう言ったはずだ。

が、よそのおネエちゃんに夢中な男と組んだって仕方がない。

裏切られ、陥れられるのはわかっている。

私は怒りに燃えて本気にならないよう、努めて自制するのだった。


夫はそんな私を見限り、よそのおネエちゃんと現状打破を目論んだ。

ある時は『ビリーブ・マイセルフ(もちろん英語)』

と書いてある、おネエちゃん直筆のメモを後生大事に持ち

つらい時はそれを眺めた。

またある時は、姉を追い出して父親の会社を乗っ取ろうと

無知なカップルなりに画策した。

その様子を見ては「やっぱりこいつと組まなくて良かった」と

胸をなでおろす私だった。


今にして思えば、我々夫婦は完全にすれ違っていた。

ビリーブ・マイセルフと書いて励ましたり、下剋上を企てるのは

もしかしたら私がやるべきことだったのかもしれない。

私はどっちもやらないと思う。

そんな単純なことで解決できる問題でないのは

中に入っているので知っている。

自分を信じて!なんて言ったって、自分の何を信じるのか

夫には皆目見当がつかないだろう。

姉を追い出して会社を乗っ取ったところで

お父ちゃんに怒られて涙が出る息子に

社員や取引先が付いてくるかは、はなはだ疑問。

銀行が夫を認めるかどうかも同じく。

銀行が付かなければ、手形が割れないので商売はできない。


不倫カップルの考えは甘く、夢夢しい。

それでも、うわべの芝居でいい、失敗に終わってもいいから

夫にはとりあえずの希望が必要だった。

方や私は、どうやって夫を助けるか、具体的で確実な案を模索した。

結論がなかなか出ないうちに浮気が始まり、お互いに夫婦を投げるに至った。


助けなくてよかったのだ。

夫は過酷の海で溺れていたかったのだ。

私がうわべで彼の苦労を賞賛し、共に涙を流し、励ましてやれば

夫は自信を得て安心したであろう。


いつまで経っても成長しない‥

いくつになっても若者気分‥

過去30数年、夫に対してそう思ってきたが

彼が幼少時に持てなかった自信や安心を植え付け

人間としてのスタート地点に立たせるのは、もしや私の仕事ではなかっただろうか。

私は憎しみと引き換えに、その仕事を怠ったのではなかろうか。

夫を潰し、成長を阻んでいたのは

父親のアツシというより、私ではないかと思う。

ありゃりゃ。


夫には申し訳ないことをした‥

浮気で意地にならず、彼が望んでいるうちに離婚してやりゃ良かった‥

とまあ、幾分殊勝なことを考えるようになったのは年のせいもあるし

また、死期の迫ったアツシと夫の

当たり前だが本当の親子のような光景に触発されたからである。


ただし、離婚して女房が変わった場合

何もかも失った両親を愛でつつ、介護に勤しめる環境を得られたかどうかは

わからない。

ハタで励ますだけなら猿でもできるが、家を背負い、会社を背負うのは

よその亭主と寝たあげく、妻になりたがる女には無理だからだ。



これで長かった私の旅は、ひとまずの終焉を迎えた。

でも次の旅はもう始まっている。

夫を育て、伸ばす旅だ。

今までも育ててきたつもりだし、多少は伸ばした気もするが

それは私の自己満足で、本当は彼が自分で育ち、伸びたのかもしれない。

あの環境に居ながら、夫が完全に歪まなかったのは

彼が本来持つ明るくて優しい性質が勝ったからだと思う。

今度は父親という漬物石を取っ払った彼の

新たな可能性を見てみたい欲望にかられている。

《続く》
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週刊ヒロシ・第6弾

2017年08月19日 13時44分38秒 | みりこんぐらし
お姉ちゃんの退院以降、夫ヒロシの受難は形を多少変える。

夫の弁によれば、母親のヨシコは

ひたすらお姉ちゃんの機嫌を取るようになり

優しかったお姉ちゃんは、暗くて冷たいお姉ちゃんになって

2人が自分から遠くなった気がしたそうだ。


父親のアツシは、相変わらず浮気に励むかたわら

娘には目に見えて甘くなった。

心身に深い傷跡を残した我が子への、父親らしい気持ちの表れであろう。


浮気の方は相変わらずで、夫婦喧嘩は盛んだったが

ヨシコにも以前のような酷い仕打ちはしなくなった。

この現象は、金持ちの仲間入りをして

医者や旦那氏と付き合うようになったためだ。

女房に手を上げる男は、軽蔑されるからである。


アツシが抑えた感情の矛先は、ヒロシに向かった。

『怖い父親と、怯える妻子』

この組み合わせだった頃は、それなりに弱者の結束があった。

しかし今度は

『密着した母娘がひと組に、息子をいたぶる父親と

父親にいたぶられる息子』

それが夫にとっての家庭になり

以後はずっと、このままの環境が続いた。

あわれなり、ヒロシ。



さて、お姉ちゃんの入院中、見舞いに訪れたアツシの末弟が

同じ病室に入院していた女性に一目惚れし

電撃結婚が決まったエピソードがある。


この末弟は無礼横柄、粗野粗暴

アツシ一族の短所を集約したような男だ。

兄の会社に勤めては、いばり散らして怒られて辞め

アツシの会社に入っては、やはり喧嘩になって辞め

食い詰めると、またどちらかへ勤めるのを繰り返していた。

それだけでも相当な甘ったれだが

最も困るのは、アツシや兄の弟であることを随所で吹聴しては

他人に優遇を求めることだった。


そんな困った末弟をアツシが見限れないのは

彼ら4人の弟や妹たちを食べさせ、学校へ行かせたのが

