のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

チアーが虹を渡りました

2017年04月03日 05時14分59秒 | 生き物
今朝、4時ごろ起きたら、

亡くなってました。

昨晩10時頃には息がありました。

そのときと

まったく同じ顔付をしてました。

死ぬ瞬間、

声を上げて僕を起こすだろうと

思ってました。

しかし、その気配なく

静かに息を引き取りました。

大往生って

言うんでしょうかね。

息をして、息をして、

息をしなくなった…という感じですね。

なお、ブログ友の皆さんが

ご心配されたら

いけないのでご報告しますと、

テドは、

元気ですよ。

チアーの分まで生きてくれたらいいと思います。

ちなみに、

下の画像、向かって右側が

チアーです。

2010年頃の

まだ元気だったときの写真です。





最近のでは、

5日前、29日に撮った写真があります。

これです。



すっかりやせ細ってしまっているでしょ。

一昨日、寒くないようにと思って、

チアーをベッドに、

僕は、

床の上で毛布を被って寝てました。

頭の上の

鳴く声で起きました。

たまたまでしょうけど、

僕を見つけて

「おっ、こんなところにおった!」

とばかりに

声を張り上げ鳴いていました。

何だか

隠れているところを見つかった

いたずらっ子の心境で、じわっと自分が猫になった!

気さえしましたよ。

実は、一緒の布団の中だと、

寝ている内にチアーを圧死させてしまうかもしれん、

それを恐れて、

ベットを占領させてあげたんだけど、

見つけられ

大騒ぎされて嬉しかったですよ。

チアーとの

一生の最後の思い出です。

たかが猫ちゃんの話、しかし、当分、

思い出す度、心が温められると同時に、喪失感で苦しまなきゃならんのでしょうね。

命って何だろうな、と考えさせられます。
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Unknown (通りすがりの猫好き)
2017-04-04 08:32:43
はじめまして。
温かく、そして切ない記事ですね。

でも、この優しさを牛豚鶏にも向けてあげてほしいです。

彼らにも同じ赤い血が流れ、感情があります。
生物学的にも同じほ乳類。
なぜ一方は「食肉」として虐殺されるのが当たり前になってしまっているのでしょう。
喪失感 (obichan)
2017-04-04 22:14:10
そういえば、昔実家にいついた猫たちの最後を見たことがありません。
山に住んでいて当時はまだ放し飼い状態が可能だったからでしょう。

なので猫は自分の死に場所をみつけに家を出るという言い伝えを信じていました。
でもいなくなる前に姿を見せて何度か鳴いていった猫が多かったものです。
しばらくして気づき、あれが最後のお別れの挨拶だったのかなといつも思っていました。

チアーちゃん、いつも見守ってくれる大好きな人の傍で逝けたなら幸せだったと思います。

しばらくは喪失感で心寂しいでしょうが、
忠太さんもあまりお気を落とさぬようご自愛なさってくださいね。

久々のコメントで失礼いたします。読み逃げ多くて申し訳ないです。
出合った頃よりますます内容の濃くなったこちらのブログ吃驚するばかり!
いつも勉強させていただきまして有難うございます。
☆ 通りすがりの猫好き (忠太)
2017-04-05 04:37:39
コメント、ありがとうございます。

豚の一生とか、知ると辛いですね。きっと牛や鶏の一生も辛いだろうと思います。命を消費して生きている人間の動物としての宿命、もっと自覚的に知るべきと思います。

☆ obichanさんへ (忠太)
2017-04-05 05:24:49
obichanさんは、この記事で、一番、コメントして欲しかった方です。願いが叶いました。

死ぬとき、姿を消すという話、僕も聞いたことがあります。チアーに死期が迫っていると感じたとき、気が気でなかったです。だから姿が見えないと、あちこち探し回ってました。ブログ記事にある頭の上でチアーに大声で鳴かれたという逸話、そのパロディになっているのですね。

他方では、生きたいように生かしてやりたいと思い、後を追いかけまいとしてました。静かに死にたいということがあるのかも、と思いました。

チアーは、母を介護していたときの僕を知っている生き証人です。だから長生きして欲しかった…おっとりとしていい猫でした。

話変わりますが、最近、「パッション」という映画を見ました。長い宇宙旅行の中で、目覚めてしまった二人の男女のお話です。

映画の物語としては、ハッピーエンドなのです。しかし、半端じゃない喪失感を感じました。僕には、そんな人生を分かち合って生きるような人はいないし、誰にも気づかれず人生を終える運命が待ち受けている切りです。

何を生き甲斐にするのだろう。ブログを書くことだけなのか・・・!?
と考えて、とても沈み込みました。あれが人生最大の危機だったのか知れないと思うほどひどい落ち込みようだったですよ。

(今ね、立ち直ってますから大丈夫です。お話と思って聞いておいてください)。

何が起死回生に繋がったというと、努力にもいろんな形があって、僕は「努力をしない努力」を極めるため生きているんだと思い直したことがきっかけです。

たとえば、若い時など、男性であれば、素晴らしい女性と巡り合って結婚する。あるいは、学者になって世間から一目置かれる――それが夢であったりします。
多くの場合は、必死になってその夢を成就しようとします。しかし、そんな努力は不要だということを悟るためにいま、自分の生があると考え直したんです。びっくりするぐらい元気になりましたよ。必要なことをやるようにすればいいのです。そう割り切ってしまえば、中途半端な人生ですけど、よくぞまぁ、ここまで中途半端にと感動できます。

そういう精神的危機を乗り越えた後でのチアーの死です。へこたれたりしません、多分ね

今後ともよろしくです。頼りにしてますよ、obichanさん。コメント、ありがとうございました。
☆ obichanさんへ (忠太)
2017-04-05 05:37:37
映画のタイトル、「パッセンジャー」でした。

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