のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

カルト宗教って、何?

2011年10月22日 08時05分38秒 | Weblog
日本全国、放射能まみれになりかかっています。

危機感に乗っかって、

売名に走る人たちが出てきています

(僕にはそう見える)。

ツイッタ―をやってると、

これは、有用やな、

と思える情報がある一方で、

いわゆる煽り発言に

刺激され、

何が真実か見え難くなり、

精神的にアナーキーな状態に

陥ることがあります。

不安な気持ちを抱えている人には

できるだけ共感し、

寄り添って行くことが大切です。

でも、これって、

誰にでもできることではないです。

そこで、精神科の受診に至るケースが急増する

ということになるのでしょうか。

江川紹子さんが

ストレスのため精神科の門をくぐる人の増加を報告をされてます

(熊本日日新聞、2011年8月29日付朝刊、

「放射能問題で『エセ科学』も――不安につけ込む組織や活動」参照)。


ところで、この指摘に関して、

“ストレス性”という医学上の概念に疑義を示し

注意を喚起される方がいます。

町医者の

onodekita先生です

(ブログ:「院長の独り言」参照)。

同先生曰く、

医師がストレスが原因ですね

と言うときは、

原因が分りませんという意味なのです云々。

この先生の場合は、そうなんでしょう。

しかし、この見解を一般化するのは、

恐らく誤りでしょう。

ストレス性の病気は、確かに存在すると思います。

精神的な不調と肉体のそれとの

連動的な関係は明瞭でないでしょうけど、

患者が強いストレスを抱えてい、

肉体に不調をきたしているか、いないかは、

その人に即しての問診をすれば、

判断が可能な事柄ではないでしょうか。

医師という立場にありながら、

その可能性を全面的に否定するのは、

それこそ似非科学に与するカルト派でしょう。

ストレス性という病的症状の原因を否定することで

その存在から目を背けるのでなく、

被曝に対する受容困難性を

率直に個々人の心理への圧迫要因としてのストレスと認め、

社会的な対応を考慮して行くべきでしょう。


さて、破壊的カルトであるかないかは、

次の基準ないし条件を満たしたとき、決まると思います。


(1)特定に人物にのみ専門性(超越性)を認める。

(2)白を黒、黒を白と言い張る。

(3)立場の違うものを容認しない。

オウム真理教を例にとれば、

麻原彰晃は「空を飛べます」(このカッコ書きの部分が専門性です)。

(1)の条件が充足。

来るべき世界の終焉につき、警告を発するため

「選ばれた者がいる」。

普通の人間が自分は普通ではない、という意識を持つようになります。

これによって、(2)の条件が充足します。

最後に、意見を異にする者に対する

容赦のない断罪です。

「異端者は、殺してもよい」とまで、

自己を正当づけます。

(3)の条件充足です。

失礼ながら、同じような発想を、

onodekita先生はしてらっしゃるように見受けられます。


説明が前後しますが、

(1)と(3)の条件充足については、後に述べます。

まずは、(2)について。

上に述べた

ストレス判断に関する独断的な排除思考とともに、

「直ちに健康に影響はない」という

表現について

「ほとんど嘘」だという否定的決めつけにおいて現れています。

onodekita先生が「嘘」とする根拠は、

「影響がないはずがない」という推測だけです。

しかし、この推測が正当として、

むしろ、将来的な影響が考えられるという意味では、

「直ちに健康に影響はない」という表現は

科学的には正しいのです。

ただ、大衆的なレベルでは、

科学的な知見として

表現が正しいか否かなど、どうでもいい問題だ

というに過ぎないです。

となると、嘘と断言するのはかえって誤りです。


この先生の言い分で可笑しい点が

もう一つあります。

ブログで

江川紹子さんが工作員(このレッテルは、同先生の考案のもの?)