他ならぬアツシだったからである。

バカな子ほど可愛いというやつだ。


アツシの父親は軍人だったが、戦争が終わると腑抜けのようになった。

仕事をせずに浮気をし、時々、駆け落ちをした。

毎回、行き先は決まっている。

生まれ故郷である三重県の実家に帰るのだ。

そこで駆け落ち相手と暮らしたり、あちらで知り合った女性と暮らした。

そして数年ごとに一人でフラリと戻って来て、そのたびに子供が生まれた。


父親は、最初の子であるアツシの兄がお気に入りで

三重県に兄を呼び寄せ、そばに置くことが多かった。

そこで次男坊のアツシが、10代から母親と弟妹を養っていた。


とはいえ若者が普通に勤めていたのでは

自分を含めた6人が食べて行くことは難しい。

彼が思いついたのは、得意の計算と記憶力

生まれつきの勝負勘と度胸を生かした、うってつけのお仕事‥

プロの雀士である。


大人に混じって大勝負を張る、アツシ少年の名は売れた。

「面白い若者がいる」ということで

素封家から自由業まで様々な大人にかわいがられた。

やがてその人たちの依頼で用心棒や運転手をするようになり

そのうち依頼主に代わって国内外へ赴き、商談をまとめたり

今で言う人材派遣のような仕事をするようになった。

この頃の経験や人脈が、後に起業の原動力となる。


アツシが家族に尽くしたのには、ちょっとしたわけがあった。

父親が新型の飲み物を開発して、三重県で工場を始めたことがある。

飲み物はよく売れ、一時期はアツシも呼ばれて手伝っていた。


ある日、兄と一緒に名古屋へ集金に赴いたら、思わぬ大口。

若い2人は大金に目がくらんだ。

旅先で芸者をあげてどんちゃん騒ぎをし、そのために工場は潰れた。

帰郷したアツシは以後、家族を養うことに燃えるのだった。


アツシが会社を始めた頃には、父親の里帰りは無くなっていた。

本人が年老いたのと、実家が代替わりして帰りにくくなったからだ。

そんな父親をアツシは電話番として雇い、小遣い稼ぎをさせた。

電話で注文の入る商売ではないため、電話番は必要なかったが

アツシなりの孝行であった。


私が嫁いだ頃も、お祖父ちゃんは会社に居て

いつもじっと座っていた。

夫によく似た顔形で、おっとりと無口なところも似ていた。

まさか駆け落ち癖まで似るとは、当時は予測していなかった。



ちなみにお姉ちゃんの入院がきっかけで結婚した末弟夫婦は

20年後に離婚した。

原因は末弟の浮気癖と無職、ということになっているが

妻の母親の存在も無関係ではないと思われる。


この母娘は筋金入りの一卵性母子。

そのうち自宅を新築すると自分も引っ越して来て

娘夫婦と暮らすようになった。

末弟が面白くないのは、その言動によって周知の事実だった。

やがて彼は仕事をしなくなり、小売業を営む妻のヒモになる。


お決まりの離婚に至った彼は、家を妻子に明け渡し

当時付き合っていた女性と暮らすようになった。

だが、明け渡したと思っていたのは彼だけで

家は最初から妻の名義だった。


その後、女性と2人で輸入衣料の店を開いた時期もあったが

あっという間に潰れて女性はいなくなり、借金だけが残った。

そして数年後、彼は糖尿病による低血糖のため52才で孤独死した。

浮気、一卵性母子、糖尿病は、アツシの家系の三大キーワードかもしれない。

《続く》
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週刊ヒロシ・第5弾

2017年08月15日 10時52分16秒 | みりこんぐらし
元気になったヨシコは、趣味の手芸に没頭するようになった。

和裁教師の娘であるヨシコは手先が器用で

和洋裁を始め、刺繍、編物など

彼女の手仕事はことごとくプロ並みだった。


余談になるがヨシコは娘の頃、洋裁学校に通っていた。

昔の若い女性は茶道、華道、琴のお稽古ごとに加え

家事手伝いの者は昼間、働く者は仕事を終えた夜

洋裁学校へ行く人が多かった。


島には洋裁学校が無いので、ヨシコは週に何度か

仕事を終えたその足で船に乗り、本土の学校へ通った。

そんな島娘たちを船着場で待ち構え、からかったり

ナンパを目論む若者たちがいた。

人々が家路を急ぐ夕方、港でタムロできる若者といったら

勤勉でも品行方正でもないのは明らかである。

アツシもその一人だった。


華やかな印象で、伊達こきのヨシコは目立った。

長身で、田舎には珍しいモデル並みのプロポーションを持ち

これまた伊達こきのアツシも目立った。

2人が惹かれ合ったのは、必然かもしれない。


「アツシさんが通ると、若い女の子はキャーキャー騒いだものよ」

私に当時のことを話して聞かせる、昔のお嬢さんたちがたくさんいた。

罵詈雑言を吐き続けたためか

私は四角い顔に進化したアツシしか知らないが

数々の証言によれば、若い頃は高倉健に似ていたらしい。

ちなみに彼の子孫は、その遺伝子を継承していない。



馴れ初めはともかく、ヨシコは亭主に浮気される苦しみを手芸に注いだ。

そうするしかないのだ。

文句を言えば、怒鳴られるか殴られる。


2人で遠い町へ行った帰り道、車の中で口論になり

知らない場所で助手席から突き落とされたこともあった。

路肩へ転げ落ちている間にアツシは走り去り、途方に暮れて歩いていたら

たまたま親戚が通りかかって家にたどり着いた。

テレビを見ていたアツシは、帰りが早かったことに驚いたという。

‥そういう問題?

