徒然日誌

映画、演劇の感想はおそらく例外なくネタばれ注意!です。

マリー・アントワネット/遠藤周作著

2006-06-30 | 読書
友人に勧められて遠藤周作著の「マリー・アントワネット」(上下)を読了した。というのも、12月にこれを原作とするミュージカルの観劇を予定しているからだ。
「マリー・アントワネット」といえばフランス革命。フランス革命は、高校の頃にかなりはまった。「ヴェルサイユのばら」を読んで(爆)。あの頃、フランス革命を紐解くことに夢中で、それを題材とするフィクションを新たに読もうという発想は起こらなかったんだけど、あの時それに気づいてこの本に出会っていれば!と思うと残念でならない。それくらい、この物語は歴史的に忠実に書かれていると思う。
まずはあらすじなど。

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オーストリアの女帝マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネット。14歳でフランス王太子ルイ・オーギュストに嫁ぐ。豪奢な生活、皇太子妃としてちやほやされる毎日。ルイ15世が急逝すると若いまま国王、王妃となるルイ16世とアントワネット。何でも自分の好きなように動いていく快感。市民の貧しさ、辛さを知らないまま、ヴェルサイユ宮殿で贅沢三昧な毎日。革命。起ち上がる市民。王政廃止、裁判、処刑。激動の人生。マリー・アントワネット、享年37歳。
この小説のもう一人の主人公マルグリット。施設で育ち、ストラスブールのパン屋で働いている頃、アントワネットの興し入れを見る。自分と同じくらいの年齢で美しく、豪華で、幸せいっぱいなアントワネットを妬み、憎悪を燃やす。その後、パン屋を出てパリへと移り住む。娼婦として働くが、詐欺師カリオストロや小悪党ヴィレットと知り合い、首飾り事件に関わる。パリは革命の炎に焼かれ、マルグリットは革命の血の匂いに魅せられていく。
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ま、あらすじっていってもマリー・アントワネットを絡めた部分は大まかには歴史通りといってよい。フランス革命で有名な漫画「ヴェルサイユのばら」と微妙に登場人物がかぶるところから見て、結構史実に近いのだろうと思った。フィクションでも2つ以上で登場すればそれはきっと本物に違いない(じゃなきゃ、盗作?(笑))。
そんなわけで、一番楽しかったのが、この小説の中の「ヴェルサイユのばら」探しだった。

首飾り事件で登場するジャンヌ・ド・ラ・モット夫人。ヴァロア家の血をひく女性で、ローアン大司教をだましてダイヤの首飾りをだましとった女。首飾り事件が史実だということはわかっていたので、まあ、そうだよねと納得。ジャンヌとくれば、ロザリーでしょ?と思ったら、ロザリーもきちんと存在していたことにびっくり。もちろんベルばらの設定とはまったく異なるとはいえ、コンシェルジェリー牢獄でアントワネットに精魂込めて仕えた女中という設定は同じ。こっちが史実。
ヴァレンヌ逃亡以降はセリフまで結構似ていて、どちらの話もかなり史実に基づいて書かれているとわかる。一番感動したのは、タンプル塔に王妃を助けに行こうとフェルセン伯爵がジャルジェイ将軍にお願いするシーン。フェルセンが実在の人物であることは周知だけど、ジャルジェイ将軍だよ?ジャルジェ将軍っていえばオスカルのお父さんでしょ?(笑)ジャルジェ家って本当にあったんだというところと、ジャルジェ夫人が王妃の侍女をしていたことがベルばらと同じ設定で嬉しかった。

歴史小説というのは面白いもので、史実にキーパーソンを一人入れ込むだけで、なんでこんなに魅力的な物語になるんだろう?というのが実に興味深い。「ヴェルサイユのばら」のオスカル、アンドレ然り。この小説のマルグリット、アニエス然り。
この小説の優れている点は、王妃と対になる真逆な少女をキーパーソンとしているところ、かな。おまけに彼女は王妃によく似ていたという。首飾り事件で王妃のそっくりさん役をマルグリットが演じているけど、これは著者が意図したもの。本当はニコルという女がアントワネットのそっくりさんらしい。これはベルばらと同じ。そして、興味深いのはカリオストロという有名な詐欺師を注入したところ、かな。カリオストロ自体は実在しているのだけど、これらのストーリーに関わっているかどうかは不明、あるいは史実ではないと思われる。しかし、カリオストロが入ることで、なんとなく本当っぽさが増幅しているように思う。というのも、よく聞く名前だし、ってことなんだけど。カリオストロといえばルパンだよねぇ…(笑)。
もう一つ気に入っているエピソードは、マラーを殺したシャルロット・コルデが小説の中ではアニエス元修道女になっていること。なるほど、こうやってマラーは殺されたのか!と妙に納得してしまった。もっとも、アニエスは偶然という名の必然でマラーを突発的に殺してしまっただけだけど、実際のコルデは確かな殺意を持って殺しているところに違いがある。
なにごとも正しき行いをするアニエス元修道女が人を殺す、という不釣合いな行動を犯すけれど、その理由は妙に納得できる内容。この人一人を殺せば、たくさんの人の命が救えるのでは?あの時代の革命家たちの、あるいは市民たちの行動は、目に余るものがあった。人の命を、人とも思わぬふるまい。そういう意味で、アニエスの行動はあながち間違いではなかったかも、なんて思ってしまう。

歴史として読み解くよりも、この物語はやっぱり小説として楽しむほうがいいかもしれない。王妃マリー・アントワネットは、市民の血税を湯水のごとく使い贅沢三昧な生活を過ごしながら、国家の財産を蓄える術を知らなかった。王妃でありながら、市民を見ようとも、理解しようともしなかった。フランス王妃でありながら、列強を相手に情報を流し、革命を頓挫させようとしたり。歴史的に見たら、当然処刑されてしかるべき人物なのかもしれない。
それでも、この小説のマリー・アントワネットは、愛すべき少女なのだ。愛の無い結婚を強いられながらも、王妃である誇りから他の男性に走ることもなく、最後まで国王にだけすべてを許した女性。処刑されるまで、王妃としての誇りをなくさず生きようとした芯のある女性。王子を愛し、王女を愛した母親。一生懸命彼女を逃そうと努力するフェルセンの健気さを見ても、アントワネットに同調し、思い入れを強くしてしまう自分がいた。

楽しみ方は人それぞれなんだけど、こういう風に同時代の小説、まんがなんかを読み比べると、意外なところで共通点があったり、歴史的にも新しい発見があったりするのもまた面白いんじゃないかな、と思う。

この小説は、冬に日本から発信されるミュージカルの原作。この小説がどのように舞台化されるのか、今からとても楽しみだ。




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