のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

もっと他の生き方がある…あった…という反省は、つらいよ。

2016年05月01日 05時58分15秒 | あらまほしきこと
山本周五郎著『新潮記』から

タニ センゾー@Tanisennzoさんが一節、引用されていました

(同氏ツイート〔4:13 - 2016年5月1日〕参照)。

これがまた味わいにある言葉です。

下に、再引用しておきます。

「じっさい、人が晩年になってから、自分の生き方は間違っていた。自分にはもっとほかの生き方があったのだ、そう思うくらい悲惨なことはありませんからね、だって是れだけはどうしたってやり直すことができないんですから」

他の生き方って、

大体において、目上、上司、恩義ある人等に

よって、

妨害される憂き目に逢うのは、

ある意味、宿命ですね。

昨日、ぶらぶらと街を歩いていました。

かつての上司と

遭遇しました。

僕より年少者の方でしたけど、

何だか

コンプレックスのとても強い方だったと記憶してます。

それでね、

何かと、

僕が老いてることを出汁にして

僕を嘲ろうとしていた苦い記憶が残っています。

久しぶりに会ったその君、

老けまくってました…

そして一抹の同情心を感じました。

会社では、

優秀な年少者に出くわしては、

あいつ、きっと老人風を吹かせているに違いないと、

一瞬で納得しました。

さて、上掲引用した言葉を紹介していた

タニ センゾー@Tanisennzoさん、

「荒涼の記」(山本周五郎著「夜明けの辻」所収)の、

こんな言葉も引用されてました

(同氏ツイート〔4:04 - 2016年5月1日〕)。

「人生は相撲なのだ、家主や商人どもはつづめて云えば身長体重共に君より勝っている力士と云うに過ぎぬ、君は非力で軽量で技が無い力士だ、しかし相撲が土俵に登る場合にそんな条件の差でへこたれていられるか、堂々と闘うべし、勝負は身長や体重で決するのではない、闘って闘って闘いぬく胆だ」

自分は、

「非力で軽量」。

しかし、相手は、

そんな自分に対してコンプレックスの海に沈んでいます。

だからこそ、

理不尽なことを言ってくるのです。

そこを

飲み込んでしまえば、

闘いに負けはしないですよ。

それに案外、

闘いは、

力技で勝負が決するというより、

面の皮の厚さだったりします。

無駄に

付き合わず、

ここ一番、自分を守ってください。

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