このような思い出話のあれこれをヨシコから幾度となく聞かされ

私の頭の中には、いつもクエスチョンマークが飛び回るのだった。


油断ならない危険な男、アツシだが

見切りをつけるには惜しいゼニが彼にはあった。

帰る実家は無く、助けてくれる人もいない。

福祉も充実していなかった。

我慢して好きな物を買う方が、ヨシコには得策であった。


その頃、主婦の間では編み物が流行した。

ヨシコも夢中で編んだ。


編物は一度仕上げた作品をほどき、別の物に編み変えることができる。

デザインが気に入らなかったり、着なくなったお父さんのセーターを

子供2人分のセーターに編み変えたりするのだ。

昔の毛糸はウール100パーセントで高価だったこともあり

編み変えはごく一般的に行われていた。


編み変えの際、ほどいた毛糸はチリチリのラーメンみたいになっている。

これをまっすぐにしなければ、まともに編むことはできない。

そこで石油ストーブの力を借りる。

点火したストーブの上に、水を張った金だらいを乗せ

天井からチリチリ毛糸の束をぶら下げるのだ。

昭和中期の家庭で、よく見かけられた光景である。


ストーブの熱で金だらいの水は沸騰し、蒸気になる。

その湯気は、ぶら下げられた毛糸に吸い込まれる。

このまま何時間か放置すると、蒸気で蒸されたチリチリ毛糸は

フワフワでまっすぐな形状に戻る。


ヨシコもこの作業をした。

ただし狭いアパートの居間で、それは行われた。

祖母一人、孫一人という究極の少人数で育った彼女は

スペースと人数の割合から生じる危険予測の面において

少々疎いところがあった。


ある日、その居間で10才のお姉ちゃんと8才の弟がふざけ合っていた。

活発なお姉ちゃんはストーブにつまづき

金だらいの熱湯をひっくり返してしまった。

重度の火傷を負ったお姉ちゃんは市外の大病院に搬送され

治療や皮膚の移植で、通算半年の入院を余儀なくされる。

ヨシコは病院のお姉ちゃんに付きっきりとなった。


ここで浮上するのは、8才だった夫ヒロシの身の振り方。

父親のアツシは子供の面倒を見たり

見よう見まねで家事をするような人物ではない。

ヒロシはアツシの兄夫婦に預けられた。


最初の会社の件でゴタゴタした兄夫婦だが、そこは兄弟。

弟一家のピンチを聞いて、快く引き受けてくれた。

家が近所で、子供2人はそれぞれ同い年。

家でも学校でも顔を合わせるため

ヨシコがクッションとなって行き来は続いていたのだ。

ヒロシも懐いており、預け先としては申し分ないはずだった。


伯父の家に引き取られたヒロシだが、慣れた家でも

面倒を見てもらうとなると扱いは違った。

そこの子供は女の子だけなので、ワンパクな男の子の免疫が無かったらしい。


たくさん食べると驚かれて、嫌味を言われた‥

何をしても叱られた‥

おいしい物があると、自分のいない間に無くなっていた‥

いつも夫婦で、アツシとヨシコの悪口を言っていた‥

人生で、この半年が一番辛かった‥

今もあの一家に良い感情は持てない‥

骨折話から徐々に昔のことを口にするようになった夫は

私にとつとつと話した。


父親は会いに来ず、再び巡ってきた単身生活を満喫していた。

夫は捨てられたような気持ちになったという。

やっぱりタイムマシンがあるなら

当時に戻って夫を引き取りたいと思った。



やがてお姉ちゃんは退院し、夫は自分の家に帰った。

アツシはまた、どこかのおネエちゃんと別れ

家族は三たび合流した。

今度こそ、夫は幸せな子供として生きられただろうか。

もちろん、そうはいかなかった。

《続く》
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週刊ヒロシ・第4弾

2017年08月13日 09時40分31秒 | みりこんぐらし
お暑うございます。

甲子園が盛り上がっている今日この頃

皆様、お元気でお過ごしでしょうか?