であるかのように結論付けるため

文章構成によって

「論旨がすり替えられている」

ということを挙げられます。

すなわち、この先生によると、

・始まりの文章は、誰が読んでも正しいことを書く(①)。

・文章の途中までは、自分の意見とは反対の意見がただしいかのように記述する(②)。

・本来はただしい意見を、突拍子もないとんでもないことと結びつけることによって、

ただしい意見も間違いだといった印象を植え付ける(③)。

・最後には、また誰が読んでもただしい意見を述べる(④)。

という文章の繋がり(文章構成)によって、

似非(えせ)科学批判――反カルト宗教の立場――という大義を与えられ

正しい主張が正しくないものとして

退けられると論難されるわけです。

僕が妙だなと思うのは、

②、③に該当するとされる部分です。

江川さんは、

問題とされるエッセイで

次のように述べられています。

「国が『安全』と言って推し進めて原発によって、かくも大きな被害が生まれたのだ。事故当初の政府の説明も事態を過小評価するもので信用できないと思っている人が少なくないのに、国のお墨付きを持ち出しても何の説得力もない」(前段)

「そういう状況の中で、不安を抱く人たちの心をとらえ始めているのがエセ科学だ。例えば、不安を抱く人びとに共感した上で、被災地から遠く離れた場所での鼻血や下痢も、内部被ばくのためだと説明し、特定の酵素や菌、あるいは特別の水を摂取すると放射線の値が下がるなどと宣伝する」(後段)

上記、前段、後段がそれぞれ②、③に該当するというのが

先生の主張です。

しかし、これって、文章構成の問題なんでしょうか。

③の記述に対して、

「被災地から遠く離れた場所での鼻血や下痢も、内部被ばくのためだと説明」

という真なる事実に

「特定の酵素などが放射能に効く」という誰が考えても嘘が続き、

このような論旨のすり替えによって

「被災地から遠く離れた場所での鼻血や下痢も、内部被ばくのためだと説明」

という真なる事実も

読者は、嘘だと感じるようになると、

糾弾されているようです。


しかし、「特定の酵素などが放射能に効く」というのは、

謳い文句に根拠があろうがなかろうが、

現にあやふやな効能書きで商売している人がいるという報告なわけです。

ジャーナリストたる江川紹子さんが伝えて良い事実です。

これをもって、

科学的に正しい認識が歪められるとする結論を下すのは

筋違いと思います。

正しいか、正しくないかは、

正確な情報を得た上で、各人が判断を下すしかありません。


では、次に、(1)(3)のカルトの条件について、まとめて述べます。

(1)の条件は、カルト性の出発点です。

同先生は、

「『放射能を正しく怖がる』は、

私に言わせると推進派の洗脳――マインドコントロール――の言葉です。

この言葉を発した時点で、

その発信者がどういう主旨の発言をしようとしているのか、

手に取るように分かる」と豪語されます

(あんた、神様か)。

“正しい”科学的な認識は自分の手の中にしかないと言わんばかりです。

内科医ということ自体は、

カルト性を認めうる専門性ではありません。

しかし、ここまで、自己の独断的な判断の真正性(無誤謬)を前提にするとなると、

カルト宗教であるための(1)の条件を満たします。

思うに、こんな先生を信用すると、

正しさが掌の指の間からぼろぼろ零れ落ちて行くことでしょう。

心から納得することは、

人から要求されるものではないのです。

しかし、その無茶な要求を

「手に取るように分かる」と恫喝をかけて、通そうとされるわけです。

この恫喝をかけた時点で、

包容力のなさを表明していらっしゃいます。

(3)の条件の充足です

(考え方の当否を言えば、(2)の条件も充足しますが)。

なお、ブログの締めとして、

この先生、

「その通りと思われたなら、

一行でもいい、感想を残しましょう」なんて

おっしゃっておられて、

「その通り」と思えなかったので、

感想を残しませんでした。

異論を受け入れる度量のある先生ではないということは、

コメント書き入れの、

この要望を見ても明らかです。

まるで駄目押しで(3)の条件を充足していることの自認です。

笑ってしまいましたですな。

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2 コメント

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エセ科学 (kayo)
2011-10-22 11:52:35
ふーむ、何だか日本の混乱が益々ぐちゃぐちゃになって行きそうだなあ・・
本質を惑わす事を言う人がいると。

エセ科学を信じてしまい、インチキ商品に振り回されない事が肝心ですね
カルト的ヒステリック症候群に要注意ですね。

情報、知識の量が必要、量は質に比例すると言うのは常々の持論です。
難儀な事だけど、こんな日本になってしまったんだもの、知る努力はしなければ・・
後は自分の判断ですね。

☆kayoさんへ (忠太)
2011-10-22 15:25:50
福島で精神科の門を叩く人が増えたというのは、それだけ心理的な追い詰められているということでしょ。何にもしてあげられず、無力感に叩きのめされそうです。しかし、福島の人は、もっと激しい不安のなかで生活しているのと比べると、ぜいたくな悩みです。

自殺だけは、避けて欲しいと願います。それしか言えないです。

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