近年の高校野球は打撃が盛んになり

点を取ったり取られたり、見応えがありますね。

でも私の楽しみは、もう一つあります。

応援のブラスバンド。

部活がブラスバンドだったので、ついそっちに耳が行きます。


規模、技術、選曲のセンスなど

見どころ‥いえ聴きどころはたくさん。

球児のみならず、後方の応援団も真剣勝負をしているのです。

私の勝手な基準では、今年は今のところ大阪桐蔭の総合点、高し。

もっとすごいチームが現れるかしら‥と

毎年、甲子園の一回戦は楽しみです。





さて、家族4人が一緒に暮らすようになると

20代後半の義父アツシは、一念発起して起業する。

それまでのアツシは定職を持たなかった。

人に混じってコツコツ働けるタイプでないからだが

材木などの輸出入や、さまざまな業種のブローカーなど

依頼による単発仕事を請け負って生計を立てていた。

つまり真面目や上品とは程遠い。


しかしこれは助走のようなもので

本人にも周囲にも、いずれひと山当てる予感があった。

そういう予感が現実になりやすい時代でもあったので

誰も心配はしなかった。


会社を作るにあたって、資金調達などのお膳立ては全てアツシが行ない

仕上げに6才離れた自分の兄を誘った。

兄はアツシ夫婦とほぼ同時期に結婚していたが

結婚当時、相手は10才年下の16才。

美人ホステスと評判の少女であった。

酒の飲めない兄が、なぜ彼女と知り合ったかは誰も知らない。


いかにワイルドなアツシ一族でも、この結婚は受け入れ難く

兄夫婦は一族から孤立していた。

兄思いのアツシは、この溝を埋めようとしたのだ。


経営には兄嫁と義母ヨシコも加わり、出だしからすこぶる順調だった。

アツシは相変わらず夫にきつく当たったが

時にはおもちゃを買い与えたり、外食にも出かけるようになった。

「お父ちゃん、白いコーヒー、飲みに行こうよ」

夫は父親の機嫌がいい時、そう言って喫茶店に誘った。

喫茶店でアツシはコーヒー、夫は牛乳を飲む。

小さい夫は、自分もコーヒーを飲んでいると信じていたのだった。


生活が安定すると、アツシはまた次々と浮気にのめり込み

ついでにゴルフを覚えてしまう。

夢中になったアツシは、仕事を休んでゴルフに出かけるようになった。


兄夫婦の非難は、ヨシコに向けられた。

ヨシコは板挟みと浮気で、悩み苦しむ日々を送ることになる。

祖母の介護疲れも残っていただろうし、産後の肥立ちも良くなかったのか

重いおたふく風邪を患った後、三叉神経痛になった。

頭や顔がものすごく痛い病気だ。


ヨシコは経理の仕事ができなくなり

やがて気がつくと、会社はいつの間にか兄夫婦に乗っ取られていた。

昔の長男と次男の身分差は徹底しており、届出の際

兄を立てるつもりで代表取締役に据えたのが敗因である。


こう言うと、いかにも兄夫婦が悪そうだが

同じ立場になって考えてみると、やはりどうしようもなかったと言うしかない。

会社が好調だからこそ、遊び回る弟と

寝たり起きたりの義妹をあてにはできない。

切るしかないのだ。


他人や弱い者には喧嘩を吹っかけるアツシだが

兄にだけは逆らえない習性があった。

兄弟喧嘩を避けたかったアツシは、きっぱりと身を引いて無職になった。


この潔い行動に、感銘を受けた年配の友人がいた。

数ヶ月後、アツシはその人の尽力で別の会社を興した。

夫が腕を折られたのは、この狭間である。

兄夫婦に裏切られた無念にさいなまれつつ

一方では会社の立ち上げで慌ただしく

家に帰れば妻が痛い、痛いと床に伏せていた、そんな時期なのだった。


我が子の悲劇を傍観したヨシコだが

三叉神経痛というのは本当に辛い病気だ。

半世紀以上前の当時、ブロック注射は普及しておらず

治療法の無い業病(ごうびょう)と言われていた。

ヨシコは県内外の病院を訪ね歩き、様々な治療を試したが

成果はかんばしくなかった。


私は経験が無いものの、毎晩泣きながら眠っていたのが元で

蓄膿症になったことはあるので、その何分の1かの痛みはわかる。

頭や顔がひとたび痛み始めると七転八倒、子供どころの騒ぎではない。

痛みが収まっている時は、次にやってくる痛みが恐ろしくて怯える。

風が吹いても雨が降っても、大きな音がしても

痛みの引き金になりそうで怖い。

感情を揺らすことが、恐怖なのだ。


私は通院したらケロッと全快したが

あれが何年も続いて治療法が無ければ、誰だっておかしくなる。

我が子を守れなかったことを責められない。

アツシを諌め、温かい家庭を成形し直すという願いが

もしもヨシコにあったとしても、やり遂げることは不可能だっただろう。



アツシの会社は高度成長の波に乗り、急激に売り上げを伸ばした。

面白いように金が入り始めると、ヨシコの病気は少しずつ回復し

会社の経理を手伝うようになる。


これで幸せになれる‥ヨシコは喜んだ。

しかし、そうはいかなかった。

社長になったアツシは仕事に燃えたが、浮気熱の方も絶好調。

30才になるやならずで大金をつかんだのだ。

弾けない方がおかしい。

ヨシコの気が晴れることはなかった。

そして夫が骨折した翌年、今度はお姉ちゃんに悲劇が訪れたのだった。

《続く》
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週刊ヒロシ・第3弾

2017年08月10日 07時13分33秒 | みりこんぐらし
いじめっ子と、いけにえ‥

義父アツシと夫ヒロシの親子関係を

私は長い年月、そうとらえてきた。

そしてそのことは、夫もはっきりと認めていた。


こうして片方の生命が尽きようとする頃になって

お互いの愛情と慈しみが発露する光景を眺め

「間に合って良かった」という安堵と共に

「もっと早いうちに、どうにかならなかったものか」

そんな一抹の悔しさを感じる私だった。


どうにもならないのはわかっていた‥

わかっていたが、それでも何かできることは本当に無かったのだろうか‥

自問自答を繰り返しても、やはり何も浮かばない。

“舅と夫の間柄をうまくとり持つ嫁”という称号は

古来より私の欲するところであり、色々やってみた時期もあったが

いつも結果は惨憺たるもので

私なりの献身では通用しないことを痛感するにとどまった。

素質が無かったと言うしかない。


どうあがいても、不可能はことは不可能‥

仕方がないものは仕方がない‥

人間にはそれぞれ、熟すにふさわしい期というものがある‥

やはり「間に合って良かった」が正解と結論付けた。




昔から折に触れ、義母ヨシコに聞かされていた思い出話がある。

アツシとヨシコの新婚時代にあった、5年間の別居生活だ。

不器用な家族の原点が、ここだったという思いは今でもある。


若い頃はあんまりな内容に、大嫌いなアツシがますます嫌いになった。

それに甘じたヨシコも、愚かだと思った。

何かしらの不幸を発見すると、犯人探しをしなければ気が済まなかった‥

それが若さというものであろう。


が、年を取ると、時代背景にちなんだ各自の諸事情が

理解できるようになってくる。

彼らの若かりし昔は、のどかな時代だったが

また、残酷な時代でもあった。

やはり仕方のないことだったとしか、言いようがない。


別居の原因は、浮気や喧嘩ではない。

ヨシコの祖母が、今で言う認知症になったのだ。

故郷の離島で一人暮らしをする80代の祖母が

物忘れや徘徊で周囲に迷惑をかけている‥

結婚して2年目、当時20才だったヨシコの元へ、その知らせは届いた。

祖母一人、孫一人で育ったヨシコは、他に家族がいない。

現在のようにケアハウスや訪問看護は存在せず

家族が看るのが当たり前だった時代。

ヨシコが引き受けるしかなかった。


祖母を自宅に引き取ることはできない。

なぜなら、ヨシコの祖母とアツシは犬猿の仲だった。

祖母にとってヨシコは、早世した一人娘が遺した

たった一人の孫娘であり、唯一の働き手。

その貴重な孫を奪ったアツシを祖母は憎んでいた。


結婚にあたり、アツシは婿養子に入る約束をした。

しかし結納当日、ヨシコ側が差し向けた紋付袴の使者が訪問すると

玄関には鍵がかかり、アツシとその母親は留守だった。

やっぱり養子は嫌、という意思表示らしい。

アツシ一家を表すエピソードとしては、代表的な出来事である。

大恥をかかされた祖母は、この仕打ちをも深く恨んでおり

頑なに転居を拒み、「島で死なせてくれ」と哀願するのだった。


ヨシコは本土へ呼び寄せることをあきらめ

赤ん坊だった長女を連れて島へ帰った。

以来、祖母が亡くなるまでの5年、夫婦は離れ離れに暮らすことになる。

アツシが島へ渡って妻子に面会することは滅多になかったが

じきに夫が生まれた。


ほどなくアツシは、完全に来なくなる。

同時に生活費の送金が途絶えた。

彼は愛人と同棲を始めたので、妻子を養う余裕が無くなったのだ。

当時は老齢年金の類いも存在せず、母子の暮らしは困窮した。


いつ終わるとも知れない、祖母の寿命任せの日々。

伴侶の浮気に苦しみつつ、祖母と子供のおしめを洗う

ヨシコの心は張り裂けそうだった。

見兼ねた親戚が、食事の面倒を見てくれるようになり

その親戚に勧められて、ヨシコは新興宗教へと入信した。

誰が彼女を責められようか。


なんてひどい‥アツシは鬼じゃないのか‥

パッと聞いたら誰でもそう思うだろう。

が、少し後ずさりして遠くから眺めると

やはりどうしようもなかったと言うしかない。

新婚2年目で長期の自由を手にした遊興型の男性が

実家へ帰ったきりの妻を清らかに待つわけがないのだ。


5年後、祖母を見送ったヨシコは本土へ戻り、結婚生活が再開された。

アツシが歓迎したかどうかは、はなはだ疑問である。

愛人との同棲を解消する必要が生じるからだ。

裏で色々あったと思うが、その辺のことはアツシしか知らない。


お姉ちゃんは5才、島で生まれた夫は3才になっていた。

立った、歩いた、しゃべった‥これらの段階を知らずに

いきなり幼児がやって来て、家庭は復活した。

元々子供嫌いで、愛情表現が苦手なアツシ。

「うるさい者はとにかく怒鳴って黙らせる」という

これまで彼が通してきた方針を選んだのは、ごく自然なことだった。


きょうだいが女の子と男の子の場合

犠牲になるのは、たいてい男の子供だ。

女の子のように器用に立ち回れないし

父親の期待が大きくて、ターゲットになりやすい。

アツシのように機敏で俺様主義の父親と

どちらかといえばどんくさい息子の組み合わせだと、なおさらである。

曽祖母の死による家庭の復活は、夫にとって

父親から怒鳴られ、叩かれる人生の始まりであった。

《続く》
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続・週刊ヒロシ

2017年08月04日 10時56分12秒 | みりこんぐらし
老人に翻弄され始めた私は

夫ヒロシと愛人への興味を失っていった。

憎むことは気にすることであり、すなわち興味なのだ。


何十年も友達だった憎しみと疎遠になるにつれ

私は夫を不実な配偶者としてではなく

一人の人間として眺めるようになった。

憎しみのフィルターを取っ払うと、違う景色が見えてくる。

「この子、私なんかよりずっと苦労してきたのかも」

180度変わって、そう思うようになったのだ。


先頃、秘書に暴言を録音されて離党に追い込まれた

自民党の豊田真由子議員を覚えておいでだろうか。

ワイドショーで一連の騒動を眺めながら、私は懐かしく思った。

声を限りの罵倒が続いたかと思うと一転、低い声での脅迫に変わり

かと思えば自身の発する言葉に興奮して、また怒号に戻る‥

強弱の波が延々と続くパターンが、亡き義父にそっくりだからだ。


この習性は、私にも容赦なく炸裂した。

いつ何どき、何をきっかけに始まるか予測がつかない。

「お父さんを怒らせないように」

「お父さんの気に入るように」

義母からは再三言われたが

思いやりや気働きでどうにかなるものではなかった。


私は口答えをするので、義父も多少は遠慮しており

実家や友達にしゃべられるのも警戒していた。

しかし血を分けた息子である夫への仕打ちは

家族の誰よりも頻繁で激しかった。


義父も同じことをしているので、浮気の件には触れない。

夫のおどおどした態度や会社の備品の置き場所など、案件は何でもよかった。

時に怒鳴り、時にニヤニヤ笑いながら

長時間、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ続けるさまは

捕らえたネズミをいたぶる猫そのものだった。


私は何度も抗議したし、止めにも入った。

義父がくたびれて解放した後、ひそかに涙を流す夫が不憫だからだ。

夫がナンボ憎たらしい浮気者とはいえ

理不尽な扱いを受けるのは我慢ならなかった。

が、こういう人間にストップをかけたら、当然だが大騒ぎになり

後に訪れる報復も倍加した。


若かった私は、制止が正しいと思い込んでいたが

それはヒマラヤ級のプライドを持つ義父に恥をかかせることであり

ますます悲惨な結果になるという考えにまでは至らなかった。

私の青い正義感は、夫や義母にとって迷惑以外のなにものでもなく

「黙っていれば1時間かそこらで済むものが

長くなるからやめてくれ」

と言われて、やめた。


夫が言うには7才の時、父親にホウキで

腕を骨折するまで叩かれたことがあるという。

母親はかばってくれず、折れるまで見て

それから病院に連れて行かれたが

以来、父親が怖いし、母親は味方でないと知ったという。

夫からそれを聞いたのは、10年ほど前だったろうか。

加齢によって駆け落ちや外泊が無くなり

色狂いから、単なる浮気者に降格した頃だ。


もちろん驚いたし、最初は信じられなかった。

しかしこの話は、口の重い夫から数回に渡って聞き出したものであり

義母にもそれとなくたずねて確認済みでもあり

7才の夫が左手を包帯で釣った写真も存在しているため

残念ながら事実と認定するしかない。

タイムマシンがあるなら、私はその時に戻って夫を助けたかった。


義父にはカミナリ親父や頑固爺とは異なる病的なものを感じていたが

「やっぱり」という思いだった。

私がずっと疑っていたのは、サイコパスである。

こう言うと猟奇殺人者みたいだが

表向き、普通に生活している人はたくさんいるものだ。

他者を死に至らしめるほどではなくとも

ギリギリの所まで追い込む経緯を楽しむ性癖は

「そのケあり」と考えて遜色はないと思う。


それでも時折、孫をかわいがる普通のお祖父ちゃんに見える時がある。

私はそれをよすがに、いつか皆で笑える日がくると信じて耐え忍んだ。

しかし夫の浮気はいっこうに止まないばかりか、ひどくなる一方。

何もかもがほとほと嫌になり、ついに子供たちを連れて家を出るに至った。


絶縁状態は数年続いたが、年月が経つと

私は再び両親と交流するようになった。

望む望まないという段階ではなく、彼らの生活苦と病気による必然である。

彼らの苗字を名乗っている以上

彼らが我が子の祖父母である以上

やるべきことはやらなければならない。

私は古い人間なのだ。


義父のサイコパスは、すっかり影を潜めていた。

会社が倒産危機に陥り、昔のように威張れなくなったことや

体力が無くなったのもあろうが

本当の義父が内側から出てきたような気もした。


そんな義父に、夫は尽くした。

風呂好きの父親のため、最後に入院する前日までスーパー銭湯へ通った。

ほとんど歩けないので、車から風呂までお姫様抱っこで運んだ。

入院中、外泊で家に帰ると風呂へ入りたがるので

夫は動けない父親を抱いて湯船に浸かった。


どんなに大変でも夫は愚痴一つ言わず、顔にも表さない。

父親に触れることを喜んでいるように見えた。

私だったら自分の腕をホウキで叩き折った父親に、ここまでできない。

そればかりか、動けないのをいいことに仕返しをするかもしれない。

いや、きっとやる。


しかし夫は淡々と、そして楽しそうに父親の世話をする。

介護のノウハウを知らない夫は、時に義父を危険にさらしたが

義父は安らいだ表情で身を任せる。

2人の姿は胸に迫るものがあり、私の心は洗われていった。


今まで夫ばかり好き勝手をして

自分ばかりが酷い目に遭っていると思っていた。

酷い目に遭っているのに、ちっとも褒美が来ないのが不満だったが

わたしゃ腕まで折られたことはない。

それを体験した夫の方が、よっぽどの苦労人ではないのか。


義父も、夫も、本当は辛かったのだ。

見かけとは違い、繊細で気の小さい義父は

ひたすら猛威を振るうことで、苦い過去を払拭しようとした。

夫は父を赦し、忘れるために、よその女性の手を借りた。

冷淡で男性的思考の強い私では、役不足だったのだ。

私は彼らの何をも見てはいなかった‥そう思った。


《続く》
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週刊ヒロシ

2017年07月30日 09時05分01秒 | みりこんぐらし
我が夫ヒロシに人気?があるようなので、特集してみようと思う。


夫ヒロシとの38年に渡る結婚生活を振り返ると

ほとんどの期間を彼、私、そして夫の愛人の

3人4脚で歩んできたように思う。

愛人は時々交代し、今はもう数えるのも億劫な人数である。

おそらく15、6人から20人未満というところか。


数にすると、さも大変そうだが

離婚だの別居だのと泣いたりわめいたり

家族や親戚友人まで登場して、すったもんだを執り行う文字通りの大変は

最初の数人まで。

当時、3人4脚のメンバーはまだ若く、未来が豊富だった。

夫と愛人の将来設計に、私という人間は邪魔であり

私もまた、その身勝手に憤りつつ、幼い2人の子供と歩む未来を模索していた。

が、小さい子を2人連れての自活が無謀であることは

いくら向こう見ずの私でもわかっており

悶々と苦しむうちに月日だけが経つのだった。


そうしているうちに、焦れた愛人側から提案を出されるのが恒例。

「奥さんが子供を連れて出て行かないなら、自分が育ててもいい」

それは本人から直接、または夫から間接的に私へと伝えられた。


夫と愛人にとっては、これが起死回生の隠し球であるらしかったが

身をもってなさぬ仲の理不尽を知る私は、その気軽さに怒り狂い

死んでも思い通りにさせるものかと居座った。

この言葉を聞かなければ、あるいは早い段階で

彼女たちの望みを叶えてやったかもしれない。


しかしやがて、人数をこなすうちにどうでもよくなった。

仕事をしながら年を重ねるうち、浅学無知なオバさんなりにではあるが

経済に少々明るくなった私はハタと気付いたのだ。

「どうしても離婚して一緒になりたかったら

ゼニを積めば済むことじゃないか」


2人でおもむろに風呂敷包みの札束を捧げ

「いかがでしょうか」とたずねられれば

金額によっては考えないでもない。

品質が品質なので、法外な高値をつけるつもりもない。


夫と愛人が、お互いしか無いと言い切れるほど

深く愛し合っているのであれば、2人仲良く有り金をはたき

あとはサラ金、闇金をハシゴして借り歩けばすむことだ。

今後の人生は返済に追われるだろうが、愛し合う2人なら大丈夫。

きっと耐えられる。


それを怠り、彼らがおしなべて精神的攻撃を用いるのは

タダだからだ。

タダで済ませようとするからモメるのだ。

タダでコトを成そうとするのは、ただのダダ。

目の前にいるのは、パンツを脱ぐのが好きなダダっ子2人。

対等に向かい合う相手ではない。


皮肉なことに、それを理解した頃には

夫と結婚したがる女性はいなくなった。

夫と愛人、双方の加齢によって情熱が失せ

将来を語り合う楽しみが無くなったのもあるが

義父の経営する会社が傾き始めたことや

義父母の高齢化も大きく関係していたと思われる。

貧乏&介護というわかりやすい不幸を前にして蜜月を夢見るのは

どんなにバカでもさすがに無理だろう。


そうこうしているうちに、まず介護が着々と近づいてきた。

私が夫の両親の世話をし始めたのは、この数年だけではない。

義父は50代前半から重い糖尿病になり

義母も50代後半から癌や心臓疾患で、それぞれ入退院を繰り返していたので

長男の嫁として、できる限りのことをしたつもりだ。

その過程でわかった。

愛人なんか、チョロい‥

愛人より老人の方がよっぽど大変だと。


愛人は、夫と寝るだけだ。

時たま攻撃してくるのもいるけど

腹が立つとか憎たらしいという感情を別にすれば

こっちは痛くも痒くもない。


しかし老人は違う。

朝から晩まで干渉に次ぐ干渉、ワガママに次ぐワガママ。

嫁が常に働いていないと気に入らない。

休んでいると用事を思いつく。

足が替わらなくなるまで、家事をしたことがあるだろうか。

私はしょっちゅうだ。


季節の模様替え、家具の移動、絨毯の交換、不用品の処分‥

以前なら大掛かりな用事は、銀行員やデパートの外商が複数で駆けつけ

手伝っていた。

義父の会社が落ち目になると、当たり前だが誰も寄りつかない。

そうよ‥介護に追いつくように、貧乏も忍び足で近づいていたのよ。


しかし老人は落ちぶれたからといって、習慣を変えることはできない。

そこで老人が思いつく重労働は、家族で唯一の他人‥

つまり私が任命の栄誉を得る。

春夏秋冬、こまめに掛け軸や絨毯、座卓を取り替えさせ

そこに鎮座してご満悦だ。

「会社は火の車なのに、それどころじゃなかろうが!」

と思いながらも、ついやってしまうのは老人の魔力としか言いようがない。


しかも老人は、ちょっと機嫌をそこねると、根に持って倍返しを企む。

さらに愛人はたいてい1人だが、ここの老人は2人だ。

普段は仲が悪いのに、こういう時の結束はすごい。

やっとられん。


老人の恐ろしさを実感するにつれ、愛人の株が上昇。

時々登場して生意気をほざくぐらい、何じゃ。

げに老人ほど厄介な生物はいない。

老人、最強。

老人、愛人を超える。


というわけで、愛人への耐性ができた私は

夫に対してかなり寛大になった。

寛大になると、見えてくるものがたくさんある。

それをお話ししたいと思ったが、長くなったので次回にさせていただく。


《続く》
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魔の火曜日

2017年07月23日 10時21分46秒 | みりこんぐらし
今日は日曜日だけど、火曜日のことを話したい。

毎週火曜日は、慌ただしいのだ。

まず、生ゴミを出す日。

最近、ゴミにかぶせるカラス除けの網が劣化したため

行政が無料でくれる網に変えたところ、ものすごく大きい。

今までの6倍ぐらいある。


あんまり大きいので取り扱いに困り

義母ヨシコに頼んで半分に縫い合わせてもらった。

すると今度はひどく重い。

大柄な私でも手こずる。


週に2回、ゴミ収集車が立ち去った後で網を片付けるのは

数年前から私の仕事になっている。

誰もやらないからだ。


今回、網が重たくなったので、ますます誰もやりそうにないが

文句を言うつもりはない。

近隣住民の大半は後期高齢者。

暑かったり寒かったり、雨や雪が降る日もあるので

年寄りにやらせるのは気の毒だ。


網との格闘が終わった頃、魚屋さんが来る。

近隣の住民も出てくるので、週に一度の交流。


午後は、クリーニング屋さんと生協さんが訪れる。

今は木曜日に変わったが、以前はヤクルトさんも火曜日だった。

そういえば、月に一度のダスキンさんも火曜日。

包丁の研ぎ屋さんも同じく。

このように火曜日は、主婦の私にとって社交の日。


そんな火曜日の私を苦しめるのは、夫のバドミントン。

日曜日の午前中も練習だが、火曜日の夜にもあるので

夫は4時半に夕食を食べ、5時過ぎに出かける。


早めに食べておかないと動き回れないそうだが、迷惑な話よ。

出勤がほぼ自由とはいえ、一応は仕事を持ち

5人家族の主婦をやりながら姑仕えをしていたら

食事の時間を早めるのは嫌がらせに等しい。

私は調理師の経験があるので何とか回せるけど、本音はしんどくて嫌だ。

シロウトなら、退部か離婚かを迫るランクだと思う。


こうしてバタバタと出かけ、10時を回って帰宅したら

おびただしい洗濯物も一緒に帰ってくる。

洗濯機の一杯や二杯でゴチャゴチャ言いたかないけど

ホンマに尋常じゃない量。

汗を吸うと着る物が重くなるので、しょっちゅう着替えるという。

まあ、他にワガママを言う男でもなし、黙って耐えていた。

まさに魔の火曜日。


ところが最近、息子たちが父親の火曜日を怪しみ始めた。

火曜日の夜、たまたま会社の前を通りかかったら

父親の車があって、電気が点いているのを何度も見かけたと言う。


浮気者の亭主と添うて38年、すぐにピンときた。

何らかの事情により、いつの頃からか

おデートが火曜日の夜になったのだ。


夜、怖がりの夫が一人で会社に居ることはまず無いというのもあるが

ここしばらく、火曜日に持ち帰る洗濯物の変化を感じていた。

汗でなく、水に浸したような、ムラのある湿り具合。

つまり工作である。

火曜日は、別のスポーツをしていたらしい。


私に希望の光がさした。

ひよっとして、早メシと大洗濯からの解放か!

魔の火曜日とおさらばできるかも!


週に2回、激しいバドミントンを何時間もやって

ちっとも痩せない不思議も解明できた。

手足は多少細くなったが、腹は出腹のままだ。

バドミントンに行くという設定で家の夕飯を食べ

おデートでまた食べていれば、痩せないはずである。


相手は、一昨年あたりから交際中のおばちゃんだ。

会社の近所の公的機関で事務のパートをしており

お互いの職場が近いので

彼女の仕事が終わって合流するには好都合。


が、誰だっていい。

誰だって同じだ。

生まれた時から、生活も心も貧しいヨゴレちゃん。

首がすげ変わるだけである。


ちなみにこの人は、上司の愛人歴が長かったため

ベテランとしてのわきまえがあり

結婚や略奪の野心を出さないので、静かでかわいげがある。

亭主持ちのため扶養と駆け落ちは無用、閉経後のため妊娠不可能と

安定感はあるものの、スリル不足が難点。


ともあれ私はさっそく夫に交渉し

火曜日の早メシと大洗濯の自粛を勝ち取った。

もちろん初心者みたいに「よくもだましたわね!」

などと幼稚なことは言わない。

あくまで自身の体力低下が理由であり

無理のない範囲内での対応は行うという、ユルいものである。

夫はギョッとしつつも、平静を装って承諾した。


あれから‥

火曜日の夜のバドミントンには相変わらず行っているが

晩ごはんが遅くなっても、時に間に合わなくても不問となり

練習着の洗濯物もめざましく減少。


ただし減少であって、ゼロではない。

洗濯物を無くしてしまったら

嘘をついて女と会っていることを白状したのと同じなので

絶対にやめるわけにはいかない。

だから夫婦の間では、一応バドミントンをやっていることになっている。


私にも異存はない。

一緒に会社を経営するようになってわかったが

夫は仕事の相棒として、素晴らしい人物である。

働き者で温厚、時に良き相談相手、時に極上の執事。

その上、控えめで無口という美点がある。

まったく、女房にしたいくらいだ?


これに何十年も気付かず

彼の長所を引き出してやれなかった私こそ、大バカ者だ。

浮気ぐらい、何だ。

浮気より、年寄りの方がよっぽど手強いぞ。

それを思い知ったこともあり、ビジネスパートナーとして

夫という人材を大いに買っている私は

彼に付いて回る付属品に目くじらを立てるより

褒めて伸ばす方が得策と踏んでいる。



さて、夫は贖罪(しょくざい)のつもりか

昼ごはんに帰った時、生ゴミの網をたたんでくれるようになった。

私は網の片付けからも解放されたのだった。


夫は身長と腕力があるので、網をたたむのがすごくうまい。

「すごい!エキスパート!さすが!」

早くやらせりゃよかった‥とは決して言わずに

私は毎回、たたまれた網を見学に出て拍手する。

そのかたわらにたたずむ夫は、まんざらでもない様子で微笑む。

愛情に満ち溢れた、平和な夫婦である。
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